岩波書店のPR誌『図書』2015年4月号に、川北稔先生が、「近代世界システムと幻の耕地―歴史学のいま」第2回を書いておられます。
・・・「脱亜入欧」などというスローガンを掲げ、アジアのなかで、日本だけは別物と見ていた歴史が長いために、私たちは、いまだに一体としての「東アジア」史というものを実感しかねている。しかし、明治維新から中国の開放路線、高度成長までを一連の歴史として巨視的に眺めれば、明治以降の日本の台頭は、東アジア台頭の「はじまり」にすぎなかったことがわかる。
とすると、スペインやポルトガルやオランダが始めた対外進出と経済成長を伴う「西ヨーロッパの台頭」で、最後にイギリスやアメリカがその成果を摘み取ったように、いまや中国が東アジア台頭の成果を摘み取ろうとしていることになるのだろうか・・
歴史家が見ると、このような見方ができるのですね。確かに、私たち日本人は、「日本は特殊である」とか「日本人はすぐれている」という言説に浸りたがります。もっとも、これは日本だけではないでしょう。イギリス人だって、アメリカ人だって、中国人だって、程度の差はあれ同様でしょう。その国が隆盛を極めているときは、そう思いがちです。また、他国に比べ劣っていると感じた場合は、別の分野で「他国よりすぐれている分野」を探します。
明治維新が19世紀後半、日露戦争が20世紀初頭、中国の改革開放が20世紀末、中国の台頭が20世紀初頭です。他方、スペインやポルトガルが新航路を開発し、新世界を「略奪」して栄えたのは16世紀から、オランダの隆盛は16~17世紀、イギリスの隆盛は18~19世紀、アメリカの時代は20世紀。その間、5世紀あります。他方、日本の明治維新から中国の隆盛は、2世紀の間にも満ちません。このような世紀をまたぐ時間と、世界地図の観点から見ると、日本は東アジア台頭の先駆けであり、最後の到達点・果実は中国が得るとも見えます(この項続く)。
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わかりやすいフランス現代思想史
岡本裕一朗著『フランス現代思想史』(2015年、中公新書)に、挑戦しました。2か月も前のことです(すぐに読み終えたのですが、このページに書くのが遅くなりました)。構造主義、ポスト構造主義、ラカン、バルト、フーコー、デリダ・・・。かつて、手にとっては、投げ出していました。新書版で紹介してもらえるなら、読めると思い、取っ組んでみました。読み通すことができました。
冒頭、「ソーカル事件」が紹介されています。
・・今日、フランス現代思想史を書こうとするとき、避けて通れない問題がある。いわゆる「ソーカル事件」と呼ばれるもので、ニューヨーク大学の物理学教授アラン・ソーカルがしかけたイタズラだ。1995年に、ソーカルは「著名なフランスやアメリカの知識人たちが書いた、物理学や数学についてのばかばかしいが残念ながら本物の引用を詰め込んだパロディ論文」を作成し、現代思想系の『ソーシャル・テクスト』誌に投稿した。ところが、このインチキ論文は、何と掲載されてしまったのである・・
・・引用された文献の多くが、フランスの現代思想家たちの文章だったからである。今まで、フランス現代思想は「難解」だからこそ崇拝されてきたのに、実際にはむしろ、「ばかげた文章とあからさまに意味をなさない表現に満ちている」わかったのだ・・
これで、安心しました。私が理解できなくても、頭が悪かったのではないようです。翻訳が悪いのでもないようです。
著者は、勇気がありますね。大学教授には、自分が欧米で勉強したことを日本に輸入し、いかにそれが良いものかを売る「崇拝者」であり、「輸入代理店」の方もおられます。このように、客観的な評価を紹介した上で、解説と評価を述べるのですから。ソーカル事件は以前聞いて知っていましたが、このようにフランス現代思想史の解説書の1ページ目に出てくると、それが与えた影響や位置づけがわかります。
フランス現代思想のように、難しいことを新書版で紹介することは、とても難しいことです。よほどの理解者でないとできません。しかし、私たち素人には、入門書として、また概要を知るためにはありがたい手段です。「私も、フランス現代思想に手こずった」という方や、「なにか高尚なものだと思っていたけど、読めなかった」という方には、お薦めです。
中世と近代との違い、ものの認識、2
司馬遼太郎著『明治国家のこと』(2015年、ちくま文庫)、「ポーツマスにて」の続きです。p99。日露戦争後のポーツマス条約について。
・・ロシアからもっとふんだくれるかと思っていた群衆が、意外ととりぶんのすくない講和条約に激昂して暴動化した。
「群衆」
これも近代の産物である。江戸期の一揆は、飢えとか重税とか、形而下的なものでおこった。
ところが、明治38年に、ポーツマス条約に反対した「群衆」は、国家的利己主義という多分に「観念的」なもので大興奮を発した。日本はじまって以来の異質さといっていい。中世では個々の人間が激情に支配されたが、近代にあっては個々のなかではむしろそういう感情が閉塞し、どういうわけか集団になった時に爆発する。中世の激情が集団の中でよみがえるといっていい・・・
船曳建夫先生。異郷の土地柄、そして変化
船曳建夫著『旅する知』(2014年、海竜社)が、興味深かったです。船曳先生は、文化人類学者で元東京大学教授です。先生が若き日に訪ね暮らした5つの町を、後に再訪し、その変化と変わらないところを考察された、旅行記であり社会観察の書です。5つの町は、サンクトペテルブルク(ロシア)、ニューヨーク(アメリカ)、パリ(フランス)、ソウル(韓国)、ケンブリッジ(イギリス)です。
先生が暮らした体験に基づく考察なので、紀行であり、厳密な社会学的分析ではないのかもしれません。しかし、深夜のサンクトペテルブルクで、劇場からの帰りに感じた怖さ。豊かで(所持金の範囲で)自由なニューヨークで感じるアメリカの不安。パリの高名な哲学者やケンブリッジ大学のノーベル賞受賞者の暮らしから見えるその地の社会構造など。住んでみて経験しないとわからない、その地の土地柄が鋭く指摘されています。このような社会の構造というより、国柄であり肌で感じる感覚は、どのように表現したらよいのでしょうか。司馬遼太郎さんが名づけた「この国のかたち」でもなく、日常生活での人と人との関係・付き合いの風習です。社会学の教科書には出てこず、小説やエッセイにしか出てこない「肌触り」です。多くの人が感じることです。しかし、それを鋭く分析して文章にすることは、先生のような文化人類学者にしかできないことなのでしょう。
そして、5つの都市の違いより、40年を経たそれぞれの都市の変化や世界の変化が指摘されています。「100年変わらないロシア」という指摘もありますが。先生の感傷旅行、エッセイでありながら、鋭い社会分析の書になっています。また、このような目で見ると、40年前の日本と現在の日本は、どのように分析されるのでしょうか。
大学教育、その社会的機能、2
「日本の卒業率はダントツに高く、91%に達している」という調査結果を教えてもらいました。作者は大橋秀雄さん、元東大教授、工学院大学理事長を勤められた方です。
「卒業率」には、2種類あります。一つは、進学率に対応するもので、同年齢の国民のうち何割が大学を卒業しているかです。もう一つは、入学した学生のうち、何割が卒業しているかです。ここで取り上げられているのは、後者です。もう一つ、各学校ごとの卒業率があります。図を見ていただくと、一目瞭然です。イギリスで79%、ドイツで75%、アメリカでは64%です。
先生は、次のように書いておられます。
・・卒業率が低くなる原因としては:
・卒業の関門が高い。すなわち履修科目ごとに合格基準が高く、単位を取得して先に進むのに、相当の勉学と努力が求められる。
・学費が無料あるいは低く抑えられている国では、ずるずると履修が先延ばしになり、ついには中退に至るケースが多い。また学費を支援する親からの圧力が低いのも、中退を助長する。
・入学した大学での学位取得が能力的あるいは経済的に無理な場合でも、卒業がより容易な大学、学納金の安い大学、短期大学、職業専門学校へ移籍するなど、選択肢がたくさん用意されている。中退は挫折というより作戦変更と捉えられている・・
しかし、興味深いのは、次のような分析です。
・・日本の卒業率がとくに高いのは、単に卒業しやすいという判定基準の問題を越えて、社会の要請に適合してきた結果ともいえる。それは、日本の採用・雇用慣行と深く結びついている。
企業が学卒を採用するとき、大学で何を学んだかの付加価値には関心が低く、長期雇用を前提として将来にわたる発展性や協調性を重視して評価する。企業内教育での呑み込みの良さ、すなわち理解力は、大学入試の難易度の方が判断しやすいし、企業が期待する協調能力やリーダーシップは、学力試験からは分からない。それならいっそ、見込みのある学生を早く受け取って、職場で鍛えた方がいい。教えるものにとっては、悔しい状況が続いてきた・・
そうですね。日本の大学教育が、そのようなもので長続きしたのは、それを許すあるいはそれが適合する社会があったからです。「日本の大学教育の経済競争力への貢献度の低さ」も、びっくりします。「痩せたバッタと太ったサナギ」や「鶏卵業からひよこ業へ」のたとえも、わかりやすいです。