カテゴリーアーカイブ:社会

「梅棹忠夫の日本の宗教」2

2020年7月11日   岡本全勝

梅棹忠夫の日本の宗教」の続きです。その本では、次のような項目が予定されていました。
神社、氏神、祭り、伊勢参り、ハレとケ、地鎮祭と竣工式
仏教、寺院建築、庭園、僧侶、縁起、因果応報、神仏習合、廃仏毀釈、禅、精進料理、巡礼
巫女、恐山、霊験、寄進、修験道
道教、たたり、まじない、大安仏滅、七福神
葬式、墓参り、冠婚葬祭などなど。
その幅広さに納得します。文化人類学の本領発揮です。でも、なぜ先生のような視点からの議論や研究が、広がらなかったのでしょうか。

また、日本人が複数の宗教を信じることについて、それが混じり合っているのではなく、「神々の分業」であると指摘されます。これは、私たちの感覚に合いますよね。お正月は神道、結婚式はキリスト教、葬式は仏教、神頼みは神道と、目的によって宗教を使い分けているのです。
私は、このような宗教の利用は、生き方の指針や悩んだときの相談として、宗教が機能していないことです。神々の分業は、物を買うように、その時々の目的に合った神を買うのですが、心の拠り所としての神ではないのです。それは、死を迎えたときに明らかになります。

ここは、連載「公共を創る」でいずれ触れなければならないので、しばらく温め続けます。返す返すも、梅棹先生の本が出版されなかったことが残念です。

「梅棹忠夫の日本の宗教」

2020年7月9日   岡本全勝

梅棹忠夫著・中牧弘允編著『梅棹忠夫の日本の宗教』(2020年、淡交社)を読みました。梅棹先生が亡くなられてから、10年が経ちます。この本は、少々複雑な方法で、できたようです。出版社の紹介には、次のようにあります。
・・・淡交社が昭和44年より刊行した「世界の宗教」シリーズの掉尾12巻は、梅棹忠夫著「日本人の宗教」を予定するも、刊行が叶いませんでした。本書では、梅棹資料室に残されている、執筆のメモ書きに相当する「こざね」約350手掛かりに、氏がどういう話を展開しようとしていたのか、中牧弘允氏が推理しました。本稿を中心に、日本宗教に関する梅棹氏の論考・対談を集めて、幻の「世界の宗教」第12巻「日本人の宗教」を、生誕100年(没後10年)を機に刊行します・・・

中牧先生のおかげで、梅棹先生がどのような視点で、どのような項目を立てておられたかが再現されています。それを見ると、梅棹先生らしい視野の広い研究で、本にならなかったことがとても残念です。
私は、これまでの思想や宗教論が、知識人、提供者側の議論であって、受け手である庶民の視点が抜けていることに不満を持っています。「日本の思想史」「エリート文化と民衆文化
梅棹先生は、「メーカーの論理とユーザーの論理」と指摘されます。そして、ユーザーの立場から、日本の宗教状況を議論する予定だったようです。「宗教状況」という言葉が、ユーザーからの議論になっています。私の言いたいのは、まさにこれです。
この項続く

インターネット上の誹謗中傷

2020年7月4日   岡本全勝

インターネット上での誹謗中傷をどのように防ぐか、大きな課題になっています。匿名での無責任で、度を超した書き込みです。7月1日の朝日新聞「SNSが牙をむく時」と、読売新聞「ネット中傷 開示制度見直し」が専門家の意見を載せていました。

私は、このホームページでも書いているように、匿名が人を大胆にかつ無責任にすると考えています。実名では言えないことを、匿名で発言するのは、卑怯です。
両新聞に載った意見を読んでいると、匿名を守る意見は、言論の自由を守るべき、権力者への批判が萎縮するとの理由のようです。

とするなら、政治的意見や、権力者や著名人への意見は匿名を許すとして、その他の一般人への中傷的書き込みは実名を明らかにできる仕組みにすれば良いと思います。
その判断は、独立した機関が行えばよいでしょう。子どものいじめなど、許されない中傷を防止する機能を果たすと思います。

容器包装プラスチック

2020年7月1日   岡本全勝

6月28日の朝日新聞、「環境 転換点2030 脱・プラ社会:2」は「容器包装の再資源化、道半ば」でした。そこに、「廃プラスチック、再資源化の流れ」の図がついてます。詳しくは、原文を読んでいただくとして。

それ(プラスチック循環利用協会)によると、2018年の廃プラスチック総排出量は891万トンです。ちなみに、最近の米の生産量は、800万トンを下回っています。私たちが食べているお米より、たくさんのプラスチックが捨てられています。そう考えると、恐ろしいことです。
再生利用されているのは208万トン、23%でしかありません。後は、燃やしたり埋め立てられています。
工場や企業から出る分が462万トンです。家庭から出る分が429万トン、うち容器包装が336万トンです。
使い捨ての容器や包装が、圧倒的に多いのです。スーパーマーケットやコンビニでものを買ったり、持ち帰り食品を買うときに入れてもらうレジ袋は、便利ですよね。これらは、使い捨てだから便利なのです。しかし、ゴミ回収に出されず、捨てられた容器や袋は、街、野山、そして海を汚しています。

連載「公共を創る」第46回で、レジ袋の便利さと使い捨てゴミになることを指摘しました。そこでは、レジ袋の使用量を40万トンと紹介しました。いろいろ調べたのですが、正確な数字が出てこなかったのです。ひとまずこの数字を信頼すると、家庭から出る廃プラスチックの1割がレジ袋です。
7月1日から、プラスチック製レジ袋が有料になりました。

授業時間は短縮できるか、2

2020年6月30日   岡本全勝

授業時間は短縮できるか」の続きです。

阿部彩さん(東京都立大学教授)の発言
・・・私は、コロナ禍の前から「夏休みは絶対に短くするべきだ」と主張してきました。
決して「もっと勉強時間を確保すべきだ」という理由ではありません。長期の休みは、家庭間の格差が顕著に表れて、子どもたちの心身に大きな影響を及ぼすという理由からです。

いまは共働き世帯が主流なので、夏休みは一日中、留守番という子どももたくさんいます。親の経済状況によって旅行やスポーツ合宿といった体験ができるか、給食がなくても毎日きちんと栄養が取れるか、なども左右されます。
いまは虐待や貧困など様々な事情を抱える家庭が増えています。国や自治体は自治体ごとの格差や、学校単位で生まれた格差には敏感ですが、なぜか家庭間の格差には関心が低く、取り組みも不十分でした。

そんな行政の無関心さが響いたのが、今回のコロナ禍における一斉休校要請です。
苦しい状況にある家庭の支援に動いてきた居場所事業も軒並みストップしました。ドリルを買えたか、親が隣で学習指導ができたか、昼食を提供できたか……。いろいろな場面での経済格差が、休校の前と後で積み重なり、家庭間格差は確実に広がってしまったように思います。
私は、一斉休校は、家庭の事情に対する行政の無配慮から生じた「人災」だったと思います。被害者は「学校に行かない」という道しかなかった子どもたちです・・・

ここには、知識を学ぶという授業以外の、学校の機能が見えます。