10月21日の日経新聞文化欄、三島由紀夫50年後の問い、社会学者・宮台真司さんの「空っぽの日本を何で埋めるのか」から。
・・・日本人は敗戦後、一夜にして民主主義者に変わった。近年では一夜にしてLGBT(性的少数者)主義者に、ダイバーシティ(多様性)主義者になった。日本人は周りを見回して自分のポジションを保ちたがる、空っぽで入れ替え可能な存在だと三島は見抜いていた・・・
10月21日の日経新聞文化欄、三島由紀夫50年後の問い、社会学者・宮台真司さんの「空っぽの日本を何で埋めるのか」から。
・・・日本人は敗戦後、一夜にして民主主義者に変わった。近年では一夜にしてLGBT(性的少数者)主義者に、ダイバーシティ(多様性)主義者になった。日本人は周りを見回して自分のポジションを保ちたがる、空っぽで入れ替え可能な存在だと三島は見抜いていた・・・
10月9日の朝日新聞オピニオン欄「新型コロナ 感染者を責める私たち」、
三浦麻子・大阪大学教授の発言から。
・・・「被害者たたき」という現象で説明するのが分かりやすいでしょう。女性が夜間に通り魔事件に遭うと「深夜に出歩くのが悪い」と責められることがある。心理学では、本来守るべき被害者を非難する心の動きを「公正世界信念」という考え方で捉えてきました。
世界には公正な秩序があると信じることで、私たちは安心して暮らせています。しかし「公正なはず」の世界で不運に陥る人を目の当たりにすると、大きな不安に襲われる。すると人の心には、「被害者は特別。正しく生きていればそんな目には遭わない」といういびつな事実認識をして、自分にとっての安定や秩序を取り戻そうとする力が働いてしまうのです。
感染者のニュースを見て、「我慢せず遊びに行ったから」「なにか不注意があったはず」といった理由づけをしたことはありませんか。未知のウイルスなど予測不能な状況に直面したとき、人間はそこに架空でも何らかの因果関係を仕立てて理解しようとする。そうすることで自分を「守った」気持ちになるのです。
これが、不運な被害者にもかかわらず、コロナ感染者を責めてしまう心のメカニズムです。しかし、その心の動きが「人間の性」であっても、それがむき出しとなり、誹謗中傷や差別という行為にまで至れば、感染者はより深い傷を負い、社会のつながりもずたずたになる。感染を隠す人が増えれば公衆衛生的にも悪影響です。
コロナ流行下で私たちの研究グループが実施した調査では、日本は他国に比べ、この「責める」意識が強いという結果が出ました。3、4月に日米英中伊5カ国の約2千人にした調査で、「感染した人は自業自得か」という質問に「そう思う」と答えた人は、欧米3カ国で1~2・5%、中国4・8%に対し、日本では11・5%。7月の調査でも同じ傾向でした。
なぜ日本人は「責める」傾向が強いのか。規範意識が高いといった説明はありえますが、調査からはまだはっきりと分かりません。ただ、日本におけるコミュニティーのあり方が密接に関係しているとは言えると思います・・・
與那覇潤さんの発言から。
・・・なぜ感染者を責めてしまうのか。一般的なイメージには反しますが、現在の日本が世界でもまれな「個人主義の国」であることが一因だと思います。
日本では、同調圧力を恐れず、自分の意見を堂々と唱えるといった、ポジティブな意味での個人主義は乏しいですよね。しかしそうした「正の個人主義」が弱い裏面で、実は「負の個人主義」は猛烈に強いんです。
「おれはおまえとは別の存在だから、触るな、不快な思いをさせるな」というのが負の個人主義です。自分と相手を包む「われわれ」の意識がない。「自己」が指す範囲を、個体ごとに分割し、「混じるな」と間に線を引く。
多くの飲食店が今、透明なアクリル板で客席を分けていますね。しかし日本人はコロナ以前から、自分と他人の心を疑似的なアクリル板で区切ってきた。「不快な気持ちにさせただけで、相手の領域への侵犯であり、アウト」。そうした発想が定着して久しい・・・
10月5日の読売新聞夕刊に、びっくりする写真が載っていました。「変わる供養 変わらぬ祈り」。役目を終えた墓石8万基が、運び込まれている写真です。
高齢化や核家族化、跡継ぎがいなくなったことから、お墓が撤去されつつあります。その墓石が運び込まれ、並べられているのです。産業廃棄物になるのだそうです。
私の回りでも、東京へ出て来て田舎に帰る予定がない、親類に墓守を頼んでいたが続けられなくなった、一人っ子同士の結婚や子どもがいないなどの理由で、墓を片付けたという人がいます。
連載「公共を創る」で、変わる家族の姿を書いています。この写真も、それを象徴しています。
歩きスマホの実態調査があることを、教えてもらいました。インターリスク総研のリサーチ・レター<2020 No.2> 「歩きスマホに関する実態と意識について~アンケート調査結果より」(2020年8月3日)。損害保険会社のシンクタンクが調査したのは、歩きスマホが通行の妨げとなるにとどまらず、死亡事故等重大事故の原因にもなっているからです。「報告書」
この調査では、「歩きスマホ」とは、スマートフォンの画面を注視しながら歩いている(周囲が見えていない)状態のこです。画面を見ずに音楽を聴いたり、通話をしたりする(周囲が見えている)状態は除きます。
スマホ保持者の中で、歩きスマホを行う人が約60%、行わない人が約40%です。行う人の内訳は、ほぼ毎日が16%、週に数回が13%、急用など月に数回が30%です。
場所(複数回答)は、一般の歩道(横断歩道以外)73%、駅以外の建物内通路35%、駅のホーム32%、駅の構内(ホーム以外)26%、横断歩道15%です。危険な場所であると言われる「駅のホーム」や「横断歩道」での歩きスマホも結構あります。
自分が歩きスマホをしていて、または他人が歩きスマホをしていて、他人との接触経験のある人は30%を超えます。その中には、けがをした人、相手をけがさせた人、持ち物を壊した人、壊された人がいます。
歩きスマホを行う人のうち80%を超える人が、歩きスマホは「問題のある行為」だと認識しています。しかし、習慣化していてやめられない、多くの人が行っているから構わない、他人に迷惑をかけない自信があるから構わないと答えています。
スマホ保持者の中で、歩きスマホに対しペナルティの必要性を感じる人は、約90%です。
9月15日の朝日新聞オピニオン欄、宮台真司・都立大教授の「国民の自意識、痛みを粉飾」が、現在の日本の状況を鋭く分析していました。
「見たいものだけを見る」ということです。
経済について言えば、アベノミクスによって、株価上昇と低水準の失業率が語られます。ところが、先進国の中で日本だけが1997年から実質賃金が低下を続け、1人あたり国内総生産は2018年に韓国とイタリアに抜かれました。
社会指標も、若年層の自尊心や家族への信頼度も極めて低く、子どもの幸福度は先進国で最低水準です。
宮台さんの見立ててでは、国民の自意識が鍵だと言うことです。
本当は経済的に苦しいのに、自意識のレベルではそうではないことにする。「見たいものだけを見る」のです。格差や分断による痛みは、他人と共有して初めて政治的な討議の課題になるのですが、その手前で自意識の問題に「回収」されてしまいます。
「若年層の政治的関心が低いのも、自分が置かれた状況の真実に向き合うのがつらいからです」と指摘されます。
納得です。それを政治課題にしない、政治、マスメディア、有識者の責任でしょう。