カテゴリーアーカイブ:社会と政治

国際公共財インターネット

2022年5月28日   岡本全勝

5月16日の日経新聞オピニオン欄「ネット空間に分断の危機 識者に聞く」は、考えさせられます。
・・・インターネットで国内外の情報を手軽に閲覧できるのは、ネット空間を国際的な公共財としてIT(情報技術)企業や各国政府が協力してきたからだ。それがロシアのウクライナ侵攻や強権的な政治体制の広がりで揺らいでいる。ネット空間は「分断」を避けられるのか、ネット管理の国際団体や識者などに尋ねた・・・

ICANN CEO ヨーラン・マービー氏
民間非営利団体「ICANN」の役割は2つに絞られる。ひとつはコンピューターをインターネットに接続できる環境を保つこと、もうひとつはネット上の住所といわれるドメイン名を使って、人々がお互いを探しあえる状況を維持することだ。これ以外の役割は持ち合わせていない。
ウクライナ政府は2月末にロシア政府発の偽情報やプロパガンダを防ぐため、ロシアに割り当てられた「.ru」ドメインの取り消しなどの措置をICANNに要請した。
深刻な内容と受け止めて真剣に協議し、迅速で明快な回答を心がけた。ただ、技術的に不可能ということもあり、従来の姿勢を貫く形となったのが実情だ。政治的な判断ではない。
インターネットは約35年という短い期間で、世界の利用者がゼロから52億人へと急拡大した。しかも、機能不全に陥ることもなかった。技術的なシステムが機能し続けることは珍しい。非中央集権型の運営方式を採用していることが成功の理由だと考えている。
世界には多くの通信網があり、どのような情報が流れるべきかといったルールはそれぞれの通信網が決めている。ICANNは異なる通信網のコミュニケーションに必要な「共通言語=インターネットプロトコル(IP)」を管理する中立的な存在で、誰かを遮断することは目的ではない。
日常生活の違法行為はネットでも違法であり、こうした明確な悪には対応できる。だが、何が悪なのかといった定義を決めるのは私たちの仕事ではなく、選挙で選ばれた政治家が担うべきだ。ICANNのような技術団体が「だれが悪人か」と判断を下すのは適当ではないと考えている・・・

慶応大教授 村井純氏
インターネットを巡り起きる課題にどう対処するかは、狭義のインターネットと広義のインターネットに分けて考えるべきだ。
「狭義」はIPアドレスとドメイン名で、ICANNが運用を担うネットのインフラ部分だ。「広義」はその上に広がる各種のアプリケーションやサービスで、SNS(交流サイト)やメディアも含む。
課題ごとに対処方法をインフラ側で決めるか、その上に広がる社会で決めるか考えなければならない。
例えばフェイクニュースやコンテンツの海賊版を止めるため、インフラとしてのネットを遮断するのはどうだろうか。その選択はあり得るだろうが、ネットが教育や健康などでも大きな役割を果たしていることにも注意すべきだ。
別の対応方法も考えられる。ネットで流通する情報に、著者は誰なのかという情報をひも付けることだ。情報にトラスト(信頼)を与えて、(トラストがない)フェイクニュースへの対抗とすることは技術的には可能だ。欧州連合(EU)では取り組みを進めようとする動きもある。
解決策をどの層で作るのかは今後しっかり整理した方が良い。例えばサイバー攻撃なら、狭義のインターネットの層で対応している。ネットの専門家が国籍を問わずに情報共有する仕組みが機能している。
ネット空間の統治については、国連のインターネット・ガバナンス・フォーラム(IGF)があるが、国連は政府間の調整機関で、IGFもまだ議論の場にとどまっている。
狭義のインターネットはどの国の政府の管理にも属さないという考えで運用が図られてきた。政府間調整とは異なる、グローバルな統治の場をつくる挑戦は今後さらに必要になる・・・

ゼロリスク信仰を乗り越える

2022年5月23日   岡本全勝

「ゼロリスク信仰」という言葉があります。身の回りの危険は完全に防ぐことはできず、完全に防ごうとすると、行動が制約されたり費用がかかったりします。専門家は危険の程度を客観的に説明するのですが、ゼロリスクを信仰する人たちはそれらの危険を程度と考えず、安全か危険かの二者択一で考え、主観的に危険をゼロにすることを求めるのです。食の安全、原子力事故、感染症などで現れました。

ゼロリスク幻想との決別」(読売クオータリー2021春号2021年7月30日)に、BSE(牛海綿状脳症)での全頭検査、福島県産農作物の放射性物質検査について、安全性が確認された後も検査を続けたことの無駄が指摘されています。

対照的なのが、新型コロナウイルス感染症対策です。
感染拡大を防ぐには、外出しないことが効果的です。当初は全校休校や飲食店などの休業が実施されました。感染を押さえ込む「ゼロコロナ」という考えも一部にはありましたが、それは現実的ではないと分かりました。
すべての外出を規制すると、社会活動や経済活動が停止します。百か零かという二者択一は取ることができず、どこかで折り合いを付ける必要があります。そして、多くの国民は家に引きこもることなく、マスクを付け三密を避けて外出しました。その後も、感染が拡大すると規制が強化され、感染が縮小すると規制を緩めるということを繰り返しています。

これは、ゼロリスク信仰を克服する良い経験でした。感染拡大を防ぐためには行動制限が必要ですが、まったく外出しないわけにはいきません。安全と危険の程度を秤にかけて、どこかで折り合いを付けなければならないのです。
BSE牛や原発事故農作物の検査の場合は、消費者はそれらの検査は供給者に要求すれば良いのに対し(ただしその費用は税金などです)、コロナ感染症予防の行動制限は、全員が自ら判断しなければならないのです。そして、国民はその試練を乗り越えています。

個人情報の組織間共有

2022年5月17日   岡本全勝

日本都市センターの機関誌「都市とガバナンス」第37号に、寺田麻佑・国際基督教大学教養学部上級准教授執筆「異なる組織間における個人情報の取得・利用・共有―ポストコロナ時代の危機管理の課題―」が載っています。

「個人情報の取得や利用、共有は、緊急時において必要となることが多い。しかし、日本においては、組織を超えた利用に関して、各組織において個人情報保護条例や個人情報保護法の解釈が異なる結果、必要な情報が共有されずに緊急に必要な支援などがなされないという事態が発生している。
この点については、2021 年の個人情報保護法改正によって制度改正がなされたこともあり、大きく状況は変わるものと考えられるが、改正個人情報保護法の完全施行前の現在は、自治体・組織間における個人情報の共有にまだ大きな課題がみられる。ポストコロナ時代の危機管理のためにも、緊急時や災害時においては、人命が何よりも優先されることから、個人情報の緊急時における取得・利用・共有については、法改正前からも可能であったことが認識される必要がある。
本論考は、危機発生時の組織間の個人情報の取得・利用・共有について、コロナ対応のための法改正と災害法制を振り返り、通知やガイドラインによって主に共有が促進された現状には限界があることを指摘し、ポストコロナ時代の危機管理としても、緊急時・災害時における個人情報の取得・利用・共有が可能であることについて、法律に明記すべきであることを提案するものである。」

個人情報の組織間共有について、日本の法と条例の課題とともに、ドイツでの実態がまとめられています。

孤独が支えるトランプ現象

2022年5月7日   岡本全勝

4月19日の日経新聞オピニオン欄、小竹洋之コメンテーターの「孤独が支えるトランプ現象 米国の民主主義、岩盤もろく」が、トランプ前大統領を支える国民と社会を分析しています。

トランプ前大統領を支えたのは、優越的地位が揺らいだ白人、格差拡大に不満を持つ貧困層ですが、もう一つは、中高年の白人、退職や離別などの事情を抱え社会的に孤立した人たちです。貧困や格差という経済原因と、孤独・孤立という社会的原因がその基礎にあります。
パットナム教授の「孤独なボウリング」が、説明に使われています。記事には、1990年と2021年の親しい友人の数が比較されています。

連載「公共を創る」で、孤独、社会的つながりの希薄化が個人の不安を増やし、社会を弱くすると説明しています。それだけでなく、民主主義、政治をも掘り崩します。

コロナ対策に見るリスクコミュニケーション

2022年4月4日   岡本全勝

3月26日の朝日新聞夕刊、福田充・日本大学危機管理学部教授へのインタビュー「危機に強い社会になるには」から。

こうした研究を始めた契機は1995年。東大大学院で、メディア研究をしていたころにさかのぼる。
「修士論文を出した直後に、故郷で阪神大震災がおき、調査に入りました。初動対応がもっとうまくいけば助かった命があったのではないか。被災地で怒りをおぼえました。3月には地下鉄サリン事件があり、テロ対策の研究の貧弱さを知り、人の命を救う研究をしようと。それまでのテーマを捨てました」
日本では当時、「危機管理」の研究はタブー視されていた。「テロや犯罪対策は国民を監視するもの、有事を想定するとは戦争ができる国にするためか」と批判された。東大を離れるまでひっそりと研究を続けた。その後、新型インフルエンザが流行し、感染症がテーマに加わった。

新型コロナ発生から3年目。日本の対策は、戦略不在で場当たり的だったとみている。
「飲食店への時短要請や外出自粛など、短期的でミクロな『戦術』しか示せていません。必要なのは長期的な『戦略』なのに、政府は対策の道筋やゴールを示していません」
2012年には、緊急事態宣言もだせる新型インフルエンザ等対策特別措置法ができた。準備がなかったわけではない。
「しかし地方自治体や企業、病院などに知識や議論が共有されていなかった。日本のコロナ対策が比較的うまくいったとされるのは、国民の絶大な協力があったからだ」

その一方でこの2年間、社会全体のために個人の私権制限がどこまで許されるか、犠牲はどこまで許容すべきか。こうした議論はほとんど進まなかった。
「同調圧力というか、空気に支配される国民性のおかげで、マスクを着けるとか外出自粛といった基本対策は進みました。でも個人が考え、意見を出し合い『ここまですべきだ』と決めるリスコミはできていません。これでは民主主義の国といえません。皆で議論し、納得したところで線引きするのが答えで、結論になるのです」

国民の顔色をうかがい、議論の提案を政府が避けてきたとも解釈できる。
「リスクを考えることを避ける国民性のため、合意形成が簡単にできないと政府にはわかっている。支持率が下がるならやめておこうとなる。でもここを打破しなければならない。危機管理できる社会になれば、近代化の階段を上れる。リスコミの民主主義化が必要なのです」