11月12日付け日経新聞「地方創生空転10年、深まる国依存 分配ありき、成長と逆行 かすむ分権」には、東京一極集中について、次のような指摘もあります。
2019年までは東京都の人口増が10万人程度で、その7割が日本人でした。ところが、2023年には7万人増えているのですが、その9割以上が外国人なのです。
日本人だけ見ると、ほとんど増えていません。地方からの転入が11万人もあるのに増えていないということは、自然減との相殺でしょうか。
社会
11月12日付け日経新聞「地方創生空転10年、深まる国依存 分配ありき、成長と逆行 かすむ分権」には、東京一極集中について、次のような指摘もあります。
2019年までは東京都の人口増が10万人程度で、その7割が日本人でした。ところが、2023年には7万人増えているのですが、その9割以上が外国人なのです。
日本人だけ見ると、ほとんど増えていません。地方からの転入が11万人もあるのに増えていないということは、自然減との相殺でしょうか。
10月25日の朝日新聞「日本人女性の声は「世界一高い」?」から。
・・・海外の映画やニュースを見ていつも思うのは、女性の声の低さです。翻って日本では、細く高い声の人が多い印象です。「世界一高い」と言う専門家もいます。「声は社会の産物」と指摘する音声認知の専門家、山崎広子さんに、その意味を聞きました。
日本人女性の話す声は、確かに世界で最も高音の部類です。体格で言えば本来、身長160センチほどの成人女性なら地声は220~260Hz、ピアノなら真ん中のラ~ドあたりが自然ですが、日本の多くの女性は300~350Hz、場合によっては1オクターブ近く上の声を出している。これはほぼ裏声です。
本来もっと低い声のはずの人まで、なぜそんな甲高い、のどを絞った風な発声をするのか。社会が、もっとはっきり言えば男性が、それを暗黙裏に求めているからです。
高い声は、生物の共通認識として「体が小さい」を表します。子どもは声帯も声道も短いから声が高い。つまり高い声は、未熟、弱い、可愛い、保護対象といったイメージと結びつく。日本の女性は、そう自分を見せねばと、無意識に刷り込まれてきたと言えます・・・
10月26日の朝日新聞夕刊、越直美・元大津市長の「役員に女性、新発想を生む多様性」から。
・・・「キヤノンショック」という言葉を聞いたことがありますか。昨年3月のキヤノンの株主総会で、御手洗冨士夫会長兼社長CEOの取締役再任の賛成率が50・59%しかなかった衝撃をさします。もし1%賛成率が下がっていれば、再任に必要な過半数の賛成は得られず、御手洗氏の選任は否決されていました。
御手洗氏は経団連会長も務めた著名な経営者。なぜ、賛成率がこれほど低かったのか。女性の取締役の不在が理由だとされています・・・
・・・機関投資家が女性役員の選任を求めるのは、そのほうが企業の業績が上がると考えているからです。実際、女性役員がいる会社といない会社を比べると前者のほうが株式パフォーマンスがよいというクレディ・スイスの世界的な調査結果があります。本当?と疑う方もいるでしょう。そこで自身の体験を通じ、女性役員の意義を述べたいと思います。
私は36歳で大津市長になりました。市役所は終身雇用・年功序列の組織で幹部は50代の男性が多かった。様々な案件を巡り、幹部からは反対があり、衝突することもありました。私は当時、自分が年下の女性だからと思っていましたが、今は違うと考えています。真の原因は私の方針が従来のやり方と違っていたことでした。
私は市長として保育園整備や中学校給食など子育て施策のために予算を使い、それ以外の予算を削減しました。これまで自治体は人口増にあわせて道路や公共施設をつくってきましたが、人口減を迎えるとやり方を変える必要がある。何かを増やすには何かを減らさなければなりません。それがなかなか理解されませんでした。同じ組織に長期間いると視線が「内向き」になり、外の変化が見えにくくなったり、やり方を変えられなくなったりするのではと気付いたのです。
これは市役所に限りません。企業でも似たようなことがあるのではないでしょうか。
平成以降の日本経済は「失われた30年」と言われ、世界を変えるようなイノベーションは生まれませんでした。イノベーションには従来と異なる発想が必要です。女性、若者、外国人など、企業の意思決定に関わることが少なかった人の参加、ダイバーシティーが大切です。
取締役会に女性が入るとどうなるか。女性がこれまで誰も聞かなかった、基本的だが大切な質問をする。それを受けた発言が続く。会議の「予定調和」が崩れて議論が起こり、新しい発想が生まれる。これこそが多様性の目ざすところです。
一方、女性役員は増えたが、増えているのは社外役員という実態もあります。社内から昇進する社内役員に対し、他の会社の経験者、弁護士、会計士などが社外役員となります。
社外役員が増えるのは、コーポレートガバナンスの観点からは良いことですが、男性役員は社内が6割、社外が4割なのに、女性役員は社内が1割、社外が9割。この差はどこからくるのか。女性が社内で昇進するのが難しいからです・・・
10月5日の朝日新聞オピニオン欄「ニュースを避ける人々」、澤康臣・早稲田大教授の「攻撃的なSNSに疲労感」から。
・・・英オックスフォード大学のロイタージャーナリズム研究所は、人々のニュースへの態度を調査しています。ニュースへの関心自体の低落傾向が続く中、2024年調査(47カ国・地域が対象)では「あえてニュースを避けている」人の割合が39%に上りました。17年から10ポイント上昇し、避けていたニュースは戦争や災害、政治などでした。このように、情報の中でニュースだけを避けようとする傾向は「選択的ニュース回避」(selective news avoidance)と呼ばれ、注目されています。
従来の「ニュース離れ」は、長くニュースの器だった「新聞離れ」にも重なる意味合いがありました。SNSなど、新しいプラットフォーム経由でニュースに触れる機会自体は増えていました。選択的ニュース回避は、「別の新しい器に盛られても食べない」という態度で、ニュース自体への忌避感です。
「避けたいと思うニュース」は各国によって傾向が異なるようです。23年調査では、例えば米国では右派が環境問題や格差社会の話題を強く忌避、左派は犯罪や個人の安全の話題は比較的避けようとする傾向がある、としています。
同研究所が「ニュースの量にへきえきしているか」と聞くと39%がイエスでした(24年調査)。ただ、この「へきえき感」を、単純に量の問題と考えるべきではない。ニュースへの接触方法が、ネットやSNS経由へと移ったことで起きる現象の一つだとみています。批判、罵倒など強い言葉ほど拡散しやすいのがSNS空間ですが、ニュース伝達でも、特に戦争や政治ではとげとげしい言葉や感情的なコメントなどの量が多く、そのためにニュース疲れを感じている面が強いのではないかと思います・・・
・・・戦争や災害、政治などのニュースは決して愉快ではありません。それを落ち着いて伝えることがニュース回避への処方箋かもしれません。不愉快な事実こそ、「民主主義の運転手」たる市民が社会を安全に進ませるには必要なのです。ニュース回避が進めば、民主主義は危機にひんします・・・
10月4日の朝日新聞オピニオン欄「壊れやすい日常」、呉勝浩さんの「怒りの沸点下げる、不信感」から
・・・たいていのことでは自分の日常は変わらない。仮に影響を受けるようなことが起きたとしても、結局それに対して自分が何かできるわけでもない。そんな感覚が根強いように感じます。
コンビニで弁当の値段が上がったとしても、SNSに文句を書き込んで「いいね」が集まってそれで終わり。抗議などの行動に出ることなく、値上げされた弁当を買うしかないのが普通の人の現実でしょう。
なぜそんなふうに日常が強固になっているのか。「この世界は信頼できる場所だ」という実感を持てなくなっているからではないかと僕は考えます。
言葉があまりにも軽々しく使われ、詭弁を垂れ流す「インフルエンサー」がもてはやされる。弱い者が強い者に抵抗するためにあるはずの法律やルールを、強い者が批判をかわすために悪用する。しかるべき人間が責任を取らない。
そんな社会では、自分の日常に閉じこもるしかないのではないでしょうか。
一方で、日常というのは退屈でつまらないものです。そうなると人間は快楽を求める。完全に清廉潔白な組織や個人など存在するはずもないのに、なにか落ち度があると激しく攻撃する風潮もその一つです。その矛先はいつ自分に向かうかもしれず、社会への不信感はさらに増幅していく。
こうした負の連鎖を断ち切り、「この世界は信頼できる」という実感をどう取り戻すのかはとても難しい課題だと思います。原因がたくさんありすぎますからね。それでも僕にいま言えるいちばん簡単な処方箋は「人をバカにするのはやめよう」ということです。
傷つきたくないという気分が非常に強まっているのを感じます。バカにされた側の怒りの沸点は、想像以上に低いかもしれない。これは本当に怖いことで、取り返しのつかないことが起きかねません・・・