「生き方」カテゴリーアーカイブ

生き様-生き方

「ぼんやりの時間」

ぼんやり考える時間」の続きにもなります。
辰濃和夫著『ぼんやりの時間』(2010年、岩波新書)が本の山から発見されたので、読みました。辰濃さんは、朝日新聞の天声人語を長く執筆された方です。

自らの経験と古今の書物などから、多角的に「ぼんやり」を分析されます。もちろん、仕事などの際に「ぼんやりするな」と叱られる「ぼんやり」「ぼんくら」ではなく、ぼーっとしている「ぼんやり」です。
ぼんやりについて書かれた本ですが、ぼんやりとは読むことはできません。難しくない文章と内容ですが、それなりに頭を動かす必要があります。

先日書いた「ぼんやり考える時間」は、物事を考える際の「集中しないで思い浮かべる」手法でした。辰濃さんの「ぼんやりの時間」は、さらに緩めて「物思いもしない」状態のようです。さらに緩めると、意識が落ちて寝てしまうのでしょうね。

地球の未来を議論する財界人

3月24日の日経新聞夕刊「私のリーダー論」、末吉竹二郎・国連環境計画・金融イニシアチブ(UNEP・FI)特別顧問の発言から。
末吉さんは、日興アセットマネジメント副社長の時に、2000年にフランクフルトのドイツ銀行本店で開かれたUNEP・FI主催の円卓会議に招かれて講演します。欧米の金融機関幹部300人ほどが集まっているその席で、ドイツ銀行頭取が金融が地球環境改善にいかに大事かを30分間話すことに衝撃を受けます。

・・・当時は「失われた10年」などと言われ、日本の金融機関では不良債権や人員削減の話ばかり。地球の未来を話し合っている欧米との差はあまりに大きい。このギャップを埋める仕事を誰かがしなくてはいけないと思ったのです・・・
そして12人からなる委員会に入ります。欧米以外では初めてでした。

「リーダーを目指すあなたへ」として、次のように述べておられます。
世界の人々が何を考えているのかを絶えず考えてください。社会のあり方や価値をめぐる国際的な議論の輪に加わってください。自分の国や地域の伝統や文化は大切ですが、時には「ノー」を突きつける勇気が必要です。

受験生、ネット社会での不安

3月16日の朝日新聞「専門誌に聞け」「螢雪時代」巻田裕孝編集長の発言から。

・・・受験生には時代を超えても変わらない部分、逆に様変わりしている部分があると思います。
私は日頃、数多くの受験生や元読者の学生に取材しますが、接して感じるのは、自分の人生を切り開くため、性格はひたむきで素直なこと。必ずしもガツガツしているわけではなく、上をめざして懸命に頑張る子が多い。これは、昔とあまり変わらない受験生像かもしれません。

逆に変わった点はスマホやSNSの登場という環境の激変と関係しています。多くの受験生は、ネット社会ゆえの不安、人間関係上のストレスという問題と向き合っていると感じます。
こんな例があります。周囲の友だちはみなSNSをしている。しかし、自分は第1志望校をめざすため、SNSをやめたほうがいいかもしれない、と思う。ただ、やめると友だち関係が断ち切られるのでは……という不安。人間関係に鋭敏、過敏になっているな、と思います。
私たち編集部から高校生に、どんな特集をしてほしいか尋ねる機会もあるのですが、最近は「メンタル克服術」「ストレス解消法」「息抜きの仕方」といったリクエストも多いんです。これも、今の受験生の胸の内を反映しているかもしれません・・・

日本語ワードプロセッサ「一太郎」

日経新聞「私の履歴書」3月は、コンピューターソフト会社、MetaMoJi(メタモジ)社長の浮川和宣さん。ワープロソフト「一太郎」を生んだ、ジャストシステムの創業者です。

私は「一太郎」派です。日本語を書くには、一太郎の方が「ワード」より圧倒的に使いやすいです。縦書きの日本語を使う人が作ったソフトと、横書きのアメリカでできたソフトを日本用に改造したものとの違いです。さらに、ワードは余計なことをしてくれて、困ったものです。

一太郎は1990年代まで、圧倒的に受け入れられていました。その後、マイクロソフトの抱き合わせ販売戦略に負けてしまいました。独禁法違反ではないかと、私は思いました。24日の記事で、浮川社長も「アンフェアな商法だと」憤っておられます。
それでも、日本語で文章を書く人たちが、ウインドウズを買ったときに一緒についてくるワードを使わず、一太郎を別に買って使っていました。

マイクロソフトが、個別ソフトで勝負せず、ウインドウズをプラットフォームにして他のソフトと協業する戦略をとっていたら、違った世界ができたでしょう。
近年は、ワードしか受け付けてくれない会社が多く、一太郎で書いて、ワードに変換して送っています。「文房具へのこだわり」「日本語は縦書き

つながっていない電話に話す「風の電話」

3月11日の朝日新聞オピニオン欄、佐々木格さんへのインタビュー「心の復興と共に」から。
・・・東日本大震災から11年が経った。甚大な被害を受けた岩手県大槌町の鯨山(くじらやま)のふもとにある、電話線のつながっていない「風の電話」。今も様々な喪失感を抱いて、受話器を握る人が全国から訪れる。自宅の庭園にこの電話を置いたガーデンデザイナーの佐々木格さんに、「心の復興」とそこから広がるまなざしについて聞いた・・・

――「風の電話」を庭に置いたのは、震災の前でした。
「電話ボックスの中には、『あなたは誰と話しますか』で始まる筆書きの詩を掲げています。これは、電話を置くきっかけとなった、いとこが書きました。震災の2年前の10月、彼は末期がんの床にありました。私は以前、親類の女性が息子を交通事故死で失い、失意で心の病になって亡くなったことを思い出しました。いとこと家族がつながり続けるすべが何かないかと、この電話を思いつきました」

――いとこと残される家族をつなぐための電話だったのですね。
「そういうきっかけですが、彼の遺族のためだけを考えたわけではなかったのです。何らかの理由で誰かに会えなくなって、喪失感を抱えている人が思いを伝える場所になればいいな、と思ってつくり始めました。『風の電話』と名付けたのは、風を『見えるもの』『聞こえるもの』『つながるもの』の象徴として考えたからです。英語で精神や霊魂を意味する『スピリット』は、風や空気を表すヘブライ語に由来しているそうですね」
「春になれば、周囲の植栽などを整えて仕上げようとしていた2011年3月11日、震災が起きました」

――ここ大槌町でも、多くの方が亡くなりました。
「風の電話は4月に完成した後、新聞に取り上げられたのをきっかけに、震災犠牲者の家族や友人らが次々と訪れるようになりました。亡くなった人につながる。天国につながる。そんなことはあり得ないんだと、みんなわかっていてやって来るんです。けれど、かけ終わると『気持ちが伝わったようだ』『電話の向こうで聞いていると感じ取れた』とおっしゃいます」
「妻を亡くしたある男性は、3回目に訪れてやっと、受話器に向かって思いを語ることができたそうです。電話ボックスの中で、大声で泣きながら話していました。あの中は守られた空間なので、感情を爆発させることができます。その後も男性は何度か訪れました。今は前を向いて、故郷の復興のために力を尽くしています」

――風の電話には、思いを引き出す力があるのですね。
「電話をかければ神がかり的なことが起きるわけでもないし、ここには医者も心理療法士もいません。いとこの書には『風の電話は心でします』とあります。ここを訪れた人は、自ら内面を出して、何に悲しんでいるのか、怒っているのかを話すことで、心と向き合っている。そして自分を納得させるため、前に踏み出そうとしているのでしょう。心理学者のユングによると人の心には欠けたものを補おうとする働きがあるそうですが、電話ボックスに身を置いて受話器を取ることで、自分自身の心が持っている治癒力を呼び覚ますのかもしれません」
「被災して、家族や大切な人を亡くした心の傷を抱える人はたくさんいます。苦しみや悲しみはずっと残り続けるかもしれません。それでも電話ボックスに置いてあるノートには、その悲痛な思いより、『あなたの分まで生きる』というような記述が目につくようになりました。自分の方へ意識を向けかえているような言葉が、年々増えているように感じます」

――この11年間で、風の電話の受話器を取った人はのべ4万5千人にのぼります。