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再読『リシュリューとオリバーレス』

『リシュリューとオリバーレス―17世紀ヨーロッパの抗争』を、もう一度読みました。『スペイン帝国の興亡』を読み、やはりもう一度読もうと思いました。「16世紀スペイン衰退の理由」。前回は、2017年に読んだようです。「歴史の見方」。その本が見当たらないので、図書館で借りました。

読み終わって得た知識と読後感は、前回書いたものと同じです。すなわち、すっかり忘れていたということです。寝る前のお気楽な読書として読んでいるので、仕方ないと言えばそれまでですが。情けない。

この本も、スペインの衰退の原因は何かという観点から、読みました。産業などの国力、国の政治構造、戦争などの他国との駆け引き、指導者の役割など、さまざまな要素が絡み合います。
著者であるエリオット教授も、最終章「勝者と敗者」で、フランスの隆盛を導いたリシュリューを勝者と、スペインの没落を招いたオリバーレスを敗者と見る通念に疑問を呈します。両者の勝敗は、紙一重であったと主張します。
20年間にわたって両国の政治指導を担った二人が、どれだけのことをしたのか。どれだけのことができたのか。

二人の目標は、それぞれの国を大国として、国王を立派な君主とすることです。
しかし首席の大臣とはいえ、権勢を振るうことはできません。それぞれ国王の信頼をつなぎ止めることに苦労し、足を引っ張る勢力と戦います。
現在の民主政治の指導者と同様に、思ったことを自由に実現することはできないのです。経済産業、国民の気質、政治構造といった「所与」の条件の上で、国王・貴族・役人・外国などとの「政治操作」を行います。二人とも苦労を重ね、妥協し、しばしば挫折します。この項続く。

「先の大戦」、内容と名称2

「先の大戦」、内容と名称」の続きです。
読者から、『決定版大東亜戦争』(下)、庄司潤一郎執筆第13章「戦争呼称に関する問題―先の大戦を何と呼ぶべきか」を教えてもらいました。別の著者からいただいていたのが本の山にあったので、早速、その章だけ読みました。

36ページにわたる、詳しい解説です。
当時の政府が大東亜戦争と名付け、占領軍がその名称を禁止したこと。それを避けるために、太平洋戦争という名称が使われ始めたこと。しかしそれでは、それ以前に始まっていた中国での戦争が含まれないこと。左翼系研究者から15年戦争との名称が提起され、その後、アジア・太平洋戦争という名称が生まれたことなどです。
地理的にどこを含むのか、時間的にどこまで含むのか。名称をつけるとして参戦国を入れるのか、戦争目的をどう理解するのか、そして歴史的にどのように位置づけるのか。論者によって意見が異なります。

とはいえ、政府がいつまでも「先の大戦」と呼び続けるのは問題でしょう。しかし、難しいですね。国民や識者に意見の違いがあり、それはそれとしつつ名称をつけるしかありません。それをどのような手順できめるのか。政治的、行政的に類例はありますかね。文科省が検定する教科書での記述が、一つの参考になります。

私はその点で、「新型コロナウイルス」という名称もおかしいと考えています。次に、新しい新型コロナウイルスが広まったときに、どのような名称をつけるのでしょうか。こちらの方は、学者に決めてもらったら良いと思いますが。

16世紀スペイン衰退の理由

J・H・エリオット著『スペイン帝国の興亡』(1982年、岩波書店)。スペイン旅行をきっかけに、本の山から発掘し読みました。上下2段組、430ページの本なので、布団で読むには3週間近くかかりました。読み物としては易しく読めるのですが、1469年から1716年までの250年の歴史であり、知らない人名がたくさん出てきて、こんがらがります。

どうしてスペインが世界一の大国になり、どうして没落したか。この本も、それを追った本です。スペインが領土を広げたのは、婚姻と相続です。それらを、相続や独立などで失います。
次に、スペイン本国、カスティーリヤの没落についてです。本書は、各地方の権力が強く、王政を強くする中央集権の試みが挫折したことに、焦点を当てています。また貴族たち特に大貴族と教会の力が強く、王が意向を通すことができません。経済的にも、貴族や教会が土地と農民を支配するとともに、農業や産業の振興に力を入れません。中世の大国が、近世の国家に転換できなかったことに、没落の原因があるようです。

大国の興亡は、経済力、軍事力などに理由があるようですが、地理的、自然的条件だけでなく、国民の意識や政治による舵取りも重要な要素です。本書はその点も指摘します。第8章栄光と苦難に、次のような分析が書かれています(334ページ)。黄金時代と言われたフェリペ2世(在位1556年-1598)から衰退したフェリペ3世(1598年-1621年)の時代です。

絹産業で栄えたトレド市は、経済発展を持続するため、リスボンまでタホ川を航行可能にしようと試みます。途中まで完成したのですが、放棄されます。技術的な問題などもあったのですが、決定的な理由は、セビーリャ市の反対です。彼らが行っているトレドとリスボンの商取引が脅威を受けるからです。これ以外の計画も、個人間や都市間の対立を乗り越えることができず、公共事業への投資の消極性、そして行動する意欲を奪う無気力が指摘されています。

「何を提案しても採用されないから、やめておこう」「今のままでも問題ない」という閉塞感と無力感は、日本のいくつかの職場でも聞く話です。

「先の大戦」、内容と名称

10月2日の日経新聞夕刊、斉藤徹弥・編集委員の「「新しい戦前」に必要な思考 多面的で柔軟な外交が重要」に次のような話が載っています。

・・・筑波大学名誉教授で国立公文書館アジア歴史資料センター長の波多野澄雄さんは「先の大戦は4つの異なる戦争が重なったものだ」とみています。
まず日中戦争です。1937年から45年まで戦った一番長い戦争です。2つ目は日米戦争で、太平洋を舞台に多くの犠牲者を出しました。3つ目が東南アジアでの日英戦争です。フランスやオランダを入れてもよいでしょうが、東南アジアの独立に影響を及ぼしました。最後が45年8月から1カ月弱の日ソ戦争です。

先の大戦は、多大な犠牲を払い、あらゆる人に影響を与えました。その教訓も多岐にわたり、理解するのは容易ではありません。このように戦争を4つに分けて考えれば、それぞれの戦争の目的や被害、残した負の遺産などを考えやすくなるでしょう。戦争を多面的にみることができるようになるかもしれません・・・

4つに分けるのは、わかりやすいです。
では、全体を何と呼ぶか。「先の大戦」と呼びますが、悩ましいです。「第二次世界大戦」は日本がアジアで行った戦争だけでなく、ヨーロッパでの戦争を含みます。
当時の日本政府は1941年(昭和16年)に始まった戦争を「大東亜戦争」と呼び、その前に始まった日中戦争は「支那事変」と呼んでいたようです。戦後は「太平洋戦争」が使われるようになりましたが、これは対米戦争を表す言葉でしょう。

永遠の都ローマ展

先日、キョーコさんのお供をして、東京都美術館の「永遠の都ローマ展」に行ってきました。展示されている彫刻などは素晴らしく(複製もありますが彫刻の場合は、鑑賞するには問題ないですね)、なかなかのものでした。
目玉であるカピトリーノのヴィーナスのほか、カピトリーノの牝狼(歴史の教科書に出てきます)、コンスタンティヌス帝の巨像の頭部(写真で見たことはありますが、こんなに大きかったのですね)・・・。

もっとも、「永遠の都ローマ展」と銘打っていますが、カピトリーノ美術館展という方が正確でしょう。古代ローマから近世までの歴史をたどったもの、全貌を紹介する展示ではありません。
中世の教皇や貴族たちが集めた古代ローマの美術品。ローマ教会にとっては異教の品々です。それに気がついて教皇が手放して、ローマ市に寄贈したのが、美術館の起源のようです。ともあれ、現代に伝わったことはよかったです。ヴィーナス像は、地中に隠され、ずっと後になって掘り起こされたとのこと。だから、保存されたのですね。

見た後は、いつものように美術館の食堂で昼ご飯を食べました。ゆったりとした気分で、心地よい時間でした。室内を見渡すと、ほぼ満席。
で、男性は1割ほどで、残りは女性客です。お店の従業員に「男性客はこんなに少ないのですか」と聞いたら、「ええ」と笑っておられました。