5月22日の読売新聞に、「ニッポン人気、英語に反映」が載っていました。世界の英語の動向を調べているアメリカの調査会社によると、今年の流行語の暫定一位は、emojiです。そう、携帯メールでおなじみの「絵文字」です。日本語がそのまま、英語として通用しているのです。昨年12月には、オックスフォード英語辞典(OED)にも収録されています。「携帯」(keitai)は、4年前から載っているのだそうです。
近年は、漫画、アニメ、ラーメン、枝豆まで載っています。富士山、芸者、腹切りといった古典的日本文化でなく、新しいしかも生活文化が世界に広がっています。
記事に紹介されていた、寺澤盾著『英語の歴史』(2008年、中公新書)を読みました。どのようにして現在の英語ができあがったか、わかりやすく解説されています。なぜ、あんなに綴りと発音が違うのかも。
言葉は不思議なものですね、誰かに命令されるわけでもなく、みんなが使っているうちに、それが標準になる。母音も、誰も指示しないのに、大きな法則の下に時間をかけて変化します。それで、こんなに綴りとずれてしまいました。
さて、今後、世界の人の多くは、英語を話さなければ仕事にならないでしょう。国際語となってさらに普及するためには、綴りをなるべく発音に近づけてもらいたいです。nameを、ナメーと覚えた一人。
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ウクライナの歴史
黒川祐次著『物語ウクライナの歴史-ヨーロッパ最後の大国』(2002年、中公新書)を読みました。読みやすく、勉強になります。
1991年、ソビエト連邦の崩壊で、ウクライナが独立します。5,000万人の大国が、出現したのです。この人数は、ヨーロッパではロシア、ドイツ、イギリス、イタリア、フランスに次いで多いです。日本にはなじみがない国ですが、チェルノブイリ原発事故が起きた国です。
しかし、歴史は古く、ロシア発祥の地でもあります。それが、その後、ロシア、ポーランド、オーストリア、イスラム国家の間で戦争に巻き込まれ、占領され、大変な苦労の道を歩みます。耕地面積が日本の2倍ある農業国で、かつ旧ソ連時代は大工業地帯でした。それが故に、大国の争奪戦に巻き込まれたのです。勉強になります。
お子様ランチ
昨日に続き、日本の生活文化について。
3月29日の朝日新聞夕刊「あのときそれから」に、「お子様ランチ登場」が載っていました。
昭和5年(1930年)、東京日本橋三越本店で、「御子様洋食」が誕生しました。富士山ライスとスパゲッティ、クリームコロッケ、サンドイッチです。富士山型のライスには、登頂旗が立っています。基本的には、今と変わっていませんね。翌昭和6年には、上野松阪屋で、「お子様ランチ」が登場します。
1960年代、上野松阪屋では、日曜には1,300食も出て、4~5人でてんてこ舞いで、オムレツを焼いたのだそうです。私も、子どもの時、お子様ランチはわくわくしました。その後、我が家の子どもたちも、喜ぶ定番でした。いろんなものが入っている、子ども向け「松花堂弁当」か「幕の内弁当」なのでしょうね。
また、3月15日の日経新聞「こどもランキング」は、「お弁当に入っていたらうれしいおかず」の順位でした。皆さんは、何だと思いますか。
第1位、ハンバーグ。第2位、鶏の唐揚げ。第3位、ウインナー・ソーセージと卵焼きです。
私が子どもの頃、卵焼きやウインナーは、遠足の時のごちそうでした。他には,焼き魚とかかまぼこでした。私は昭和30年生まれです。今の若い人は、当時のムラの暮らしを、理解できないでしょうねえ(笑い)。ウインナーと言うより、ソーセージだったと思います。ハンバーグは、あったのかなあ・・。もちろん、マクドナルドもミスタードーナッツも、ファミリーレストランも回転寿司ありませんでした。
記事に戻ると、第4以下は、次の通りです。
5位、豚カツ。6位、豚肉のショウガ焼き。7位、ミートボール。8位、照り焼きチキン。9位、エビフライ。10位、牛焼き肉。ぜいたくな子どもたちです。
仏典漢訳、2
さて、その漢文経典を、古代日本人は朝鮮半島から学び、次には中国本土に学びに行き、輸入しました。そして、そのまま音読みしました。「如是我聞・・」を、「私はこう聞いた・・」とか「仏は次のようにおっしゃった・・」と翻訳せずに、「にょぜがもん」と読んだのです。「般若波羅蜜多」「羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦」も意訳することなく、「はんにゃはらみった」「ぎゃてい ぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい」と声を上げます。別途、それを解説するために「説教」が行われたのでしょう。
キリスト教にあっても、ヘブライ語の聖書を、ギリシャ語やラテン語に翻訳しました。しかし、中世末期まで西欧の教会では聖書はラテン語でした。中世の西欧庶民も日本庶民も、それぞれラテン語聖書と漢文経典を、意味はわからず妙なる呪文として唱えていたのでしょうか。
また、単語を逐語訳することを見た日本人は、経典に返り点をつけることで、漢文を読む方法を編み出したのでしょう。訓読は、ここから来たと思われます。誠に省エネな翻訳でした。
仏典漢訳史には、鳩摩羅什や玄奘といった著名な翻訳家がいますが、日本語訳には、いないのでしょうね。
仏典漢訳
船山徹著『仏典はどう漢訳されたのか』(2013年、岩波書店)が、勉強になりました。古代インドで成立した仏教の教え(経典)が、梵語(サンスクリット語)やパーリ語から、どのように中国語(漢文)に翻訳されたかです。
はるばるインドまで、仏典を求めて旅をした玄奘三蔵は有名です。鳩摩羅什の名前も、歴史で習いました。インドの仏典から漢文への翻訳は、後漢(西暦1世紀)から唐(9世紀)にかけてが、盛んだったようです。
全く言語が違う古代インド語を、中国語に移し替えます。単語の並びも違います、文法も違います。さらに、中国にはなかった概念を、持ち込まなければなりません。
翻訳が集団で行われたこと、みんなの前で解説しながら行われたことも多いこと、単語を逐語訳してそれから漢文に並び替えたことなど、「へ~っ」と思うことが、たくさん並んでいます。その過程は、原文(梵語)を読み上げる人、それを漢字で書き取る人、そして漢語に置き換える人、文字の順序を入れ替え通じるようにする人・・と、分業で成されます。
音訳したり、近い漢語を当てたり、新しい字を作ったり。仏、寺、塔、魔。精進や輪廻だけでなく、縁起や世界といった単語もだそうです。また、梵語にはRとLの違いがあり、漢語にはありません。
インドに旅することと、世界観というべき仏教を輸入することで、中国が世界の中心でないことも学びます。中華思想が、崩れるのです。
おもしろいです。お勧めします。