NHKカルチャーラジオ、吉川泰弘先生の「生物の進化の謎と感染症」が興味深いです。私はテキストを読んだだけで、放送は聞いていないのですが。うつると怖い伝染病。かつては人から人へ伝染すると教えられましたが、動物由来の感染症も多いのです。テキストを読むと、これでもかこれでもかと、怖い病気が出てきます。エイズ、SARS、エボラ出血熱、デング熱、O157・・・。蚊に刺されたり、食べ物に入っていてそれを食べたり。
私たちは、ウイルスや細菌が人体を攻めてくると考えますが、ウイルスや細菌にとっては、遙か以前から地球で暮らしていたのは彼らの方で、人類はあとから地球にきた新参者です。彼らは30億年、こちらはせいぜい500万年。彼らは、多細胞生物から魚類、両生類、は虫類と次々と乗り物を変えて、生き延びてきました。
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大坂落城400年
朝日新聞8月29日オピニオン欄「戦後400年!」、堺屋太一さんの発言から。
・・・400年前に大阪はいわば焦土となりました。大坂夏の陣で豊臣氏が滅ぼされ、大坂城が落城した。そんな場所はそのまま衰退してしまうのが歴史の常識でしょうが、大阪は違いました。
「八百八橋」をはじめとして様々な異名がありますが、江戸期の大阪を表す最も的確な言葉は「天下の台所」でしょう。諸大名がコメや特産物を売るための蔵屋敷が軒を並べ、西国を中心に全国で生産されたコメが大阪に持ち込まれ、金や銀などの通貨と交換されました・・・
・・・大坂の陣の後、淀川の中州を開発し、現在の中之島を整備したのが、豪商・淀屋常安(じょうあん)でした。そこに諸藩の蔵屋敷が集まります。淀屋が架けたのが、今もビジネス街の中心を結ぶ「淀屋橋」です。
息子の个庵(こあん)は天才的なイノベーターでした。大名の蔵米販売を引き受け、店前にコメの市を立てました。これが堂島米会所へと発展し、全国の米相場の中心地になります。
大阪の米相場から生まれたのが先物取引です。やがて8代将軍徳川吉宗の時代、世界最初の公認先物市場となり、今や世界に広まる商品先物取引に発展するのです。
この他、繁華街の宗右衛門町や街々を結ぶ多くの橋も、町人たちによって開発されたのが江戸時代の大阪です。
官需なしに住民自ら興した都市は、日本広しといっても大阪ぐらいでしょう。政府の財政赤字が膨大になった今こそ、注目されるべきです・・・
中国経済リスク、戦前日本との類似。2
朝日新聞8月25日、猪木武徳先生へのインタビュー「世界経済、不安の正体」の続きです
「戦後、世界経済は多くの制度が整備され秩序がつくられてきたのに、なぜこのように不安定要素が増えてきたのですか」という問に。
・・・経済の基盤である自由民主主義が次第に劣化しているからです。民主主義には内在的に財政赤字を生む構造がある。政治家の生きる道は、いかに多くの人を満足させて票を獲得するかにあります。その結果、政治は時に人々の欲望をより膨らませ、資源配分をゆがめてしまう。そして、何でも税金や国家に頼ろうとする風潮が広がります。健全財政で対応できるならいいが、どの国の政府も借金を膨らませて要望にこたえようとする。これではどの国もギリシャと似た運命をたどってしまう・・・
「財政赤字を生みやすい民主主義の弱点を克服する手段はないのでしょうか」
・・・国家対個人の対立軸だけで考えたら解はありません。二つの間を調和させる何かが必要です。税金への依存が比較的少ない米国や英国では、NPO、労働組合や消費者団体のような中間団体がその役目を果たしています。たとえば日本では各省庁が受け持つ各種の統計づくりも、米英では一部NPO組織が担っている。あるいは米国の地方自治の強さも、健全な民主主義をうまく機能させようというメカニズムの一例です・・・
「政府を動かすことだけが民主主義ではないのですね」
・・・自分たちの身の回りのことは自分たちで決める。お上や国家から言われてやるのではない。民主主義を堕落させないためには、そういう独立自尊の精神が不可欠なのです。
ただし大事なのは公共精神という土台も欠かせないことです。私も市場経済は尊重しますが、皆が私的な欲求を満たそうとするばかりではいい社会は生まれません。公と私のバランスが必要です・・・
詳しくは原文をお読みください。
中国経済リスク、戦前日本との類似
朝日新聞8月25日のオピニオン欄は、猪木武徳先生へのインタビュー「世界経済、不安の正体」でした。世界経済の主役に躍り出た中国。その変調が世界経済の不安要因になっています。
「世界経済の命運を握っている中国政府は、混乱なく治めていくことができるでしょうか」との問には。
・・・中国が自分でうまく処理するのかが心配です。いまの中国は1930年代、つまり第2次大戦前夜の日本にとてもよく似ています。第1次大戦後、日本は欧米列強に遅れて準一等国になったが、経済に行き詰まった。そこを何とか打開しようと軍事的膨張が起き、戦争へと突き進んだのです。中国も世界経済に組み込まれ、準一等国になりました。だが国内では格差や環境など多くの問題を抱えている。その摩擦や不満を抑えるため、国家主義に訴えて異様な軍事的膨張を進めています。中国の経済のリスクと軍事のリスクは表裏一体です。中国が戦前の日本のような愚かな歴史をたどる可能性を軽く見ることはできません・・
先生は、もう一つ戦前日本との類似を、指摘しておられます。戦前日本は、「大東亜共栄圏」という名で、経済囲い込みを目指しました。美名と実態とのズレです。
・・・AIIB設立の目的は、建前ではアジア諸国の道路や港湾などインフラ建設に手を貸すことですが、本当の狙いは、彼らが「一帯一路」と呼ぶ欧州との物流ルートを整備し、自国の利権を確保することでしょう。彼らは自分たちのために世界があるという驚くべき野望をもっています・・・
「ユーロに啓発されて数年前「東アジア共同体」やアジアの共通通貨の可能性が議論されました。それは幻想にすぎませんか」との問に。
・・・戦前にもそういう構想がありましたね。提唱したのは、日本を盟主にアジア統一を果たそうとするウルトラ国家主義者たちです。いま日中韓や東南アジア諸国の経済統合を唱えるのは、戦後の理想主義が先走った人々です。しかしわれわれは、そうした「共同体」や「国家連合」の難しさをEUの例からまず学ぶべきでしょう・・・
細谷雄一先生、歴史認識とは何か、3
細谷雄一著『戦後史の解放Ⅰ 歴史認識とは何か』p114~。
日露戦争の際に、日本は「文明国」として認めてもらおうと、国際法を遵守しました。しかし、第一次世界大戦後、欧米で、圧倒的な人的被害から人道精神・国際人道法の精神が強まったのに、日本は逆に国際法や人道的な観点を減らしていきます。1932年には陸軍が、陸軍士官学校の教程から戦時国際法の科目を外します。1937年以降は、国際法教育を中止します。これが、戦時中の捕虜虐待などを生む素地になったようです。
・・・このようにして、陸軍や海軍は、国際法の教育を行うことを不要と考え、むしろそれが軍事的な効率の最大化を求める際の障害と見なすようになった。それによって、捕虜取り扱いをめぐる国際法上の知識を持たない軍人の多くが、第二次世界大戦中に東南アジアで捕虜を虐待したことなどを理由として、敗戦後のBC級戦犯裁判で処刑された。その責任は、処刑された軍人ではなく、むしろ1930年代に軍事的効率を最優先して国際法教育を十分に行わない方針を決めた軍の指導部にあったというべきではないか・・・(p116)。
日露戦争では、文明国の仲間入りをするために、小国日本は、悲しいまでに世界の動きや国際世論に敏感で、同調する努力をします。しかし、戦争に勝つことで自信を付け、さらに驕りに陥ってしまいます。そして、国際社会から孤立し、敵に回して戦争を始めます。国際社会とのズレがどう広がっていったか。この本をお読みください。いかに日本が「正しい」「正しかった」と主張しても、相手のある話です。国際社会で生きていくためには、相手側の認識や第3者に立った認識も知りつつ、相手と話し合うしかないです。