カテゴリー別アーカイブ: 歴史

戦後民主主義の罪

戦後民主主義」の続きです。
戦後民主主義は、日本に、民主主義、自由と法の下の平等、平和をもたらし、ひいては豊かさと安定をもたらしました。戦前と比べると、その功績は大きいです。クーデターや政治を巡る暴力的事態が起きなかったことも、成果でしょう。
そのような功績を残しつつ、いくつもの問題を抱えていました。また抱えています。それが「戦後民主主義」と、カギ括弧付きで語られるゆえんです。

平和主義について。
戦争放棄という理想は良いのですが、まだ現実世界はそれを実現する条件がそろっていません。北朝鮮が核開発を進め、ミサイルが日本上空を飛び越えます。中国軍は装備を増強し、日本領海をかすめます。
戦後民主主義の柱であった一国平和主義は、まことに身勝手な話でした。国内でも警察のない社会は理想ですが、現実的ではありません。
国連には加盟するが国連憲章の義務は果たさないという矛盾にも、目をつむります。(国連憲章第45条 国際連合が緊急の軍事措置をとることができるようにするために、加盟国は、合同の国際的強制行動のため国内空軍割当部隊を直ちに利用に供することができるように保持しなければならない。)

戦後民主主義の残る二つも、実質的であったか、定着したかという点で、疑問があります。
基本的人権も、大学の憲法で詳しく教えられますが、それは西欧の歴史が主で、国内での人権蹂躙については知らん顔を続けます。その一つの象徴が、ハンセン病患者です。憲法学の教授は、これについて発言してきませんでした。「憲法を機能させる、その2
代表制民主制についても、例えば、政権交代なく半世紀が過ぎました。アジアでは、日本より先に、韓国と台湾で平和的に政権交代が実現しました。その他の点で代表制民主制がどのような成果を残したかは、議論されるべきです。この項続く

「戦後民主主義」

山本昭宏著『戦後民主主義-現代日本を創った思想と文化』(2021年、中公新書)が、お勧めです。特に、日本の近過去を知らない若い人に、読んでもらいたいです。国政、論壇だけでなく、国民の意識や生活にまで目を配った、すばらしい分析になっています。

敗戦で、占領軍によってもたらされた憲法によって、民主主義が国民に受け入れられます。代表制民主制、基本的人権、平和主義(戦争と軍隊の放棄)です。
その後、代表制民主制と基本的人権は大きな争点になりませんが、平和主義は日米安保条約改定などで大きな争点となります。そして、革新勢力と呼ばれる側が「憲法を守れ」と、保守勢力と呼ばれる側が「改憲」を主張する「ねじれ」が続きます。

その後は、国民がこぞって経済成長に邁進し、憲法議論は棚上げ状態になります。米ソ対立、中国や北朝鮮が脅威にならないという国際条件も、それを支えます。
自国を他国(アメリカ)に守ってもらう、海外の紛争には関与しない、という一国平和主義を続けます。

そのご都合主義が破綻したのが、1991年の湾岸戦争です。最も多くの石油を輸入していながら日本は、そこでの紛争解決に軍隊を送ることができず、支援もお金だけ(後に掃海艇を派遣)で、国際社会から軽蔑される事態となりました。石油を買うためのタンカーは送るのに、支援物資を運ぶ輸送船は危険だからと航海を拒否するのです。この点は、岡本行夫さんの著作などを読んでください。「湾岸戦争での日本の失敗」。この項続く

著者は、1984(昭和59)年生まれだそうです。私は1955(昭和30)年生まれです。1960年の安保闘争は知りませんが、その後の日本の歩みは体験しました。彼にとって、昭和後期は体験していない時代です。よく調べたものです。

大倉集古館、陶磁器の悲劇

先日、大倉集古館の「海を渡った古伊万里~ウィーン、ロースドルフ城の悲劇~」に行ってきました。
「オーストリア、ウィーン近郊にたたずむロースドルフ城には、古伊万里を中心とした陶磁コレクションが多数所蔵され、かつてそれらは城内を美しく飾っていました。ところが、第二次世界大戦後の悲劇により、陶磁コレクションの大半は粉々に破壊されてしまったのです。本展では、佐賀県立九州陶磁文化館所蔵の古伊万里の名品とともに、ロースドルフ城の陶磁コレクションと破壊された陶片を展覧し、さらには、日本の技術により修復した作品などを初公開いたします」

日本と中国から海を渡り、数百年大切に保管されていた名品が、無残にも粉々にされました。戦争とはいえ(戦闘は終わっていたのでしょうが)、理解のない兵によって壊されます。持って帰るには不適だったのでしょう。
彼らにすれば、「ドイツは、膨大な数の殺人をした。私たちは、物を壊しただけだ」と言うでしょう。しかし・・・考えさせられます。21日までです。

大倉集古館は、ホテルの建て替えと合わせて、改修されました。引家をしたのです。そのビデオを見ることができます。すごいことをするものです。

古代スラヴ語

服部文昭著『古代スラヴ語の世界史』(2020年、白水社)を読みました。去年、何かの拍子で買ってあったものです。古代教会スラヴ語とも呼ばれるようです。
古代スラヴ語と言いますが、古代にスラヴ人が話していた言葉ではありません。教会から始まった書き言葉です。このあたりが、ややこしいです。
私は「古代のスラヴ語が、どのようにして記録され、読解されたのだろう」と思って、この本を買ったのですが。話されていた古代スラヴ口語は、残っていません。

古代スラヴ文語は、キリスト教会や王国の支配者によって支えられ、民族間で伝えられ、滅んでいきます。ローマ教会、フランク教会、ギリシャ正教の3つどもえのスラヴ人争奪、各民族の支配者の思惑、フランク王国と東ローマ帝国との勢力争いに、この文語が翻弄されるのです。
9世紀に、スラヴ語を書き記すために、グラゴール文字が発明されます。なかなか書きにくい絵文字のような字体です。その後、ギリシャ語を基にしたキリル文字が導入されます。ロシア語はそれを引き継いでいます。スラヴ人でも、西方の国はローマ字表記になっています。このあたりも、政治に翻弄された歴史によるものです。
この本も、「世界史」と銘打っています。その点は、興味深かったです。

「花粉症と人類」

小塩海平著『花粉症と人類』(2021年、岩波新書)を読みました。花粉症が「発見」され、どのような社会問題となったかの解説です。
花粉症の知人によると、今年は症状がきついそうです。私も、3年ほど前から毎年この時期に目がかゆくなり、鼻が詰まります。「明日香村は杉ばかりだ。そこで育ったのだから、花粉症にはならない」と言っていたのですが・・・

この本は、勉強になりました。
花粉症は大昔からあったようですが、イギリスで18世紀に流行し(発覚し)、原因から「枯草熱」(干草熱。花粉によるアレルギー)とわかりました。
ついでアメリカで、19世紀後半に「ブタクサ熱」が大流行します。この頃は、先進国の病、それも上流階級がなる病気とされたようです。ちなみに、ブタクサとセイタカアワダチソウは似ていますが、別物です。
そして日本の杉花粉症です。世界3大花粉症だそうです。1980年代後半から、爆発的に増加しました。平成になってからの病気なのですね。プロ野球の田淵幸一選手が、花粉症で引退したことを、初めて知りました。

人類は誕生以来、花粉とは付き合ってきました。干し草、ブタクサ、杉が増えたので、花粉症ができたといわれますが、縄文時代から弥生時代の方が、杉花粉がたくさん飛んでいたらしいです。環境の変化によって花粉症が増えたといわれますが、詳しい仕組みはわかりません。
この本を読んでも、よくわかりません。
杉花粉以外のアレルギーもあります。なぜ、杉花粉症が多いのか。花粉の数なら、日本では稲、ヨーロッパでは小麦がもっと多いと思います。
個人差はなぜか、そして年を取ってから突然なぜ発症するのか。
明日香村で杉に囲まれた過ごしていた子どもの時や、杉が多いと思われる徳島や富山で過ごした青年と壮年期にはなんともなく、60歳を超えた東京でなぜ発症するのか。
わからないことだらけです。