カテゴリー別アーカイブ: 歴史

『司馬遼太郎の時代』

福間良明著『司馬遼太郎の時代 歴史と大衆教養主義』(2022年、中公新書)がお勧めです。
表題の通り、司馬遼太郎さんの作品を、時代という切り口から分析したものです。一つは、司馬さんが生きた時代、司馬さんの経験(帝大でない専門学校卒、戦車部隊への配属)から、書かれた作品を分析します。もう一つは、作品がなぜ昭和後期に、特にサラリーマンに受け入れられたかという日本社会の分析です。
福間さんは、『「勤労青年」の教養文化史』『「働く青年」と教養の戦後史』などを書いておられて、本書もその延長線上にあります。

司馬さんは自らの作品を、「小説でも史伝でもなく、単なる書きもの」と呼んでいます。英雄を中心にその人生を描く小説ではなく、主人公が置かれた時代をも描きます。そして幕末維新を取り上げる場合は、昭和との対比、すなわち日本を間違った道に導いた昭和の指導者たちを批判する視点から描きます。他方で、事実だけで構成する史書でもありません。読んでいて、わくわくする表現なのです(その分、暗い面は描かれることが少ないです)。
私も、『坂の上の雲』で興味を持って以来、『街道をゆく』『明治という国家』『この国のかたち』などを読みました。

『竜馬が行く』は2477万部、『坂の上の雲』が1976万部、『街道をゆく』1219万部・・・だそうです。それぞれ1冊ではなく、数巻の合計ですが、それにしてもすごい数字です。それだけ受け入れられたということです。
他方で、司馬作品で映画化されたものはさほど売れず、たくさんNHKの大河ドラマになったのに、これも視聴率は必ずしも高くなかったのです。それは、英雄を描く小説ではなかったからでしょう。はらはらどきどきや、色気とは遠いのです。この項続く。

近藤和彦訳『歴史とは何か』

近藤和彦先生の新訳による、エドワード・カー『歴史とは何か』(2022年、岩波書店)を読み終えました。『歴史とは何か』は、清水幾太郎訳の岩波新書で何度か読んだので、「もうよいや。ほかに読まなければならない本もあるし」と最初は通り過ぎたのですが。
『歴史学の擁護』を読んだこともあり、近藤先生とはホームページ上でのお付き合いもあるので、読んでおこうと再考しました。なお、先生に引用してもらった私のページはその後ホームページのサイトを変えたので、次のページになっています。「覇権国家イギリスを作った仕組み

新書でなく、四六版で400ページと大きなものなので、少々根性を入れて読みました。もっとも本文は260ページほどで、清水訳とはあまり変わりません。紙の質が違うので、分厚いようです。
近藤先生の丁寧な訳注があり、また解説があるので、読み飛ばすわけにはいきません。「なるほどこういうことなのか」と思うところが多かったです。そのいくつかは、このホームページで紹介しました。「モノとコト2」「過去との対話と未来との対話

清水訳も何度か読み返したのに、今回学ぶところが多かったのは、次のような理由でしょう。
まず、寝転がらずに、本と正対して読んだこと。
清水訳の一部分は覚えていましたが、ほとんど忘れていたこと。
『歴史学の擁護』などの知識もあったので、理解が深まったことでしょう。もっとも、歴史学者は私以上に深く読まれるのでしょう。

歴史とは何か、事実を羅列した年代記と歴史学との違い、客観的な事実とは何か、歴史における因果関係とは何か(偶然と必然。クレオパトラの鼻が低かったら・・・)、自然科学と歴史学・社会科学との違いを考えたい人には、お勧めです。

ナホトカ号事件、ボランティアによる重油回収

10月9日の読売新聞「あれから」は「よみがえれ日本海」は、1997年に起きたナホトカ号沈没による重油汚染と、ボランティア活動による重油回収を取り上げていました。
もう25年にもなるのですね。若い人は、知らないでしょう。1995年の阪神・淡路大震災でボランティア活動が社会に認識されましたが、ナホトカ号の重油回収もまたボランティア活動を世の中に知らしめた事件でした。

私は当時、富山県総務部長でした。重油は福井県と石川県沿岸に漂着し、富山湾にはまだ入っていませんでした。重油が能登半島の先を越えると、富山湾に入って、大変なことになると説明を受けました。
沖合では自衛艦が出て、汲み取ってくれました。知事と相談して、自衛艦にバナナなどを差し入れに行きました。吃水が高い自衛艦では、作業は困難だということでした。
県庁内からも、石川県沿岸での重油回収作業に応援に行こうという声が出て、ボランティアを募り、県庁でバスを仕立て、道具などを用意して、派遣しました。私は見送る係でしたが、とても寒かった記憶があります。

過去との対話と未来との対話

「歴史とは、現在と過去のあいだの終わりのない対話です」は、エドワード・カーの『歴史とは何か』第1章の最後に出てくる有名なセリフです。近藤和彦先生の新訳では、「歴史とは、歴史家とその事実のあいだの相互作用の絶えまないプロセスであり、現在と過去のあいだの終わりのない対話なのです。」

私はこれを踏まえて、「官僚の役割は未来との対話である」と書いたことがあります。日経新聞夕刊1面コラム「あすへの話題」2018年4月19日「未来との対話
・・・「歴史とは現在と過去との対話である」は、イギリスの歴史家E・H・カーの有名な言葉である。これを借りると、官僚の仕事は「未来との対話である」とも言える・・・

ところが、『歴史と何か』を読んでいると、次のような文章が出てきました。
・・・第二には、客観的な歴史家は未来に投影した自分のヴィジョンによって、過去への洞察を深く耐久性のあるものにする能力があるということです・・・こうした長もちする歴史家こそ、いわば過去から未来にわたる長期のヴィジョンをもつ歴史家です。過去をあつかう歴史家が客観性に向かって接近できるのは、唯一、未来の理解に向かってアプローチするときだけです。
したがって、私は第一講で、歴史は過去と現在のあいだの対話であると申しましたが、むしろこれは、過去の事象とようやく姿を現しつつある未来の目的のあいだの対話であるとすべきでした・・・近藤訳208ページ

そうだったんですね。カーも、過去だけでなく、未来との対話を言っていたのです。でも「過去との対話」というセリフが、それまでの歴史学が事実を並べれば歴史になると主張したことに対しての反論であり、分かりやすかったので有名になり、未来との対話は引用されなかったのでしょう。あるいは、第1章を読んでこの言葉が出てきたところで納得し、その後ろの章は少々難解なので読み飛ばしたとか。

中国の新幹線車両を埋める日本の油圧ショベル

9月27日の朝日新聞夕刊「新幹線と日中半世紀5」は、「「大躍進」そしてあの事故」でした。
日本の技術移転を受けて発展した中国の新幹線。2011年7月に大事故を起こします。それも問題でしたが、その後始末がびっくりでした。事故を起こした先頭車両を、近くの畑に埋めてしまったのです。覚えておられる方も多いでしょう。

ここで紹介するのは、その際の写真です。車両を埋める作業をしている油圧ショベルが6台ほど写っています。手前から、日立、小松、住友、神戸製鋼の文字が読めます。当時は、中国で使われる重機が日本製だったのですね。まだ10年前の話です。