カテゴリー別アーカイブ: 歴史

足立区立郷土博物館「琳派の花園 あだち」

足立区立郷土博物館「琳派の花園 あだち」を紹介します。新聞で取り上げていたので、行ってきました。琳派と足立区とは、どのようなつながりか。多くの人は不思議に思うでしょう。私もそうでした。
江戸後期に、琳派の絵師たちが現在の足立区で活躍したのです。そして、千住の有力町人たちが、その絵を買い求めました。それが、区内の住宅に残されているのです。個人が所蔵して楽しんだ物なので、小ぶりな物が多いですが、なかなか立派な作品が並んでいます。

絵画というと、王侯貴族や豪商が支援者となって所有した、それが美術館に納められていると思ってしまいます。しかし日本でも、藩主や有力武士、豪商だけでなく、有力町民や農家も支援者となり所有者だったのです。
明治以降、伝統文化を捨て、欧米文化に傾倒したこともあって、日本美術は正当な評価を受けてこなかったようです。その後、日本美術が再評価され、神社仏閣に保管されていた美術品は鑑賞の対象となりましたが、個人蔵の美術品は日が当たりませんでした。「お宝探偵団」が、それに日を当てました。

足立区の個人宅に残された名品が、このような形で展示されるのは、素晴らしいことですね。関東大震災と太平洋戦争の空襲がなければ、もっとたくさん残されたのでしょうが。
各地の小京都と呼ばれる地方都市でも、祭りの際に展示されることもあります。各地でさまざまな催しがなされることを期待します。

郷土博物館には、亀有駅からバスで行きます。亀有駅前では、あの「こち亀」の両津巡査長の銅像が出迎えてくれます。

米国式世界秩序の暮れ方

10月23日の読売新聞、国際政治学者のアミタフ・アチャリアさん「覇権国家の不在 米国式世界秩序の暮れ方」から。
・・・私の言うアメリカ世界秩序はリベラル国際秩序と同義です。第2次大戦後、軍事力と経済力で群を抜いた米国が主導して構築した国連・世界銀行・国際通貨基金(IMF)・北大西洋条約機構(NATO)など様々な多国間機構を土台とした資本主義・自由主義・市場経済の秩序です。民主主義と人権尊重という理念も備えていた。米国は戦後世界の創造主でした。
とはいえ米国式秩序が地球を覆っていたわけではない。40年余り続く米ソ対決の東西冷戦時代、米国式は西欧、そして日本を加えた西側の秩序でした。東側は社会主義のソ連式秩序です。私の母国インドは戦後、英国から独立した民主国家ですが、ソ連の同盟国で社会主義経済でした。共産党が支配する中国も社会主義経済で、米国が関係改善に転じる1971年にようやく国連加盟を果たした。長らく米国式の圏外でした。
米国式について「世界に開かれた包摂的な多国間の枠組み」とする言説が米国で主流ですが、「西側の外」から見れば、米国の覇権の下、富裕な国に成員を絞った会員制クラブのようでした・・・

・・・21世紀に入り米国式に影が差す。米国の没落ではありません。米国の主導する秩序の衰えです。
まず米国式が土台とした多国間機構の不調です。象徴例は自由貿易を新たに推進するはずだった世界貿易機関(WTO)の機能不全。中国が2001年に加盟して始まった、モノとサービスの貿易自由化を巡る交渉は西側と新興国の対立などで頓挫する。IMFは20世紀末のアジア通貨危機以来、途上国から批判を浴び続ける。経済大国に急成長した中国が15年にアジアインフラ投資銀行を設立したのは脱米国式の一歩でした。
次に政治・統治の形としての米国式、つまり民主制の退潮です。冷戦後、民主化は一気に世界に広まりましたが、やがて反動が起き、多くの国が権威主義に染まってゆく。インドでヒンズー至上主義を掲げるナレンドラ・モディ首相が登場したのは14年でした。
そしてグローバル化が勢いを失う。米国発の2008年の世界金融危機の衝撃は大きく、欧州連合(EU)はユーロ危機に沈む。世界貿易の伸び率が鈍る一方、グローバル化は貧富格差拡大の元凶という非難が「本丸」の米欧で高じ、ポピュリズムが反グローバル化の波に乗って伸長する。
16年の本丸の異変、つまり英国がEU離脱を決め、米大統領選でドナルド・トランプ氏が勝ったのは、米国式が衰退した結果であり、原因ではなかったのです・・・

一強独裁を生む「中華帝国」の歴史

10月28日の朝日新聞文化欄、岡本隆司・京都府立大学教授の「一強独裁を生む「中華帝国」の歴史」から。
・・・習近平は中国の長い歴史を見れば正統派の為政者だろう。私は集団指導体制だった胡錦濤らの方がむしろ例外的な指導者なのであって、「一強」の皇帝でなければ中国は安定してこなかった「中華帝国」という史的システムが、西側では「悪党」扱いの独裁者を生んでいると考える。
中華帝国とは中国固有の言葉ではない。しかし、2千年以上皇帝を至上の君主に仰ぎ、広大な地域と多様な集団をまとめていたという意味で、中国はまさに帝国だった。
中華帝国の特徴は、異質なものを取り込み、秩序を保つ多元共存だ。地域の偏差、エリートと民衆の格差は大きく、社会も多層的である。同じ「民族」の中でも血縁・地縁による集団があり、独自のルールがあるので、この多様な集団をまとめるために「中華」という唯一至上の中心が必要だった。また常に北方や西方から遊牧民に脅かされてきた中国にとって、社会・領域の統合が何より重要だったのである・・・

・・・中国を国民国家にするのは難しい。中華帝国というかつてのシステムがあり、多元が多元のまま共存していたところに唯一均質の国民意識を作らねばならないからである。西欧的な普遍的価値だけでは、その苦悩は理解できない。中華帝国の歴史を学ぶことが大事だろう。
その歴史でいえば、現在の習近平体制からは明王朝(1368~1644)が想起される。寒冷化と感染症蔓延に遭遇して、モンゴル帝国(元)による中国の統合が限界になった時、群雄割拠を勝ち抜くためには軍事体制を整え、住民を統制する必要があった。当時は不況のまっただ中。軍を維持し民衆を養うためには農業を立て直さなければいけなかった。
そのため明の初代皇帝・朱元璋や息子の永楽帝は農民の直接統治を目指し、住民の移動交通を制限した。地主などの中間層を弾圧し、地方を広域に掌握していた「中書省」を廃止。不正があったとして芋づる式に官吏らを粛清した。そして次第に皇帝と近臣のみで専制的な統治体制を布いた。このあたりは、汚職撲滅を掲げて民衆の支持を得ようとし、「一強」的に権力集中を進める習近平を彷彿とさせる。
永楽帝らの農本主義により生産が回復し、商業金融も盛んになった。すると商業や海外との交易を求める民意と体制護持をはかる権力とが対立する。有名な「倭寇」はその一例だろう。王朝権力が民間社会から遊離し、私物化体制となって、最後には滅亡した。香港や台湾の民意を顧みず抑圧・威嚇し、思想・経済の統制強化をおしすすめる習近平体制の今後が気になる・・・

『司馬遼太郎の時代』3

司馬遼太郎の時代』2の続きです。私が、司馬作品から影響を受けたことです。
まず、内容について。
「この国のかたち」という考え方と言葉は、しばしば使わせてもらっています。これは、政治学や社会学では詳しく取り上げられず、よい言葉がないのです。
明治という国家の見方、それに対比した戦前昭和の見方、現在日本の見方は勉強になりました。それは、歴史学の本を読んでも出てこないのです。

次に文体についてです。
司馬作品には、しばしば「余談ながら・・」という文章がでてきます。『司馬遼太郎の時代』174ページでも取り上げられています。
それは、本文から離れ、その背景や意義を解説するものです。「注」が本文に書かれているようなものです。これが、「小説でも史伝でもない」現れの一つです。その「注」を本文の展開に支障がないように書くことが、司馬さんの力量でしょう。

それと比較するのはおこがましいのですが。私の講演で実例や私の体験を話すと、聴衆によく聞いてもらえるのは、よく似ているのかもしれません。
違うのは、司馬さんの「余談ながら」は、本文に関係することをより広い視野から説明する(蟻の目から鷹の目に上昇する)のです。それに対し、私の場合は、抽象的な話から具体に入る(鷹の目から蟻の目に降りていく)のです。

もう一つ。司馬さんの文章は、それぞれが極めて短いです。1文が、3行以上になるのは少ないです。これが読みやすい理由です。私も、まねをさせてもらっています。

『司馬遼太郎の時代』2

司馬遼太郎の時代』の続きです。
これだけ読まれたのに、文学や歴史学の世界から無視されたことや、いわゆる「司馬史観」への批判についても、取り上げられています。
司馬さんが自らの作品を「小説でも史伝でもなく、単なる書きもの」と呼んだことに、その理由があるようです。本人が意図した、小説でも歴史でもないことが、双方の「業界」から相手にされなかったのでしょう。それぞれから、「正統でない」「はみ出しもの」と位置づけられたのでしょう。

「司馬史観は史実のある面だけをを切り取っている」「現在の歴史学では間違っている」との批判は、司馬作品を歴史学の本と見なした批判でしょう。司馬さんは、苦笑していると思います。
どれだけ多くの人が、司馬作品で歴史を学んだでしょうか。小説と史書との間を橋渡ししたのです。それに対し、歴史家は司馬作品に匹敵するだけの成果を生みだしたでしょうか。歴史に興味を持つ国民を増やしたことで、歴史学会からは表彰されてもよいでしょう。

私は成人してからは、小説(作り話)をあまり読まなくなりました。複雑な現実世界を生きていると、小説の「単純さ」に飽きたのです。他に政治経済社会の本を読むのに忙しく、気を抜くなら紀行や随筆があいます。もちろん、小説の読み方は人それぞれでしょう。
その中でも、司馬遼太郎作品と塩野七生作品は、好きで読みました。それは、英雄を描いた小説でなく、時代背景を描いていること、そして現在日本を視点にその比較(しばしば批判)として書かれているからです。この項さらに続く。