カテゴリー別アーカイブ: 歴史

「おっさんビジネス用語」

4月11日の朝日新聞夕刊に「「おっさんビジネス用語」わかる? 鉛筆なめなめ・ポンチ絵・ツーカー」という記事が載っていました。

・・・「ポンチ絵」「ツーカー」「ダマでやる」「ざっくばらん」――。ビジネスの場面で中高年の男性を中心に使われる独特なフレーズを、「おっさんビジネス用語」として紹介したツイッターが話題になった。たくさんの若者が社会人生活のスタートを切る春。あなたはこの言葉がわかりますか?(笹山大志)

「ポテンヒットには気をつけて」。保険会社に勤める30代の男性はある日、会議で上司から声を掛けられて混乱した。
ポテンヒットと言えば、野球で野手の間にボールが落ちるラッキーなヒットのこと。「気をつけてってどういうこと?」。後に、部署や社員の間でお見合いになって仕事をスルーしてしまうことだと知った。
こんなこともあった。「鉛筆なめなめでいいよ」。契約額が確定せず、審査に出す書類に金額を入れられないでいた時、上司にそう声を掛けられた。ネットで調べ、帳尻を合わせて数字を入れるといった意味だと理解した。
こうした体験をもとに、男性は昨年7月、「おっさんビジネス用語ビンゴ」をツイッターに投稿した。「なるはや」「よしなに」「がっちゃんこ」「ガラガラポン」といった24個の言葉を並べて示すと、「いいね」は4・7万、リツイートも2・1万に上った・・・

昭和の官僚である私には、これらは、なじみのある言葉です。というより、このように指摘されるまで、「おっさん言葉」とは思っていませんでした。
三省堂国語辞典から消えたことば辞典』(2023年、三省堂)も、面白そうです。

昭和天皇「反省のお言葉」

4月2日の読売新聞、古川隆久・日大教授の「皇位継承議論 原点は民意 昭和天皇「拝謁記」」から。

・・・拝謁記は49〜53年に計622回に及んだ天皇との拝謁(面会)の記録です。違う風景を見てきた2人が本音をぶつけ合い、象徴のあり方を試行錯誤した日々が刻まれています。5年前の発見により、「戦前と戦後の天皇制の落差はどうやって埋められたのか」という長年の謎が解明されました。大転換期を迎えた天皇制の中心にいた2人の肉声は、現代の議論を見つめ直すヒントを与えています。
昭和天皇と田島の試行錯誤のクライマックスは、日本の独立回復を祝う52年5月の記念式典で、天皇が述べたお言葉を作成する過程にあったことがわかりました。

昭和天皇は戦争への悔恨と反省を盛り込んだお言葉を希望しました。田島もそれに賛同します。しかし、お言葉案を吉田茂首相に諮ると、認められませんでした。
天皇がここで謝ってしまうと、退位や国の指導者も責任を取って引退すべきだという議論を招き、戦後復興の妨げになる、という政治的な判断からでした。
吉田の意見を聞いた田島は態度を一変させ、昭和天皇にお言葉の修正を求めます。国権の最高機関・国会で選ばれた首相の判断が最優先という、民主主義の原則を貫いたのです。昭和天皇は不満ながらも修正を受け入れます。政治の決定に従う象徴天皇の地位は、この時、確定したのです・・・

古代東北太平洋岸地帯の文化

近江俊秀著『海から読み解く日本古代史 太平洋の海上交通』(2020年、朝日選書)を読みました。
石巻市の五松山洞窟から、古墳時代の墓が見つかりました。発掘調査で、北方系と関東系の人骨が一緒に再葬されていました。また、大和政権からと思われる遺物などが見つかりました。北と南の文化が共存していたのです。大和朝廷側の史書では、蝦夷を軍事力で征服したと書かれていますが、そのような簡単なものではなさそうです。

この本は、太平洋岸を関東から三陸まで、どのように交易があり、文化は交流したか。史書には多く書かれていない時代と地域を、発掘調査、神社や古墳などで、推理します。
奈良で育った私には、知らないことが多かったです。東日本大震災復興に従事したので、土地勘が身について、出てくる場所はわかりやすかったです。

国際情勢、1930年代との類似

中国とロシアが、アメリカや西欧に対立する最近の国際情勢が、1930年代と似ているという説があります。3月31日の日経新聞、ギデオン・ラックマンさんの「1930〜40年代繰り返すな 当時の日独、現中ロに酷似」も、その一つでした。

・・・対立する2つの陣営が世界に出現したことで新たな冷戦が始まったとの議論が沸き起こっている。新冷戦も米ソの冷戦と明らかに似たところがある。つまり、中ロが米国を中心とする民主主義諸国を敵視する一方、今回もいずれの陣営とも同盟関係を結んでいない多くの途上国(最近は「グローバルサウス」と呼ばれている)が、どちらにもつかないで両陣営の動きをそばで見ている点はそっくりだ。

しかし、歴史を振り返れば米ソ冷戦以上に今の状況に似た時代がある。それは世界各地で緊張が高まった1930~40年代だ。当時も今と同じく、欧州とアジアの2つの権威主義国家が、英米が不当に世界を支配しているとみなし、強い不満を抱いていた。30年代にそうした不満を募らせていたのはドイツと日本だ。
朝日新聞は1941年に日本政府の公式見解を要約する形で、米国と英国が「アングロサクソンの世界観に基づく世界支配のシステム」を押しつけていると訴えた。こうした不満は現在、ロシアの国営放送や中国共産党系のメディアの環球時報が時折伝えている・・・

よく残った着物文化

3月30日の日経新聞夕刊「人間発見」、誉田屋源兵衛十代目山口源兵衛さんの「着物文化、よくぞ残る」から。

・・・そもそも世界の民族衣装に比べたら、着物はよくぞ残ってると思う。着付け教室があるような不便な民族衣装なんてほかにあらへんやん。血の記憶なんやろか。もう日用品ではないけど、着物には確かな存在理由があると思う・・・

・・・日本の染織が世界一いうことをわかってへんのは日本人だけ。明治以降、西洋の価値基準や文化をくぐってしまったせいなんや。今の若い人は日本の古典音楽もドレミで解釈してる。海外ブランドくぐったから着物もドレミの目で評価しはるわけや。これが伝統的な着物ですよ、と言うても、嫌なものは嫌や、となる。もうごまかせんのや。
そんなお客さんを満足させられる着物や帯を作れるか、ということや。けど、俺は西洋に媚びたりはせん。こっちには日本のすごい美意識を土台にした強さがある。なんで西洋の水準に合わせなあかんのや、と思うてる・・・

・・・これだけの染織技術が今に伝わっているのは、鎖国で産業革命が100年遅れて手仕事が生き残ったおかげや。着物の存在もこの技術を守ってくれた・・・