カテゴリー別アーカイブ: 歴史

30年という時間、体感と社会の変化

2%成長が10年続くと」の続きにもなります。
30年は、私にとって、ついこの間のことのように感じられます。10年でも長いのに、なぜ30年間を短く感じるのでしょうか。「歳を取ると時間がたつのが早くなる」といいます。確かに、子どもから30歳までの時間の感覚と、40歳から70歳までの30年間の感覚は、後者が短く感じられます。しかし、それだけではないように思います。

バブル経済が崩壊した1991年は、36歳でした。その後の30年間、現時点だと34年間を、官僚として働いてきました。ずっと仕事をしていたので、その間の変化を感じないようなのです。
しかし、当時7歳だった娘は40歳で、その子どもが二人。2歳だった息子は35歳でその子どもが一人。彼ら彼女らにとっては、変化の大きい30年だったでしょうね。もちろん、10年をとっても、変化に富んだ10年ずつだったでしょう。

私が生まれたのは昭和30年、1955年。その30年前は大正14年、1925年です。それから大恐慌があり、日本は戦争への道を突っ走り、そして敗戦。それから立ち直った期間です。日本社会にとって、それは大きな変化でした。
1955年を起点に取ると、1985年までの30年間です。一人あたり国内総生産がアメリカの100分の1という「貧しさ」から、驚異の発展を遂げて、アメリカに追いついたのです。「経済成長外国比較2024

私がこの30年間を長いと感じないのは、個人として安定した職業生活と私生活を続けたこと。それとともに、日本社会の変化が小さかった(小さく感じた)からかもしれません。

酒井大輔著『日本政治学史』

酒井大輔著『日本政治学史-丸山眞男からジェンダー論、実験政治学まで』(2024年、中公新書)を紹介します。
宣伝文には、「「科学としての政治学」は、どのような道程をたどったのか――。本書は、戦後に学会を創り、行動論やマルクス主義の成果を摂取した政治学が、先進国化する日本でいかに変貌してきたのかを描く」とあります。
丸山眞男、升味準之輔、京極純一、レヴァイアサン・グループ、佐藤誠三郎、佐々木毅先生たちが取り上げられています。私にも、なじみの深い先生たちです。他方で、取り上げられていない先生方もおられます。

戦後日本の政治学がどのようなことについて、どのような分析手法で立ち向かったか、簡潔にわかります。
戦前の国家学や戦後のマルクス主義など、今から思うと、よくこんなものが学問として通用していたのだなあとあきれます。その後、科学としての政治学を確立しようとするのが、戦後日本政治学でした。

学者の数だけ政治学がある、と言われる世界です。政治学も発展したことで、分野や分析手法が多岐になりました。それらをどのように分類するか。識者によって異なるでしょう。この本も、一つの見方です。
政治学には、たくさんの教科書があるのですが、「定番」がないようです。私の言う「知図」があれば、わかりやすいのですが。

この本は、歴史的にどのように変わってきたかを取り上げています。できれば、この80年間で、日本政治について何がわかって、何がわからないのか。また、政治学は、日本政治をどのように変えたのかを知りたいです。
日本政治と言えば、報道機関(新聞やテレビの政治部)による分析もあります。こちらは、どのような貢献をし、どのように変わってきたのでしょうか。
佐々木毅著『政治学は何を考えてきたか』(2006年、筑摩書房)を思い出しました。

私ならどのように書くかを思いつつ、よい考えはまとまりません。

 

『風呂と愛国 』

川端美季著『風呂と愛国 「清潔な国民」はいかに生まれたか』(2024年、NHK出版新書)を読みました。

日本人は清潔で風呂好きだと言われます。では、いつ頃からそうなったのか。江戸時代に風呂屋・銭湯が広まったとのことですが、庶民はどの程度の回数で使っていたのでしょうか。本書を読んでも、明確な統計はないようです(私が見落としたかも)。

風呂を沸かすとなると、湯船と洗い場という施設、給水と加熱設備が必要です(東日本大震災の際も、避難者に風呂を提供することは難しかったです)。庶民の家にはなく、風呂屋に行くしかありません。しかし有料ですから、貧乏人がどの程度の頻度で利用したのでしょうか。また、銭湯が成り立つには一定規模の利用者が必要ですから、小さな集落ではどうしたのでしょうね。

明治以降は、本書に書かれているように、国策として清潔が教育され、公衆浴場も広げられます。
ところが、1942年(昭和17年)に沖縄県で調査したところ半年以上入浴していない児童がいるので、学校が風呂を作ったことが紹介されています。これを見ると、国民全員が多い頻度で入浴していたわけではなさそうです。

『ブリュメール18日 革命家たちの恐怖と欲望』

藤原翔太著『ブリュメール18日 革命家たちの恐怖と欲望』(2024年、慶應義塾大学出版会)が、勉強になりました。

紹介には、次のように書かれています。
・・・ナポレオンが総裁政府を打倒し権力の座についたクーデタ「ブリュメール18日」。本書ではこのクーデタを、ナポレオンが独裁を志向した結果として捉えるのではなく、むしろフランス革命の成果を守るために、改憲派の革命家たちがナポレオンを権力の座に引き上げた事件として理解し、革命家たちの視点に立って考察する。革命期に発展した民主主義を、思いどおりに制御できなかった革命家たちが、まさにその民主主義のなかから権威主義体制を形成していく過程を、派閥の動向、憲法、選挙制度、地方行政の改革をとおして明らかにする・・・

国王を処刑して、封建制度を廃止し、民主主義を導入したフランス革命。ところが、いつの間にか、ナポレオンが皇帝になります。それだけを見ると、なんのための革命だったのと、????です。
子どもの頃に読んだ偉人伝には、必ずナポレオンが入っていました。でも、どのようにして、民主主義を目指した革命が、皇帝独裁に変化したのか、よく知りませんでした。
いかにナポレオンが天才で有能であっても、簡単に革命の成果を横取りすることはできません。彼を担ぎ上げた社会状況、政治状況があったのです。もちろん、担ぎ上げられるだけの人望はあったのです。ただし、その神輿に乗っているだけでは、皇帝にはなれません。そこからが、彼の知恵と腕の見せ所です。
この本を読んで、よくわかりました。

近代文学の終焉

朝日新聞「柄谷行人回想録」、12月11日と18日は「近代文学の終焉」でした。小説は、読者とは違う世界を見せてくれるものです。すると、社会に差異がなくなり、また理想がなくなると、小説の出番はなくなるのでしょうか。

柄谷さんが、2003年に近畿大で行った講演で、翌年「早稲田文学」に掲載された「近代文学の終り」が説明されています。
「近代的な国民国家の成立には、文学、とりわけ近代小説が重要な役割を果たしたことを確認しつつ、その役割は終えたと指摘した。社会階層などでバラバラだった人々を、“想像の共同体”としての国民(ネーション)としてつなぎ合わせる過程で、共感を生み出す小説が基盤となった。娯楽として軽視されていた小説の地位は向上し、より真実らしさを表現するため、リアリズムが課題となった。しかし、国民国家が世界各地に広がったこと、さらに映画などよりリアリティーを喚起しやすい形式が発達したことなどが重なって、小説は特権的な地位を失っていった、とみる。」

――柄谷さんは、70年代には中上健次や村上春樹といった作家が登場し、リアリズム中心の近代文学が抑圧した言葉遊びやパロディー、物語といった要素を持つ文学が復活してきたと見ていました。しかし、90年代にはそうした文学も急速に力を失った、とも。なぜでしょう。
「複雑な要因がありますが、一つの理由としてあげられるのは、近代小説が、“差異”から出てきた、ということでしょうか。例えば、ゴーゴリ独特のリアリズムは、先進国では失われた濃密な共同体がロシアに残っていたことから生まれた。
日本の夏目漱石も、コロンビアのガルシア・マルケスも、それぞれの社会独特の背景から生まれた。当たり前のようだけど、重要です」

――国による発展の違いが文学の源になったわけですか。
「米国国内での不均衡が背景にあるフォークナーも、同じです。都市と農村、先進国と後進国、男性と女性のような差異が一つの大きな動力になった。こうした差異は高度成長とグローバリゼーションによって、消滅の方向に向かいました」

――社会や人々の均質化で描くことが減った、と。しかし、差別や理不尽は残っています。
「格差がなくなること自体は、当然望ましい。その上で、ひどくなっている問題も多い。だけど、漱石やフォークナー、戦後文学の頃までは、差異をあぶり出すことによって新たな共同性を築くことができた。今は、サルトルのような世界的な連帯を牽引できる作家もいません。文学だけではなく、思想にも宗教にも求心力がない」