「教育」カテゴリーアーカイブ

人工知能時代に必要な能力

5月9日の日経新聞経済教室、高東也・大阪大学准教授の「AI時代のスキル、分散化と批判的思考が軸に」から。
・・・「スキルで雇うな、態度で雇え(Don’t hire for skills.Hire for attitudes)」という言葉を耳にしたことがあるだろうか。名経営者として知られる米サウスウエスト航空の共同創業者の一人、ハーバート・ケレハー氏の格言である。
この言葉の実証的な根拠は定かではないが、ここでいう「スキル」は主に仕事に特化した専門的な認知スキルを指す。かたや「態度」はモチベーションやコミュニケーション、協調性など非認知スキルを意味していると考えられる。
対話型AI(人工知能)「Chat(チャット)GPT」の出現以来、「AIが雇用を奪う」という懸念がくすぶり続けている。最新の経済学研究によれば、職業をいくつもの業務(タスク)に分けて代替性を分析したところ、生成AIによって完全に置き換えられる職業はそれほど多くないことが分かってきた。
とはいえそれが安心材料にはならない。職自体は失われなくても、仕事の内容は大きく変化していくことが予想されるからだ。ではAIが急速に進化するこれからの時代に、私たちはどのようなスキルを身につけるべきなのだろうか・・・

・・・一方、依然として人間ならではの優位性が残る領域がある。文脈に応じた深い理解や意図の読み取り、複数の視点を統合した倫理的判断などで、AIは対応の難しさを示している。特に「行間を読む」能力や隠された意味の理解は、AIの大きな壁となっている・・・
・・・図のスキルピラミッドの枠組みで考察すると、AI時代でさらに重要性を増すのがピラミッドの土台となる非認知スキルだ。対人関係力、協働力、社会的手がかりを理解・適応するスキルが含まれる。感情の機微や非言語的サインを適切に読み取り、真の共感に基づいたコミュニケーションや信頼関係を構築する力は、人間が依然としてAIより優位に立てる領域だ。

これに対し、今後大きく変容すると思われるのが認知分野のスキルセットである。世界経済フォーラムの「未来の仕事レポート2023」によると、最も重要とされたスキルは「分析的思考」だった。分析的思考は今後5年間で72%の成長が見込まれる。このスキルに含まれる推論や意思決定の能力が最も自動化されにくいため、将来も重要になると考えられている。

2位に続いたスキルは「創造的思考」で、分析的思考よりも速いペース(73%)で成長し、今後ますます需要が高まると予測されている。また「テクノロジーリテラシー」も急成長中の中核スキルであり、特にAIを有効活用するための能力が重要になっている。
これらの分析的思考や創造的思考は高度な専門性を発揮するための土台となる「基礎的認知スキル」である。学習や仕事をする際の情報処理や思考を担う汎用スキルであり、AIリテラシーも基礎的認知スキルの上に構築される。
このような現状を踏まえると、暗記や計算を重視した従来の教育システムを見直し、分析的思考や創造的思考を育成する教育モデルへのシフトが求められる・・・

SNS高い中毒性、脳発達妨げ

5月7日の読売新聞「子どものSNS規制 世界の潮流」、川島隆太・東北大加齢医学研究所教授の「高い中毒性 脳発達妨げ」から。

・・・子どものSNS利用については、法的なものを含めて、何らかの規制が必要だ。理由は、SNSとスマートフォンには依存性と中毒性があるという一点に尽きる。また、使いすぎは脳の発達を抑制し、子どもの発達に害があるというデータもあるのだから、何らかの規制をしなければならない。
メールとは違い、SNSは、メッセージが届いたらすぐに返信しなければいけないというプレッシャーがある。例えばLINEだと、メッセージを読んですぐに返信しないと、相手が「既読無視した」と思って不快感を抱くのではないか、と不安になる人が多い。離れた空間にいるのに、同じ場所にいて会話をしていると錯覚するような仕組みになっているところが、中毒性を生む原因の一つだろう。
私たちの実験では、スマホの画面を見ていなくても、SNSのメッセージの着信音が鳴った途端、集中力が途切れて作業効率が落ちることがわかった。一方、見えないように背中側に置いた時計のアラームを鳴らしても集中力は落ちない。SNSが集中力に与える影響の大きさがうかがえる・・・

・・・2010年以降、仙台市の小中学生延べ約7万人を対象に、生活習慣と学力について調査している。勉強中に使用しているアプリと学力の関係を調べると、ゲームや動画、音楽のアプリより、SNS系のアプリを使っていたほうが学力が下がるという結果が出た。SNSの中毒性が高く、利用時間が長くなって勉強時間が減るためだろう。
さらに、5~18歳の子ども約200人の脳の発達をMRI(磁気共鳴画像)による検査で3年間調査したところ、インターネットの使用時間が短い子どもと比べると、長い子どもは大脳のうち3分の1の発達が止まり、大脳の神経細胞をつなぐ「大脳白質」という部分はほぼ全域の発達が止まっていた。長時間の利用が脳の発達を阻害している可能性がある・・・

・・・SNSのように依存性、中毒性があるものは、自分の意志ではなかなかやめられない。特に子どもは、論理的な思考をつかさどる大脳の前頭前野が発達途上のため、やめることが非常に難しい。そのために、子どものSNS利用については何らかの規制が必要だ。子どもたちが自分の人生に責任を持てる年齢までは、「中学生はスマホを持たない」「高校生はSNSをしない」などと規制するべきだ。SNSやスマホは、アルコールや薬物と同じくらい害があるということを知ってもらう、国や自治体による活動も必要だろう・・・

情報過多の逆効果

紙の教科書、電子の教科書」の続きです。酒井邦嘉・東京大教授の発言に、次のような話があります。
「デジタルの利点は教育において、むしろ裏目に出ることが多い。
最近の教科書にはデジタル教材につながるリンクが多く載っているが、情報過多となり、逆効果だ。リンクがある度にそのまま読み進めるかどうかの判断を迫られる結果、思考を巡らせながら読むことができなくなり、理解の妨げとなる」

納得します。紙の文章でも注が多いと、そのたびに本文の流れが中断してしまいます。私はたいてい、注があってもその時に読まず、後でまとめて読むことが多いです。
インターネットで文章を読んだりすると集中できないのは、酒井先生の指摘されていることが理由なのですね。

新聞とネットニュースの違いに、有限と無限の違いがあります。無限の方がたくさん知ることができると思いますが、そうではありません。無限はキリがないのです。それと、主たる記事を集中して読むことができません。
ネットサーフィンしていると、「あれ、私は何を調べていたんだっけ」と当初の目的を忘れていることが多いです。テレビでも、チャンネルが多いと、一つの番組を集中してみることができません。
「二兎を追う者は一兎をも得ず」ではなく、「多兎を追う者は一兎をも得ず」です。

先生の発言には、次のようなこともあります。
「検索機能や動画の視聴など、様々な機能があるほど便利にはなるが、その一方で思考力や創造力が奪われ、人間は脳を使わなくなってしまう」

これも、大いに納得します。自分で考えない人が増え、学校だけでなく職場でも困ったことが起きるでしょう。他方で、独裁国家はやりやすくなります。情報統制をしておけば、国民はそれを鵜呑みにするのです。強権を発動しなくても、権力が(間違ったことをしても)正しいと思い込むでしょう。

機械によって便利になれば、それまで使っていた機能は退化します。
人類の足は、運動選手を除いて、どんどん退化するでしょう。孫たちには、マッチで火をつける方法や、かまどなどでご飯を炊く方法を教えなければなりません。機械が止まったとき(停電したとき、災害時)に、それが露見します。

紙の教科書、電子の教科書

4月25日の読売新聞「デジタル教科書の拡大」から。
・・・中央教育審議会の作業部会が、紙と同様にデジタル教科書を「正式な教科書」に位置づけることを提起している。作業部会では、国民や教育関係団体からの意見を踏まえ、今秋までに結論をまとめる見通しだ。デジタル教科書の特性について、識者3氏に聞いた・・・

酒井邦嘉・東京大教授の発言
・・・人間の脳の特性を踏まえると、学習に最も適しているのは紙媒体だと言える。
人間の脳は、いつ、どこで、誰が、何をしたかをエピソードとともに覚える。紙の教科書であれば、どのページのどこに書かれていたかの位置関係や、手触りといった様々な手がかりがあり、内容を深く記憶することが可能になる。
NTTデータ経営研究所や日本能率協会マネジメントセンターと行った共同研究では、紙の手帳に予定を書き留めると、スマートフォンなどの電子機器を使う時よりも短時間で記憶できた。手帳に書き込んだ内容を思い出す時の脳の状態は、電子機器より、言語、視覚、記憶に関わる領域の血流が増え、活発に働いている様子が確認された。

海外の研究でも、紙の方が脳の働きを促し、理解度を深めることが判明している。
スウェーデンのカールスタード大学などが行った実験では、大学生を二つのグループに分け、パソコンの画面と紙とで、同じ内容を読んだ際の理解度を比較した。一つのグループは電子ファイルにした文章をパソコンの画面で読み、もう一方は印刷した紙で読んだ。読解テストを実施したところ、紙で読んだグループの方が成績が高かった。紙の方が、与えられた情報を脳の中で関連した記憶と結びつけ、よりよく理解することができていた。
ノルウェーでも高校生を対象とした同様の実験が行われ、こちらでも紙で読んだグループが良い成績を上げた・・・

・・・国は学習用端末を配備し、教育のデジタル化を急ピッチで進めようとしている。だが、デジタルの利点は教育において、むしろ裏目に出ることが多い。
最近の教科書にはデジタル教材につながるリンクが多く載っているが、情報過多となり、逆効果だ。リンクがある度にそのまま読み進めるかどうかの判断を迫られる結果、思考を巡らせながら読むことができなくなり、理解の妨げとなる。
検索機能や動画の視聴など、様々な機能があるほど便利にはなるが、その一方で思考力や創造力が奪われ、人間は脳を使わなくなってしまう。
偉大な科学者たちは紙の本とノートで学び、革新的なアイデアを生み出してきた。子どもたちの脳の成長を促すためには、紙を使用した質の高い教育が欠かせない・・・

アンデルス・アドレルクロイツ、フィンランド教育相の発言
・・・フィンランドの一部の都市では、デジタル教科書から紙の教科書へと回帰する動きが出てきている。紙の本の重要性が再認識されているためだ。
デジタル化社会を見据え、児童生徒一人一人にノートパソコンを配布するなど、教育現場ではICT(情報通信技術)を早いうちから導入してきた。子どもの学習意欲やICTスキルを高めることが期待されていた。
だが残念ながら、世界の15歳の学力を測る「PISA(国際学習到達度調査)」の成績は、低迷傾向にある。初回の2000年にフィンランドの読解力は世界トップとなったが、直近の22年は14位と、この20年間で徐々に順位を下げてきた。数学と科学の分野も、それぞれ同様に下降線をたどっている。

読解力が低下した背景には、紙の本を以前に比べて読まなくなったことがある。社会や教育の場でデジタル化が進み、子どもたちの読書量が減った。それにより、集中力を維持できず、長文の内容がつかめないなどの悪影響を及ぼすようになったとみられる。
読解力は他の教科の成績と強い相関関係があり、全ての学びにつながる最も重要な力だ。政府は子どもたちの基礎学力を向上させるため、7歳~12歳を対象に「読む」「書く」の授業時間を増やすことを決めた。
子どもには、紙の本を読んでゆっくりと考えさせる教育的アプローチの方が有効だと考える。完全に教材をデジタルに移行した学校もあるが、今後は全ての子どもたちが紙の教材を使えるようにしたい・・・

ネット時代に教養は成り立つか

4月5日の朝日新聞オピニオン欄「「教養」はどこへ」、大澤聡さんの「知の対話へ、いまこそ読書」から。

・・・本を読むことで教養を形成するという価値観は、近代だからこそ成り立っていたのかもしれません。
インターネットによってあらゆるものが可視化された現代では、世界は無限に広がっていて、全てを把握するなんて無理だと事前にわかってしまっています。
しかし手に入る情報が限られていた時代には、必読リストを読破すれば世界の全てがわかるはずと思い込めました。冊数が限られ、頑張ればゴールまで行けそうな気がするからこそ挑む気になれたのでしょうね。
本には目次があります。1章、2章と番号を振って情報に序列を付け、スタートからゴールまで一直線に構築された体系性があります。前へ前へ、より高く、と駆り立てるその構造は、人格を高めたい、賢くなりたいという「教養主義」の上昇欲に合致していました。

一方、目次のないネットの世界はすべてがバラバラで、序列も体系もあいまいです。情報が無限にあってゴールが見えないため目指そうともしなくなります。
そもそも、誰もが共有すべき知識や価値観があるという考え方は、権威を崩してみんな対等だとみなす20世紀後半からのポストモダンの時代に、力を失いました。多様性が重視される時代を背景に「この本は読んで当たり前」という同調圧力は働きにくくなり、教養は雑学や趣味のようなものに変わってきています。

気になるのは、多様化の中でむしろ権威主義化が進んでいることです。専門の島宇宙それぞれに小さな王様がいて、よその島から口を出すなという雰囲気がある。これでは全体の見取り図は描けません。教養主義が内包する「他者を知りたい」という知的欲求は手放すべきではないでしょう。
いま必要なのは島と島をつなぐ対話的教養です。自分の島の知を元手に、他の島の知への推測を働かせ、共通点を探る。そんな「比喩」や「要約」の力を磨くことが大切になります・・・