カテゴリーアーカイブ:教育

子どもにスマホを持たせるな

2026年5月17日   岡本全勝

4月26日の日経新聞、社会心理学者ジョナサン・ハイト氏の「子どもにスマホ、持たせるな」から。詳しくは記事を読んでください。

・・・スマートフォンやSNSが子どもに与える悪影響について考察し、世界的なベストセラーとなった「不安の世代」は各国で子どものSNS使用を制限すべきだとの議論を後押しした。著者で社会心理学者のジョナサン・ハイト氏に問題の背景と、子どもを持つ親たちに向けた解決策を聞いた。
多くの国のZ世代で不安症やうつ病などの精神疾患が増え始めた。SNSなどへの依存が現実とのつながりに取って代わり、メンタルヘルスの危機を招いたと指摘する。

―子どものメンタルヘルスの悪化は世界的な傾向だ。
「2010〜15年に自撮りカメラなどスマホの機能が向上し、SNS用のアプリも普及した。同時期を境に、米国や英語圏で子どものメンタルヘルスの悪化が加速した」「米国では10代の若者がTikTok(ティックトック)など4種のSNSアプリに1日平均5時間を費やしているという。体を使った遊びや対面でのつながりが仮想世界上の関係に置き換わり、メンタルヘルスに悪影響を与えている」
「私が提唱するのはスマホを持たせる最低年齢の目安を14歳、SNSのアカウントなどを開設できる『インターネット上の成人年齢』を16歳と定めることだ」「脳の重要な発達段階にあたる第2次性徴期をスマホなどの悪影響から守る必要がある。SNSを使う年齢は18歳以上にしたいところだが、現実には難しい」

―なぜ特にスマホを問題視するのか。
「インターネットへの無尽蔵なアクセスの手段となっているからだ。子どもに不適切なコンテンツがあふれているにもかかわらず安全確保の取り組みは十分でない」
「脳の発達への影響も懸念される。インスタグラムなどが流す短い動画を際限なく見続けると、集中力の持続時間も短くなる。スマホを使っていなくてもSNSが気になり、目の前の出来事や人間関係への注意が散漫になる」
「大人なら使うのを控えれば注意力はある程度戻るが、脳の発達時期にスマホ漬けになった子どもは脳の発達の仕方に変化が生じ、その影響もずっと残る可能性がある」「特に心配なのが脳の前頭前野がつかさどる実行機能への影響だ。目標を定め、達成する能力に関わる。悪影響を受ければ、目標に向かって時間をかけて努力する能力が身につかなくなる」

―子どもがスマホで生成AIを利用する機会は急増した。新たにどんな問題が生じるか。
「生成AIの影響はSNSの比ではない。はるかに破壊的なものになる。SNSは人間の『アテンション』(注意)をターゲットにし、特に子どもたちの注意力の多くを奪い去った。まさに悲劇だ」「生成AIはさらに『人間関係』を奪っている。何も対策を取らなければ、我々は人間関係そのものを失いかねない」
「すでにスマホ中心の生活は人々の孤独感を深めた。AIが発展すれば何らかの恩恵があるだろうと聞かされているが、私は信じていない」

―将来を担う子どもたちの成長にどんな影響を与えるだろうか。
「子どもの成長には何百万回でも困難なことに取り組む経験が不可欠だ。気まずい沈黙が流れても自分から会話の口火を切るような経験が必要だ。自分の力で道を模索しながら進んでいく経験こそ、人間力を身につけるための糧となる」
「いまは誰もが常に生成AIを利用できる環境にある。子どもたちはあえて困難な体験をする必要性を感じなくなり、結果的に人間として成長する機会を失ってしまう」

政治的争点を避ける教育

2026年5月3日   岡本全勝

4月15日の朝日新聞「政治的争点、ドイツ「意見の違い尊重」日本「扱い避ける傾向」 主権者教育のありかた探るシンポ」から。
・・・日独の関係者が主権者教育のありかたを対話するシンポジウムが3月、都内で開かれた。民主主義の社会を育てるための学校教育のありかたを語り合った・・・

・・・ ドイツは戦後、ナチス時代の反省から、「連邦政治教育センター」を設立。研究者らが、政治的中立の3原則を掲げた「ボイテルスバッハ・コンセンサス」を合意した。
日本は1969年、高校生の政治活動を旧文部省通知で規制するなど抑制的な姿勢を続けた。だが18歳選挙権の開始を前に、文科省は2015年、校外の政治活動を原則容認する通知を出し、方向転換した。

シンポジウムでは、ヨハンさんが、同コンセンサスについて(1)教員による意見の押し付けを禁止(2)政治的に争点のあるテーマは授業でも論争的に扱う(3)生徒が自らの利害関心に基づき政治状況を分析し、政治参加の方法と手段を追求できるようにならなければならない、と説明。「中立というより意見の違いを尊重する多角的視点を大事にしている」と話した。

大畑教諭は、文科省の22年度の調査で高校1年生に主権者教育を実施していると答えた884校のうち、「公職選挙法や選挙の具体的な仕組み」を教えた学校が76%なのに対し、「現実の政治の話し合い」は29%と少ないことを紹介。「政治的中立を理由に、授業で政治的争点を扱うのを避ける傾向がある」とした。
甲斐さんは「普通の学校は知識をインプットすることが中心で自分の意見を考える機会が少ない」とし、「日本は本当に政治教育をやろうとしているのか」と投げかけた。
文科省の合田局長は甲斐さんの問いに、15年の通知から「学校における政治的事象の指導においては、一つの結論を出すよりも結論に至るまでの冷静で理性的な議論の過程が重要」を引き、「我々はやる意思がある」と答えた・・・

結果で測るか過程で測るか

2026年4月19日   岡本全勝

大学の授業ではしばしば、学生の理解度を測るために、レポートを課題とします。しかし、人工知能が発達し、学生は人工知能に答えを書かせます。すると、レポートという結果を評価することは、無意味になります。
他方で大学に求められるのは、学生の思考力を高めることです。すると、ある学生について、どのように思考力を高めたかを評価する必要が出てきます。「人工知能と大学教育
もっとも、人工知能に代行させることができることなら、人間にさせる必要はなく、何を人間に考えさせるかの分別が重要になるのでしょう。
「自分の頭で考えること」を学校で学ぶのですが、教師はどのようにして、それを学生に教え、測るのでしょうか。難しいです。

就職試験の面接で「ガクチカ」を尋ねるのは、意外とこの点を確かめているのかもしれません。大学の入学試験の偏差値は記憶力や試験問題を答える能力は判定できても、考える力はわかりません。多くの大学の卒業証書も、卒業生の能力を保証していません。その際に、大学時代に何に力を入れたか、そこで何を学んだかを聞くことは、考える能力を調べる方法になっているのでしょう。
人工知能に頼ったかもしれない卒業論文や応募書類の記述より、求職者の能力を調べることができるのです。

会社ではどうでしょうか。ある企画文書を作る場合に、課長としては良い企画文書を求めます。社員がどのような思考をしたのか、努力をしたのかは二の次です。それならば、人工知能でできる部分も多いのでしょう。しかし、人工知能は現在のところ、過去の情報を集めて答えを考えるので、新規なことは不得手なようです。時には、嘘をつきます。
若いうちは、いろんな経験を積んで、自分で考える、課題を切り抜ける方法を身につけます。人工知能に頼っていると、その能力は身につきません。
課長の仕事は、良い結果を求めることでしょうか、若手社員を育てることでしょうか。私が考えるに、将来の幹部になる社員と、言われたことをする社員とを分けて処遇することになると思います。

日本の教師は授業に時間を割けない

2026年4月19日   岡本全勝

日経新聞は「知の未来図 3歳から始まる国家戦略」を連載していました。世界各国が未来に向けてさまざまな取り組みをしていることがわかります。それは記事を読んでいただくとして。

ここで紹介するのは、3月31日の第12回「AI時代、インド突出 データが示す未来の頭脳競争力」に載っていた、「日本の教師は授業に割く時間が少ない」の図です。法定労働時間に占める授業時間の割合が、各国別に並んでいます。
イギリスが6割強、フランスが4割強、韓国・ドイツが3割半ば。日本は3割に満ちません。残りの時間を授業の準備に使っているのなら良いのですが、部活や保護者対応、報告書作成などに費やしているのなら、問題です。超過勤務も問題になっています。

人工知能と大学教育

2026年4月14日   岡本全勝

3月30日の日経新聞、ポール・ケイ・マツダ、アリゾナ州立大学教授の「大学のライティング教育、AI時代の使命は 責任と誇りの主体育てよ」から。詳しくは記事をお読みください。

・・・生成AI(人工知能)が登場した当初、米国の大学も揺れた。学生は一様に飛びついたわけではない。使い方が分からず期待した成果が得られなかったり、かえって時間がかかったりすることもあった。自力で質の高い文章を書ける学生ほど、その限界を早く見抜いていた。教員側も賛否が分かれ、一部の大学は全面禁止に踏み切った。だが、利用を完全に抑え込むことは現実的ではなかった。禁止は地下化を招き、教育的な対話をむしろ困難にする。
こうした経験を経て、多くの大学は方針を見直し始めた。単なる容認でも排除でもなく、批判的かつ倫理的に活用するための枠組みづくりへと動いている。

私が所属するアリゾナ州立大学は、こうした制度設計において先端をゆく大学の一つである。早い時期から生成AIに関する指針や教育資源を大学全体で整備し、教員に授業ごとの利用方針の明示を求めるとともに、学生には利用の透明性を求めてきた。さらに「Chat(チャット)GPT」を開発したオープンAIとの連携や、独自のAI作成ツールの開発も進め、技術を教育や研究の中にどう位置づけるかを組織的に検討している。前提にあるのはAIを排除するのではなく、人間の思考を中心に据えたうえで活用するという姿勢である。

ここで改めて問われるのは、書かれたものに対して誰が責任を負うのかという点である。
米国の高等教育では、ライティングは単なる文法や形式の指導にとどまらない。書く過程そのものが思考であり、問いを立て、資料を選び、角度を定め、構成を練り直す中で知識は形づくられる。書きながら初めて、自らの立場の曖昧さや論理の弱点に気づくことも少なくない。推敲の過程で問いが洗練され、主張の輪郭が定まる。つまり、書くという行為は考えを生成し、練り直す営みである。この考え方は英語を母語とする学生にも、第2言語として学ぶ学生にも同様に当てはまる。

生成AIは文法や語法を整え、表現を洗練し、文章構造を提案することができる。既存の情報を集めて整理し、発想を広げ、見落としていた視点を示すこともある。しかし、どの問題が重要かを見極め、どの資料を採用するかを判断し、どの方向にどのような立場から発信するのかを決めるのは書き手自身である。AIは文章を生成できるが、主張を自らの名で背負うことはできない・・・

・・・学部生の多くは大学外の社会に進む。問いを立て、情報を見極め、自らの判断を言語化する力は医療、教育、行政、司法、企業経営など、分野を問わず求められる。大学でのライティング経験は、知的労働の基盤となる思考力を鍛える。
米国の大学では初年次教育や分野横断型の科目を通じて問いの設定や読者・目的・状況を意識した文章づくりのプロセスを半世紀以上にわたって継続的に指導してきた。他方、日本の大学ではこのような体系的なライティング教育が十分に制度化されているとは言いがたい面もある。

生成AIは、少なくとも現時点では、こうした知的活動を補助する技術にすぎない。そもそも自ら問いを立て、構想を組み立てる力がなければ、AIを使っても説得力のある文章にはならない。自分の力を大きく超える文章が生成されたとしても、それが本当に理解できている内容なのか、自分の立場や価値観と整合しているのかを見極められなければ、使いこなすことはできない。最終的に問われるのは、自らの判断を自らの言葉で示すことへの誇りである。

大学教育でのライティングはこれまで、提出物を評価する枠組みが中心だった。この構図のままでは、もっともらしい文章を生み出すAIは安易な近道になりうる。しかし本来、大学が育てるべきなのは文章を通じて考え、探究し、他者に伝え説得する力である。完成品だけでなく構想し、組み立て吟味する過程こそが学びの核心だ・・・