人工知能と大学教育

2026年4月14日   岡本全勝

3月30日の日経新聞、ポール・ケイ・マツダ、アリゾナ州立大学教授の「大学のライティング教育、AI時代の使命は 責任と誇りの主体育てよ」から。詳しくは記事をお読みください。

・・・生成AI(人工知能)が登場した当初、米国の大学も揺れた。学生は一様に飛びついたわけではない。使い方が分からず期待した成果が得られなかったり、かえって時間がかかったりすることもあった。自力で質の高い文章を書ける学生ほど、その限界を早く見抜いていた。教員側も賛否が分かれ、一部の大学は全面禁止に踏み切った。だが、利用を完全に抑え込むことは現実的ではなかった。禁止は地下化を招き、教育的な対話をむしろ困難にする。
こうした経験を経て、多くの大学は方針を見直し始めた。単なる容認でも排除でもなく、批判的かつ倫理的に活用するための枠組みづくりへと動いている。

私が所属するアリゾナ州立大学は、こうした制度設計において先端をゆく大学の一つである。早い時期から生成AIに関する指針や教育資源を大学全体で整備し、教員に授業ごとの利用方針の明示を求めるとともに、学生には利用の透明性を求めてきた。さらに「Chat(チャット)GPT」を開発したオープンAIとの連携や、独自のAI作成ツールの開発も進め、技術を教育や研究の中にどう位置づけるかを組織的に検討している。前提にあるのはAIを排除するのではなく、人間の思考を中心に据えたうえで活用するという姿勢である。

ここで改めて問われるのは、書かれたものに対して誰が責任を負うのかという点である。
米国の高等教育では、ライティングは単なる文法や形式の指導にとどまらない。書く過程そのものが思考であり、問いを立て、資料を選び、角度を定め、構成を練り直す中で知識は形づくられる。書きながら初めて、自らの立場の曖昧さや論理の弱点に気づくことも少なくない。推敲の過程で問いが洗練され、主張の輪郭が定まる。つまり、書くという行為は考えを生成し、練り直す営みである。この考え方は英語を母語とする学生にも、第2言語として学ぶ学生にも同様に当てはまる。

生成AIは文法や語法を整え、表現を洗練し、文章構造を提案することができる。既存の情報を集めて整理し、発想を広げ、見落としていた視点を示すこともある。しかし、どの問題が重要かを見極め、どの資料を採用するかを判断し、どの方向にどのような立場から発信するのかを決めるのは書き手自身である。AIは文章を生成できるが、主張を自らの名で背負うことはできない・・・

・・・学部生の多くは大学外の社会に進む。問いを立て、情報を見極め、自らの判断を言語化する力は医療、教育、行政、司法、企業経営など、分野を問わず求められる。大学でのライティング経験は、知的労働の基盤となる思考力を鍛える。
米国の大学では初年次教育や分野横断型の科目を通じて問いの設定や読者・目的・状況を意識した文章づくりのプロセスを半世紀以上にわたって継続的に指導してきた。他方、日本の大学ではこのような体系的なライティング教育が十分に制度化されているとは言いがたい面もある。

生成AIは、少なくとも現時点では、こうした知的活動を補助する技術にすぎない。そもそも自ら問いを立て、構想を組み立てる力がなければ、AIを使っても説得力のある文章にはならない。自分の力を大きく超える文章が生成されたとしても、それが本当に理解できている内容なのか、自分の立場や価値観と整合しているのかを見極められなければ、使いこなすことはできない。最終的に問われるのは、自らの判断を自らの言葉で示すことへの誇りである。

大学教育でのライティングはこれまで、提出物を評価する枠組みが中心だった。この構図のままでは、もっともらしい文章を生み出すAIは安易な近道になりうる。しかし本来、大学が育てるべきなのは文章を通じて考え、探究し、他者に伝え説得する力である。完成品だけでなく構想し、組み立て吟味する過程こそが学びの核心だ・・・