先日の「20年後の新聞」(2月20日の記事)について、ある読者から、メールをもらいました。新聞が変わっているであろうことについては、同意しつつも、次のような意見でした。
・・20年ぐらい先を考えるのはおもしろいです。そしてたいてい暗澹たる気分になります。私が、まだ生きているかも知れないからでしょうか。
記者クラブ制度や戸別配達などは、変わっているでしょう。しかし、1990年から2010年の20年間を思い返すと、換骨奪胎しながらまだ残っているかもしれません。
日本語市場は、残っていますよ。この40年で壊れなかったですからね。規模拡大しているかもしれないとさえ漠然と思います・・
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20年後の新聞
今日の放課後、旧知の新聞記者さんと、意見交換会をしました。そこでの話題です。
「20年後に、新聞はどうなっているか?」
いろいろと悲観的な意見が出ましたが、私は次のように考えています。
新聞は、なくならない。ニュースを見るなら、インターネットで、素早くたくさんの記事を読むことができます。しかし、新聞の「機能」は、あふれるほどのニュースから、ある基準で選択し、そして優先順位をつけて、一定の紙面の中に納めてくれることです。
忙しい社会人としては、この機能はありがたいです。そしてこの「選択」が社会での「標準」になります。重要なニュースを知っていないと、会社でついて行けません。他方で、新聞に載っていない記事は、知らなくても恥をかきません。もちろん、常に記事の取捨選択や優先順位付けが「正しい」とは限りません。そこに、各新聞社の「考え方や趣味の違い」が現れます。朝日新聞と、読売新聞と、毎日新聞と、産経新聞との違いです。
もう一つの新聞の機能は、解説です。日々のニュースを流すだけでなく、それらを歴史的社会的背景から位置づけ、どのような意味を持っているかを解説してくれることです。もちろん、この機能は専門誌などが担うことでもありますが、新聞はお手軽です。
朝刊と夕刊が、毎日宅配されているか。これは、疑問です。自宅にあるプリンターで、印刷するようになるでしょう。新聞配達員はいなくなるでしょうね。
現在、日本語という「非関税障壁」に守られている「記事の内容」「解説の水準」についても、大きな変化を受けていると思います。グローバルな記事や解説が増え、それは日本語でなく英語になっている可能性が高いです。あるいは、英語の記事が翻訳されているでしょう。
20年後には、実際はどうなっているでしょうね。私の予想は、当たったためしがありません。苦笑。
反射的回答、実績を問わない内閣支持率調査
講談社のPR誌『本』11月号に、薬師寺克行・東洋大学教授が、「世論調査政治の落とし穴」を書いておられます。
1946年8月5日付の朝日新聞の世論調査の記事と、2012年6月6日付の世論調査記事との比較です。1946年(昭和21年)の場合は、「吉田内閣を支持しますか」と「もし近く総選挙があるとすえばどの政党を支持しますか」という、内閣支持率調査と政党支持率調査です。全国で20万枚の調査票を配り約13万票を回収しています。
論点はここからです。
吉田内閣の発足は5月22日、世論調査は7月以降に実施され、記事になったのは8月5日です。内閣発足から世論調査実施までに、1か月以上をかけています(準備などに時間を要したのかもしれません)。回答者(有権者)は、吉田内閣の働きぶりを見て、答えているでしょう。
一方、2012年(今年)の場合は、6月4日に内閣改造が行われました。午後1時半ごろに記者会見があり、皇居での認証式は17時、初閣議は20時40分です。朝日新聞による「全国緊急世論調査(電話)」は、6月4日と5日に行われ、記事は6日の朝刊に載っています。調査は、4日午後から5日夕方までに行われたと推測されます。
すなわち、回答者は新内閣の仕事ぶりも見ないで、回答を迫られています。薬師寺さんは、次のように書いておられます。
・・内閣改造の瞬間から実施される今日の調査は、回答者の何を引き出すことができるだろうか。新閣僚らはまだ何も発信していない。さらに多少は回答者が考える余裕や持ちやすい面接調査ではなく、即答を求められる調査である。大半の回答者は、突然かかってきた電話に驚き、十分な判断材料のないまま直近に得た情報や目にした映像などに頼って、反射的に「支持する」「しない」を回答しているのだろう・・
薬師寺さんは、元朝日新聞政治部エディター(政治部長)です。この批判には、重みがあります。
復興庁批判、具体的な指摘と抽象的な批判
9月14日の復興推進委員会の中間報告は、具体的に良い点と悪い点を、指摘していただいています
それに引き替え、記者の中には「復興庁ができたのに、復興が進んでいないとの声があるが、どうか」という質問・批判をする人もいます。私は、「また、ワンパターンの批判か」と思いつつ、「それは誰が、どのような事案で言っていますか。それを教えていただいたら、私たちも改めます」と切り返します。多くの場合、「いえ、みんなが言っています」という答えです。これでは、議論は進みませんわ。
先日紹介した読売新聞のアンケート(9月11日の記事)では、8割の市町村長が復興庁を評価してくださっています。ワンパターンの質問をする記者には、「読売新聞で『復興庁を評価する』と答えた首長に、『なぜ、良い評価するのですか』と質問してください』と言いたくなります。「すべてを肯定的に評価してくれ」とは言いません。「どこがどのように悪いか」を指摘してほしいのです。
若い記者が、先輩の受け売りの「ワンパターン政府批判記者」になっては、良い記者になれませんよ。もっと、勉強しましょう。
情報をすっぱ抜く
マスコミ(新聞やテレビの報道)が、ニュースの競争をします。例えば、政府が発表する内容や政府が公表していない情報を、いち早く報道するのです。
記者の間では「抜いた」「抜かれた」と、他社との競争が激しいようです。もっとも「どうせ明日になれば公表されるのに」と思うことが、しばしばあります。「抜く」という言葉には、他社より速く報道する(他社を出し抜く)と、非公開情報をすっぱ抜くの、二つの意味があるのでしょう。
政府側は、何らかの事情があって、ある期日まで部内限りの秘密とします。その事情はさまざまです。閣議決定事項なので、閣議後公表する予定になっている、あるいは関係者への事前説明が終わっていないとか。相手(外国だったり国内の交渉相手)との交渉途中なので、まだ公表できないとかです。これらは、ある日が来ると、あるいは交渉がまとまり公表できる段階になると、公表します。別に、「部外秘」というのもあります。国家機密(例えば日本の防空体制、政府のコンピュータシステムへのアクセスするパスワードなど)です。また、個人のプライバシー情報も、保護されます。これらは、かなりの期間、秘密とされます。
すると、記者が「抜く」ことの意義や影響を、場合に分けて考えることができます。不十分な検討ですが、次のように整理してみましょう。
閣議決定内容が事前に報道される場合。これは内容が決定済みなら、影響はそう大きくはないでしょう。事前根回しがまだの関係者が、すねる場合があります。決定案が作成途上だと、やっかいなことになります。漏らしたのは、情報をもっている人(政府部内)でしょうから、情報管理に問題があります。
相手と交渉中の場合。これは大きな問題になります。まだ交渉中なのに、その過程が明らかになる、あるいはこちら側の手の内が明らかになると、交渉はうまく行かないか、不利になります。そして相手が複数の場合は、さらにややこしくなります。交渉が難航するか、相手国を利することになります。途中経過を、相手側が「意図的に」漏らす場合も考えられます。これはそうすることが、その人にとって有利に働くと考えた「作戦」かもしれません。情報管理に問題があるとしても、このような情報を記事にすることは、一考の余地があると思います。
国家秘密の場合は、内容によって、違ってくるでしょう。防空体制を公表することは、相手国を利することで、国家の利益を害します。パスワードも、犯罪者を利することになります。他方、アメリカのペンタゴンペーパーズや、ウォーターゲイト事件では、「政府の犯罪」を追求することになりました。