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愛国心、いびつな言説はメディアにも責任、3

「相当な覚悟としたたかさが必要ですね。日本にできますか」という問に。
・・もちろんできます。ここでも現代日本を過小評価してきたメディアの責任は大きい。日本のメディアはあまりに悲観的です。世の中には楽観的な事実も悲観的な事実も無数にある。そこから何を選び、どんな論調をつくるかは、ジャーナリズムの責任です。ひたすら悲観的な論調で日本の世論を暗くし、イメージを傷つけるべきではありません。
社会が暗くなると人々に自虐的な思考が広がる一方、不満をためた人たちは過去の栄光にすがる。日本の良いところをきちんと評価し、健全なプライドをメディアが意識して育てないと、人々はゆがんだプライドを求めるようになります。それが「大東亜戦争」を肯定したり、慰安婦問題で居直ったりという行動につながってしまうのです・・
「しかし現状を肯定するばかりでは、メディアの責任を果たすことはできません」との、記者の反論に対して。
・・権力監視や現状の批判は必要ですが、現在のあまりに硬直的な悲観主義や否定・他罰的傾向を見直してはどうかと言っているのです。それは政府や社会に対してだけでなく、メディア相互の関係でも言えることでしょう。例えば朝日新聞と読売新聞の論調は互いに批判しあう関係ですが、むしろ両者が共有できる部分を大事にするべきでしょう・・
「日本人は健全な愛国心を持てますか」
・・戦後日本の歩みは世界で類をみないほどの成功物語でした。日本にはそれだけの力がある。どんな人間だって「誇り」という形で自分の存在理由を見つけたい。メディアがそれを示し、バランスのとれた議論を展開すれば、日本社会は必ず健全さを取り戻すと信じています・・

愛国心、いびつな言説はメディアにも責任、2

・・日米安保体制の強化で中国の行動への抑止力を高めることは必要でしょう。けれども20年後、さらに50年後はどうか。米国に頼って中国と軍事的に対峙する路線が、どれだけ賞味期限をもつのか。そうしたリアリズムこそ日本に必要なものです。
13億人の中国は、多少の挫折はあっても将来米国と肩を並べ、さらに米国を超える超大国になる可能性が高い。他方、百年国恥の屈辱感の裏返しである現在の中国の攻撃的な路線が永久に続くわけではない。対立するより、諸国と共に中国の過剰な被害者意識をなだめ、卒業してもらう工夫を日本はするべきです・・
・・中国が持たないソフトパワーをいかすことです。日本の学者が主導してアジア国際法学会を日本で開催した際、参加した中国人が必死に運営のノウハウを学ぼうとしたことは象徴的です。製造業やサービス業、医療のシステム、アニメやファッション、さらには秩序だった市民生活のルールなど日本には中国にとって魅力のあるソフトがあります。それで中国の懐に入り込み、ウインウインの関係をつくり出すべきです・・

愛国心、いびつな言説はメディアにも責任

朝日新聞オピニオン欄4月16日は、大沼保昭教授の「日本の愛国心。『誇り』か『反省』か、極論を見せ続けたメディアにも責任」でした。
「最近、日本人の愛国心が変だと心配されていますね」との問に。
・・「愛国」や「日本人の誇り」を主張する人が、日本の起こした過去の戦争を反省する姿勢を「自虐」と切って捨てる姿勢が強まっています。戦争を真剣に反省して努力を重ねたからこそ、世界に誇り得る戦後日本の見事な復興と達成がある。そこが十分理解されていないのではないでしょうか・・
・・他方、現在のいびつな状況をつくり出した大きな責任は、「愛国」「誇り」の論者と過去を「反省」する論者を対立させるという「激論」の図式で人々の思考に影響を与え続けてきた日本のメディアにあるのではないか。戦後日本は過去を反省し、世界の国々から高く評価される豊かで平和で安全な社会をつくり上げた。それを私たちの誇りとして描き出さず、戦前・戦中の日本に焦点を当てて、愛国か反省かの二者択一の極論を見せ続けた。その結果、いびつな愛国心が市民に広がったのではないでしょうか・・
・・私はずっと、戦後日本は過去の植民地支配と侵略戦争を反省して平和憲法を守り続けてきたことを世界にもっともっと発信した上で、欧米に対して「あなたたちはどうだったのですか?」と問題提起をするべきだと主張してきました・・

違うテーマで署名記事2本

今朝16日の朝日新聞1面に、「原発事故からの避難、移住進む 家や土地取得1791件」が載っていました。中村信義記者の署名入りです。2面に、「党拡大、資金集めの呪縛 渡辺前代表8億円問題、軌跡を追う」の記事があり、中村信義記者の署名が入っています。復興と政治資金をテーマに2本の記事、それも1面と2面。他の記者との連名とはいえ、大活躍ですね。

政治評論の役割、2

御厨先生の指摘を読んで、私は、アカデミズムとジャーナリズムの罪を考えました。もっとも、これは私のオリジナルではなく、多くの識者が指摘していることです。
これまで日本のアカデミズムは、海外の理想的な政治制度を紹介して、それを基準に日本の政治は遅れていると、国民を教育してきました。その際に、イギリスやフランス、アメリカでも、ここに至るまでにどのような経験と犠牲を払っているかを、捨象しています。そして、それらの国々でも、日々の政治の運用では、そんなに単線的にかつきれいに進んでいるのではないこと、利害対立が激しいことを教えません。
ジャーナリズムもまた、その理想を基準に、「日本の現実政治はダメだ」と批判します。それはある面必要です。しかし、「あれもダメ、これもダメ」と批判するだけでなく、「ここはダメだが、ここは良い」と指摘しないと、「全て悪い」では、改良と進歩がありません。また、理想に近づく道筋を指摘しないと、無責任です。
子育ても、部下職員の教育も同じでしょう。欠点をしかってばかりでは、子どもは育ちません。良いところを誉め、欠点は修正の方向を示す必要があるのです。
あわせて、政党の扱いが小さすぎると思います。日本は、議会制民主主義をとっているのですから、政党を通じて政策を実現するのが、正当な道です。すると、それぞれのテーマ・政策について、各党の主張を検証し、より正しいと思われる政党を支援することが必要でしょう。政党を誉め、批判して、育てることが必要です(官僚批判をしているだけでは、良い政治は実現しません)。