カテゴリー別アーカイブ: 報道機関

1997年11月26日の取り付け騒ぎ

11月26日の朝日新聞経済面、原真人・編集委員の「あの日恐慌寸前だった」から。
・・・戦後日本で最も経済破綻が近かった日をあげるなら、ちょうど20年前の1997年11月26日である。多くの銀行で深刻な取りつけ騒ぎが起き、金融恐慌寸前となった。報じられなかった事実もふくめ、当事者たちの記憶をたどって改めて歴史に刻みたい。これからの私たちのために・・・

・・・「日本経済はこのまま破綻してしまうのだろうか」。30年の記者生活で、そんなことを考えたのは後にも先にもあの日だけだ。
そのまま取り付け騒ぎを記事にしたら預金者に不安が広がり、全国の金融機関に連鎖する可能性が高いと考えられた。朝日新聞は、現場の写真も含め、記事にするのを見合わせた。報道協定はなかったが、結果的にほぼすべてのマスメディアが同じ判断をした。
いま同じ騒ぎが起きたらどうか。インターネット社会では誰もがツイッターやユーチューブで情報発信ができる。取り付け情報の拡散は止めようがない。マスメディアの配慮などまったく役に立たないだろう。その結果何が起きるのか、私たちにもまだわからない・・・

事実の回顧とともに、マスコミの役割についても、考えさせられます。
原文をお読みください。

欧米の大手メディアの日本語版ニュースサイト

4月8日の朝日新聞に「日本語サイト、開設続々」という記事が載っていました。
・・・欧米の大手メディアの日本語版ニュースサイトが次々に誕生している。公共放送、経済紙、通信社。米大統領選など世界中が注目する国際ニュースが近年多いことや、東日本大震災の発生が、日本語読者の海外ニュース需要を高めているとの見方もある・・・

日本のニュースなら日本の報道機関の方が充実しているでしょうし、海外ニュースなら通信社の配信か日本人特派員の記事で良さそうなものです。なぜか。
・・・ロイターの下郡さんと、WSJの西山さんは「日本の読者は日本が世界にどう見られているのかをとても気にする」と口をそろえる。11年の東日本大震災と原発事故が閲覧者増の一因になったとも指摘する。下郡さんは「日本メディアが政府の主張をそのまま伝えているのではないかとの不満もあり、海外から福島に入った記者の記事がよく読まれた」と振り返る・・・
・・・BBCの加藤さんは、日本の報道機関との立ち位置の違いを指摘する。「例えば日本のメディアが米国政治を報じる際には、TPPや安保などで日本にどんな影響があるのかが何よりも大事になる。我々は、日本では報道されない情報に価値を見いだしている」
在英ジャーナリストの小林恭子さんは「海外ニュースが日本語でそのまま読めるのがだいご味。学者やビジネスマンの情報収集にも便利だ。日本メディアも、ニュースに多様性を持たせることが求められているのでは」とみる・・・

日本は島国であることとともに、日本語が一番の「非関税障壁」だと私は考えています。商品はその壁を越えますが、報道、教育、研究などは、日本語の壁に守られ「鎖国」「ガラパゴス」状態でも生きてこれました。高等教育を、英米仏以外の自国語でできる国は少ないのです。多くの国で指導者層は英語でニュースを見ています。日本でも、自然科学研究分野は、日本語の壁を越えて海外へ打って出ています。
新聞社、大学、霞ヶ関が、日本語で守られた代表例です。報道で、日本語の壁をこのような形で乗り越えるとは想像していませんでした。

ホワイトハウスの記者会見に出席しない

3月7日の日経新聞オピニオン欄「トランプ氏VSメディア」、ジョン・ミクルスウェイト、米ブルームバーグニュース編集長の発言から。
・・・過去の大統領も一部のメディアを嫌い、不安定な関係にあった。トランプ氏だけが特別ではない・・・ただ、これまでにない異例なことが起きた。ホワイトハウスで開催された記者懇談で一部の記者が排除されたのだ。ブルームバーグの記者はそうした状況を知らずに参加したが、今後こうしたことがあれば、出席しないと決断した。公共の利益に反すると思うからだ・・・
「あえて参加し、情報を得たり、その場で意見を述べたりする道もあるのでは」という問いに。
・・・白か黒かすっきり割り切れる問題ではなく、逆の考え方もあり得る。ブルームバーグの顧客にも「内部で何が起きているか知りたい」という人がいるかもしれない。しかし、情報の流れをオープンに保つことが公共の利益にかなうと思う。何ら抗議せずに参加すれば、さらに悪いことが起きる・・・
原文をお読みください。

戦争、マスメディアの責任

12月23日の朝日新聞オピニオン欄「社説余滴」は、加戸靖史・論説委員の「『逃げるな消さう』重い過去」でした。第二次世界大戦中の本土空襲についてです。
・・・国は戦後、「国民は戦争被害を受忍しなければならない」という「受忍論」をたてに、空襲被害の補償を拒んできた。「命を投げ出して国を守れ」という国策が多くの人を死なせたのに。大前さんの詳細な検証からは、受忍論の理不尽さが浮かび上がる。
国民を死に追いやりながら、責任を取ろうとしない国は明らかにおかしいと思う。
では、国が言うがまま「死ぬまで頑張れ」と書き続けたメディアはどうだったか。
私は今まで、自分が属する社が何を書いてきたか、聞いたことも、考えたこともなかった。そのこと自体、いたたまれない思いにかられる・・・

つい昨日のことの検証

昨日に続き、新聞記事から。
12月5日の朝日新聞経済欄「証言そのとき」は、佐渡賢一・元検事の「不正に挑んだ45年」でした。リクルート事件を捜査立件した経験が、書かれています。リクルート事件は、バブル期に起きた、未公開株を譲渡することで、巨額の金を贈賄した事件です。それが明らかになり、政治家や官僚、大企業のトップが起訴された事件です。これまでにない経済犯罪に、どのように切り込んだか。生々しい証言です。
12月4日の日経新聞「日曜に考える。検証」は、「ダイエー60年、消える看板」でした。日本一の小売業だったダイエー、一時はデパートを追い抜いたスーパーマーケットの雄でした。それがなぜ破綻し、看板も消えたのか。その検証記事です。
高度成長期は、はるか昔になりましたが、バブル期も、四半世紀以上前のことになりました。私たちの年代にとっては、「つい昨日のこと」ですが、若者は知りません。学校でも本でも勉強していないことが、多いでしょう。私たちも、同時代のこととしてニュースで見ましたが、体系立てて全体像は知りません。このような検証記事は、勉強になります。新聞の大きな役割です。