5月14日の朝日新聞夕刊「いま「宗教」は」「「目に見えない宗教」、静かに浸透 東大教授・堀江宗正さんに聞く」から。
・・・多くの人が「無宗教」を自認し、宗教を社会の周縁に置いてきた――。それが日本社会の姿だと東京大学教授の堀江宗正さん(宗教学)は指摘する。一方で、オウム真理教による一連の事件以後、既存の宗教は存在感を低下させ、代わって「目に見えない宗教」が静かに社会に浸透しているという。話を聞いた・・・
・・・そもそも「宗教」は、西洋のreligionを訳す形で明治期に使われるようになった新しい概念です。普通の日本人には馴染(なじ)みがありません。そのため、生活に密着している「神道行事/葬式仏教/民間信仰」は、教団をもった「宗教」から区別されるのが普通です。宗教学的には、神・仏・霊などを前提とするので「宗教」とされます。しかし、多くの人は、初詣や冠婚葬祭に関わっていても、自分たちは「無宗教」だと考えます。
一方、明治憲法は「安寧秩序を妨げ」ない限りで信教の自由を認めました。現行の宗教法人法は、教義・儀式・信者が明確な団体を宗教法人とします。今日では、多くの人が「宗教」と言えば教団宗教であり、安寧や秩序を妨げる危険なものだとイメージします・・・それに対して、先にあげた「非宗教」(宗教とされないけれど宗教学的には「無宗教」ではないもの)は、大事なものとして実践されています。
オウム以降は、教団宗教と無関係に、心霊、癒やし、パワースポット、占い、瞑想、魔術への関心を持つ人が増えてゆきます。宗教学者は、これらの動向をスピリチュアリティ(霊性)と総称しました。教団に着目するだけでは見落としてしまう「見えない宗教」でした。その多くは、民間信仰だけでなく神道や仏教の一部の実践とつながっています。
2000年代には、スピリチュアル・カウンセラーと称する江原啓之氏のテレビ番組が人気を博します。オーラや前世や守護霊などを信じる「スピリチュアル・ブーム」も起きました。
その背景には、孤立や個人化が進展し、「イエ」への帰属意識が希薄になるという変化があります。それは教団を嫌い、家族と距離を取ることとつながります。この時期には先祖供養を重視する教団の信者が減少します。それに対して、自分の苦しみの原因はイエの「先祖」より個人の「前世」にあるという輪廻(りんね)観がスピリチュアリティでは目立ちます・・・
・・・いつの時代にも、人は信じる拠(よ)り所を欲しがります。日本近代史は「信じたのに裏切られた」ことの連続かもしれません。信じる心と疑う心が同居するような心のあり方を、私たちは学ばなければならないのかもしれません・・・