カテゴリー別アーカイブ: 身の回りのこと

岡義達著作集2

岡義達著作集」の続きです。岡政治学がどのようなものか知ってもらうために、主著である『政治』(1971年、岩波新書)を少し紹介しましょう。
目次は、次のようになっています。
序章 政治のイメージ
第一章 個人状況と政治状況
第二章 価値体系の類型
第三章 政治権力と価値体系
第四章 政治政策の類型
第五章 体制と運動
第六章 視座構造の類型

本屋に並んでいる政治学の教科書とは、まったく異なっています。例えば、砂原庸介ほか著『政治学の第一歩〔新版〕』 (2020年、有斐閣)では、次のような目次が並んでいます。|
第1章 政治のとらえ方
第2章 国家という枠組み
第3章 政治体制
第4章 選挙と投票
第5章 政党と政党システム
第6章 政権とアカウンタビリティ
第7章 執政・立法・司法
第8章 政策過程と官僚制・利益団体
第9章 連邦制と地方制度
第10章 安全保障と平和
第11章 国際政治経済
第12章 国際社会と集団・個人

後者の目次で言えば、「第1章 政治のとらえ方」に当たると言ったらよいでしょうか。何をもって政治と考えるか各人によって異なるので、ぴったりとは一致しません。ただし、ここで言いたいのは、政治の各論ではなく総論であるということです。『政治』の序文の最初に、次のような文章が書かれています。
「本書で問題とするのは政治一般である。個々の問題や、問題解決の組織をあつかってはいない。問題や組織をめぐって、いろいろな感じ方なり考え方があろう。これらすべては、いわゆる政治過程の重要なアイテムであるが、本書では、これらをすべて政治のあらわれとしてみ、したがって、例示の材料として用いても、それらのウェイトに応じた説明をこころみてはいない」

佐々木毅著『政治学講義 第2版』(2012年、東京大学出版会)の目次は、次のようになっています。『政治』が扱う範囲は、この本の前半につながります。佐々木先生の本は「政治学原論」の教科書と言っておられます(東大法学部の講座名は「政治原論」)。
序論
第一章 現代政治学の展開
第二章 理論・概念・価値判断
第一部 原論
第一章 人間
第二章 政治
第三章 権力と政治権力
第四章 政治システム・政府
第五章 正統性
第六章 リーダーとリーダーシップ
第七章 公共の利益と公民の徳
第二部 現代民主政治論
第一章 民主政治
第二章 民主政治の諸条件
第三章 民主政治の制度
第四章 投票行動と政治意識
第五章 政党
第六章 官僚制
第七章 利益集団
第八章 政治経済体制と民主政治
第九章 エスノポリティクス
第一〇章 政治思潮とイデオロギー

さらに現代の政治学にはどのような論点があるかは、古くなりましたが「現代政治学叢書」(1988~、東京大学出版会)が参考になります。「岡義達著作集3」に続く

岡義達著作集

吉田書店から「岡義達著作集」が出版されました。絶版になっていた岩波新書『政治』が読めるようになったことは、喜ばしいです。

『政治』は、政治を見る際の、見方の枠組みを示しています。「政治」は人によって意味するところが異なります。その違いはどこから来るのか、では共通するのは何か。最大公約数を探ります。
岡先生の政治学は、象徴論と分類されるものです。人と人との関係を、力や金銭ではなく、意味の共有として考えます。そして、時代を超えた共通項を剔出します。政治とは何か、政治学とは何かを考えたい人には、ぜひ手に取って、挑戦してほしいです。

前にも紹介したように、苅部直東大教授の政治学の入門書『ヒューマニティーズ 政治学』(2012年、岩波書店)の読書案内の最後に、次のように書かれています。
・・そして最後に、ある意味で大人向け、もしくはプロ向けの、「政治」に関する本を二冊。岡義達『政治』(岩波新書、1971年)と佐々木毅『政治の精神』(岩波新書、2009年)。どちらも、新書版とは思えないほどに読み口の重い本であるが、それは決して抽象的で難解という意味ではない。じっくり読み解いていけば、「政治」という営みがまとう、意味の分厚い塊がしだいに溶け出してくるように感じられるはずである・・
吉田書店は、よい本を出してくださいますね。ありがとうございます。「『解(ほど)けていく国家―現代フランスにおける自由化の歴史』
岡義達著作集2」に続く

哲学書の翻訳は理解できない文章だった

朝日新聞連載「人生の贈り物」、5月14日は長谷川宏さんの第11回「ヘーゲル新訳、読書会に鍛えられて」でした。

《1992年、ヘーゲル「哲学史講義」の新訳を発表。平易で明晰な訳文は画期的と大きな反響を集める》
従来の哲学書の邦訳は生硬で不自然、何度読んでも納得できない文章が多かった。それが哲学をとっつきにくいものにしたという不満があったんです。
81年から、サラリーマンや学生の人たちとヘーゲルをドイツ語で読む会を開いていました。地域の読書会でも、東京都国立市の市民講座などでも、ヘーゲルを取りあげました。
「哲学史講義」の新訳は、彼らとの語らいで鍛えられ、背中を押されたのは間違いない。日本語としての読みやすさを心がけました。逐語訳でなくわかりにくいところは砕いて訳した。「即自」「対自」「措定」「悟性」などもあえて使わない。専門家以外はイメージを抱きにくいと考えたからです・・・

指摘の通りです。私が大学生の時代は、哲学、特にドイツ系、マルクス主義などの翻訳は、「これが日本語か」と思うような文章がまかり通っていました。当初、私は私の頭が悪いのだと思いましたが、そのうちに、これは訳文が悪いんだと気がつきました。

ツバキの花

市町村アカデミーの庭に、去年植えた五色散り椿。人の背丈ほどですが、きれいな花をたくさん咲かせています。ほかの植木と一緒に、係の方が世話をしてくださるのです。小鳥が来て花を食べるらしく、花びらにその痕跡があります。

自宅の鉢植えの五色散り椿は、例年に比べると、今年は花が少ないです。肥料が足らなかったのでしょうか。
玄関脇の紅ツバキは、ちらほらしか咲きません。昨夏の剪定で、切りすぎました。今年は、そのようなことのないようにしましょう。でも、すぐに枝が伸びるのです。狭い空間では、自由に伸ばしてやれなくて。

お向かいの水仙畑は満開です。我が家のチューリップは、葉を伸ばしています。寒の戻りで、桜の開花は遅れそうですね。