カテゴリー別アーカイブ: 身の回りのこと

悲しい出来事、本が見つからない、本が見つかった

先日から、ある本を探しています。数年前に読んで、確か「本棚のこのあたり」に、置いたはずなのですが。見当たりません。「散歩に出かけたのか」と、書斎の中を探しているのですが、出てきません。床に積み上げた本の中も、苦労しながら探したのですが。
悲しい出来事は、これではありません。その捜索過程で、別のある本を、見つけました。しかし、それが悲しかったのです。
実は、その本は読みたいと思って、先月アマゾンで注文して、届いたばかりなのです。同じ本が2冊。

ボルサリーノ

私がふだんかぶっている帽子は、中折れ帽(ソフト帽)で、合冬物はボルサリーノ製です。ボルサリーノは映画の題名になったくらいで、私は普通名詞だと思っていました。イタリアの有名メーカーです。ソフト帽を初めて売り出したので、ソフト帽の代名詞になっているとのことです。
新聞に紹介が出ていて、インターネットで製造過程を見ることができます。半世紀以上前とおぼしきフィルムと現在とが、継ぎ合わされています。不自然でないということは、製造方法が変わっていないということでしょうか。「Under the Hat 1.5分版」「Under the Hat 9.5分版」。
under one’s hat には、「秘密にしておく」という意味がありますが。(日本ではボルサリーノジャパン

思い出の本、その2。岡先生「政治」

思い出の本、原書講読」の続きです。

岡義達先生に、岩波新書『政治』(1971年)があります。私は、この本が岩波新書の中で最も内容の濃い(難解な)新書の一つだと思っています。残念ながら、絶版になっています。
大学3年生の時に読んで、1回では歯が立ちませんでした。新書にこんな難しい本があるのかと、驚きました。抽象度が高く、歴史や背景を知っていないと、意味がわからないのです。「精米」の度合いが高い、無駄のない研ぎ澄まされた文章も、初心者には取っつきにくかったです。何度か読み返し、1年がかりで、理解できるようになりました。私のものの見方を作ってくれた本の一つです。
具体事例から抽象化をして法則を見いだすのが、学問です。その際の「切り口」と「切れ味の良さ」が、勝負になります。もっとも、抽象化が過ぎると、「何でもあり」になってしまいます。そのさじ加減が、難しいのです。

苅部直東大教授の政治学の入門書『ヒューマニティーズ 政治学』(2012年、岩波書店)の読書案内の最後に、次のように書かれています。
・・そして最後に、ある意味で大人向け、もしくはプロ向けの、「政治」に関する本を二冊。岡義達『政治』(岩波新書、1971年)と佐々木毅『政治の精神』(岩波新書、2009年)。どちらも、新書版とは思えないほどに読み口の重い本であるが、それは決して抽象的で難解という意味ではない。じっくり読み解いていけば、「政治」という営みがまとう、意味の分厚い塊がしだいに溶け出してくるように感じられるはずである・・

思い出の本、原書講読

大学3年生の時(1975年)に、政治学の岡義達先生のゼミに入れてもらいました。春学期は英語の本を読んで、分担して発表し、秋学期はそれぞれ論文(というほどでもないのでレポート)を書いて発表しました。

原書は、Enid Welsford著『The Fool: His Social and Literary History』(1935年、London)、道化の歴史について書かれたものです。先生からコピーを渡され、300ページを越える英文を、辞書を片手に格闘しました。毎週月曜日に、要約を(日本語で)原稿用紙に書いて提出し、翌日のゼミで先生の朱が入って返ってきます。毎週土曜と日曜は、半泣きになりながら徹夜状態でした。
1935年のケンブリッジ大学の英語は、内容が古今東西の道化の歴史でもあり、フランス語とラテン語がやたらと出てきます。漢文がふんだんに引用される日本の古い本を想像してください。フランス語は第2外国語だったので、まだ何となくわかります。ラテン語は仕方がないので、羅和辞典を買って、前後の文章から類推しました。
20歳の時の思い出です。そのときに使ったコピーの本は、粗末な紙に印刷されたものですが、捨てるに忍びなく、まだ持っています。
1979年には、内藤健二さんの翻訳が、晶文社から出版されました。著者のウエルズフォードさんが、女性だということを、そこで知りました。

この夏に、ふと思い立って、アマゾン(イギリス)で検索してみたら、古本がいくつか出ていました。1980年代に増し刷りされたものでも、結構高い値段がついています。その中に、「書き込みがあるが、それほど高くない」ものがありました。注文したら、1週間ほどで届きました。
便利なものですね。ロンドンで古本屋を探し回って見つけるといったことは、しなかったでしょう。それが、日本にいて、インターネットで楽々できるのです。支払いもクレジットカードですし。
届いた本は、さすがに古色蒼然としています。1935年の初版本なので、80年近く前の本です。表紙裏に、インクで署名があります。なんとそれが著者の署名で、「Feb.6 1956」と添えてあります。縁あって、東京まで来たのです。
暇になったらこつこつと読んでみようかと、本棚に飾ってあります。いつのことやら。「思い出の本、その2。岡先生「政治」」に続く。

中公新書50年

今日、本屋で、『中公新書 総解説目録』(非売品)をもらってきました。たくさん積んでありました。
創刊以来、今年で50年になるそうです。書目は2,189点です。私も高校生の時以来、岩波新書、講談社現代新書とともに、結構お世話になりました。かつては、半透明のビニールのカバーが付いていましたよね。
2009年に『中公新書の森―2000点のヴィリジアン』(非売品)をもらいましたが、これは目録と言うより、識者によるアンケートでした。今度の総解説目録は、品切れのものも含めて、解説付きで載っています。ぱらぱらとめくると、昔読んだ本が並んでいて、懐かしいです。たくさん、品切れになっています。というか、新書という性格なのに何十年も売れ続けている方が、すばらしいことでしょう。

冒頭に、加藤秀俊先生が「創刊のころ」を書いておられます。そこに、中公新書の末尾(奥付の次のページ)に付いている「刊行のことば」(ついてないものもあります)は、加藤先生が32歳の時に書かれた文章だということが、「種明かし」されています。「1冊あたり1円の印税」と提案したけれども、買い切りの原稿料になったと、書いておられます。
・・1冊につき1円というあの冗談が実現していたら、私はかなりの資産家になっていたにちがいない。でも、そんなことはどうでもよい。こうして50年をこえて、なおじぶんの書いた文章が数々の名著の末尾にかかげられていることこそ、わたしにあたえられた最高の報酬だと思っている・・