「身の回りのこと」カテゴリーアーカイブ

思い出の品、爪切り

先日、新しい爪切りを買いました。「そんなこと、取り立てて書くことか」と思われるでしょうが。これには、思い入れがあるのです。
使っている爪切りは、大学に入ったときに買ったものです。親元を離れて、初めて一人暮らしを始めました。生活道具を、大学の生協で買いそろえました。その一つです。切った爪が飛ばないように、両側にガードがついています。初めてこれを買ったときは、「知恵者がいるなあ」と感心しました。

それから今まで、ほかのものはすべてなくしました。入学祝いにもらった高価な万年筆数本も、どこかに散歩に行ったまま帰ってきません。ところが、この爪切りだけは、不思議となくすこともなく使っています。小物ですから、とっくになくしていても当然ですが。徳島にも、鹿児島にも、富山にもついてきた、かわいいものです。18歳の春から62歳の春までですから、44年使ったことになります。キョーコさんより、9年も付き合いが長いのです。
家族は、もっと切れ味のよいのを使っているのですが、私は捨てるのも惜しくて、使い続けていました。しかし、半年前に福島生活用に買った爪切りの切れ味が良く、それに比べ切れ味の悪い愛用品に、遂に別れを告げることにしました。

「往生際が悪い」と笑われそうですが、思い入れとはそんなものでしょう。
期待と不安を持って、明日香村から上京した18歳の春を思い出します。初めて寮で寝た時のさみしさは、今も覚えています。もっとも、周りの人たちのおかげで、すぐに解消しましたが。この爪切りは、ずーっと、私を見守ってくれていたのかもしれません。
この春も、たくさんの若者が、新しい生活に踏み出すでしょう。また、異動や転勤の方もおられるでしょう。その際には、期待とともに、不安もあるはずです。毎日を一生懸命生きることで、その不安を乗り越えていってください。そして、「一人で悩まないこと」が、その不安を解消する薬です。

2月の花

寒い日と暖かい日が繰り返されています。でも、徐々に春が近づいていますね。お向かいのSさん宅、ご近所のHさん宅(ともに広い庭があります)の紅白の梅が満開です。わが家の椿も、ぼつぼつと花を咲かせています。
ただし、昨年夏に刈り込みすぎたので、花が鈴なりという状態にはなりません。もともと華やかでない種類を植えたので、こんなものでしょう。キョーコさんには、「あなたにしては、さみしい花を選んだわね」と言われています。
でも、徐々につぼみが膨らみ、赤さが増します。そして開いたときには、白い縁取りがあります。きれいなものです。華やかばかりが、花ではありません。私のお気に入りです。

これまでに、何本の傘をなくしましたかねえ・・・。
折り畳み式の傘はかさばらず、持ち運びに便利ですが、面積が小さくてあまり役に立ちません。そこで私は、旅行以外は長い傘を使っています。
20年ほど前に、サンフランシスコに行ったときに、オペラハウスで記念に買って帰った真っ赤な傘。もちろん、日本が独立を回復した平和条約の調印式が行われた場所です。飛行機にも抱えて乗って、日本まで持って帰りました。気に入っていたのですが、数年後には、タクシーに置き忘れました。それ以来、車に乗った際には、傘は扉側において、降りるときに絶対忘れないようにしています。
ロンドンで買って、これまた機内に持ち込み持って帰ってきた細身の傘。こちらは、値が張ったこともあり、置き忘れることなく10年以上使っています。もう一本は、安いジャンプ傘ですが、これはこれで使い勝手が良いのです。
それを、自宅と霞が関の職場に1本ずつ置いてあります。福島の職場にも置いておくために、先日もう1本買いました。これも少々値が張りましたが、どうせなら良いものを持とうと選びました。
今日、原稿書きに疲れて散歩する際に、曇り空なので、それを持ちました。途中で、ぱらぱらと細かい雨が降ってきましたが、コートを着て帽子をかぶっていることもあり、新しい傘は広げず帰ってきました。傘を濡らさないで持つのは、本末転倒です(笑い)。子供の時、新しく買ってもらった靴を汚すのが嫌だったのと、同じですね。
もっとも、ロンドンで紳士が使っていた細身の傘は、一度開くと畳むのに専門家の手が必要なので、少々の雨では開かないと聞いたことがあります。

加藤秀俊先生、違った視点・独自の視点でものを見る

加藤秀俊先生が、『加藤秀俊社会学選集』(2016年、人文書院)を出版されました。
私は学生の頃、加藤先生や梅棹忠夫先生を代表とする京都大学人文研の先生方の本、松田道雄、清水幾太郎、山本七平さんなどの世相や日本人論を読みふけりました(「私の読んだ本 残す・残さない」)。大学の授業や学術書では教えてもらえない「日本社会」が、そこにはありました。その鋭いものの見方に、感銘を受けました(私も若かったですし。「私の読んだ本」)。
加藤先生は、デイヴィッド・リースマン『孤独な群衆』を翻訳され、中公新書の末尾(奥付の次のページ)に付いている「刊行のことば」は、加藤先生が32歳の時に書かれた文章だそうです。

1月9日の読売新聞文化欄に、小林佑基記者が「世の中そう変わらない」として、加藤先生のインタビューを載せています。
・・・そこから浮かび上がってきたのは、この50年間の「変らなさ」だ。交通や通信分野では大きく変化したものの、日常生活や人間関係など日本人の基本的な生活文化は、そう変わっていないと指摘・・・変わらぬ理由として挙げるのが日本語の存在だ。共通言語が生活習慣に影響し、文化を固有のものにしているというのだ・・・
・・・他方、様々な母語があるがゆえに異文化との衝突は避けられないとも・・・だからこそ、西洋を絶対視していたかつてのアカデミズムには批判的だ。「我々の頃は、カントやヘーゲルを読むことが教養と言われていたが、生まれた土壌が違うのだから役に立たなかった」。それよりも人生訓などが詰まった落語を聞いたり、夏目漱石や司馬遼太郎の作品を読んだ方が、よほど教養になるというのが持論だ・・・

86歳になられた加藤先生のお写真も載っています。

寒い日、玄関の椿

寒い日が続いています。北日本では大雪も。皆さんの地域では、どうでしょうか。被害が大きくならないことを祈っています。
子供は元気ですね。今日も、孫に遊んでもらうために、公園にお付き合いしました。「お家へ帰ろう」と言っても、なかなか許してくれないのですが、北風が冷たく、家の中へ。
玄関横の椿は、きれいな赤い花を1輪咲かせました。去年夏に、注意して枝を剪定したのですが。それでも切りすぎたようで、お向かいのお師匠さんに、教育的指導を受けました。膨らんだつぼみもいくつかあるので、それなりに花を咲かせてくれるでしょう。
ところで、対にして植えてある、2代目夏椿は枯れてしまいました。残念です。