カテゴリーアーカイブ:身の回りのこと

加藤秀俊先生、違った視点・独自の視点でものを見る

2017年1月24日   岡本全勝

加藤秀俊先生が、『加藤秀俊社会学選集』(2016年、人文書院)を出版されました。
私は学生の頃、加藤先生や梅棹忠夫先生を代表とする京都大学人文研の先生方の本、松田道雄、清水幾太郎、山本七平さんなどの世相や日本人論を読みふけりました(「私の読んだ本 残す・残さない」)。大学の授業や学術書では教えてもらえない「日本社会」が、そこにはありました。その鋭いものの見方に、感銘を受けました(私も若かったですし。「私の読んだ本」)。
加藤先生は、デイヴィッド・リースマン『孤独な群衆』を翻訳され、中公新書の末尾(奥付の次のページ)に付いている「刊行のことば」は、加藤先生が32歳の時に書かれた文章だそうです。

1月9日の読売新聞文化欄に、小林佑基記者が「世の中そう変わらない」として、加藤先生のインタビューを載せています。
・・・そこから浮かび上がってきたのは、この50年間の「変らなさ」だ。交通や通信分野では大きく変化したものの、日常生活や人間関係など日本人の基本的な生活文化は、そう変わっていないと指摘・・・変わらぬ理由として挙げるのが日本語の存在だ。共通言語が生活習慣に影響し、文化を固有のものにしているというのだ・・・
・・・他方、様々な母語があるがゆえに異文化との衝突は避けられないとも・・・だからこそ、西洋を絶対視していたかつてのアカデミズムには批判的だ。「我々の頃は、カントやヘーゲルを読むことが教養と言われていたが、生まれた土壌が違うのだから役に立たなかった」。それよりも人生訓などが詰まった落語を聞いたり、夏目漱石や司馬遼太郎の作品を読んだ方が、よほど教養になるというのが持論だ・・・

86歳になられた加藤先生のお写真も載っています。

寒い日、玄関の椿

2017年1月21日   岡本全勝

寒い日が続いています。北日本では大雪も。皆さんの地域では、どうでしょうか。被害が大きくならないことを祈っています。
子供は元気ですね。今日も、孫に遊んでもらうために、公園にお付き合いしました。「お家へ帰ろう」と言っても、なかなか許してくれないのですが、北風が冷たく、家の中へ。
玄関横の椿は、きれいな赤い花を1輪咲かせました。去年夏に、注意して枝を剪定したのですが。それでも切りすぎたようで、お向かいのお師匠さんに、教育的指導を受けました。膨らんだつぼみもいくつかあるので、それなりに花を咲かせてくれるでしょう。
ところで、対にして植えてある、2代目夏椿は枯れてしまいました。残念です。

平成28年の回顧3、鞄

2016年12月30日   岡本全勝

平成28年の回顧の、番外編です。今年買ったものに、鞄があります。
毎週、福島で勤務するようになったので、適当な鞄を探しました。仕事用の書類鞄は、衣類が入りません。当初は、旅行鞄を使っていたのですが、書類と衣類が一緒に入っているのは、取り出す際に不便です。底が広いので、持って歩くにも不便で。大きなのは、スマートでないし。
そこで、書類鞄に似た、入れるところが2つに分かれて、それぞれにファスナーがついている鞄を見つけました。これなら、一つには書類を、もう一つには衣類を入れることで、取り出しが便利です。

ところが秋が深まり、衣類がかさばってきました。私は、パジャマを持ち歩く派なのです。秋冬用のパジャマは、夏用より分厚くて、かさばるのです。さらに、携帯パソコンと歯ブラシ・ひげ剃り類は福島の事務所に置いてあるのですが、それを事務所からホテルに持っていく必要があります。ここで、鞄に入りきらなくなりました。
鞄屋さんに行って、いろいろ探しました。新幹線で、出張中と思われるサラリーマンたちも観察しました。車が付いたカートや、リュックサック型、そして肩からかける鞄と。しかし、これらは大きすぎます。たくさん入るように柔らかい材質では、書類がよれよれになりそうです。ようやく、大きすぎない手頃な鞄を見つけることができました。

このほかに、ポシェットも。夏にシャツ姿で出かけたり孫と遊ぶ際に、上着を着ていないと、カードや財布を入れるポケットがないのです。かといって、大きな鞄では邪魔になるし。女性用のポシェットは、いろいろきれいなのがありますねえ。いっそのこと、それにしようかとも思ったのですが。キョーコさんが、格好良い男性用のポシェットを探してくれました。
こうして、持ち物が増えていくのですよね。

家の椿、チャドクガ来襲

2016年7月30日   岡本全勝

玄関の椿に、チャドクガの毛虫が、なんと3か所にも発生。先日発生したので、剪定をして風通しを良くしたのですが(7月3日)、またまた発生。お向かいのお師匠さんのおられないときに、自己流で剪定しました。お師匠さんの評価では、「切りすぎ」とのこと。難しいものです。
今日、キョーコさんが、虫に食われている葉を発見。チャドクガの毛虫集団がうごめいていました。よく見ると、他にも2枚の葉に、それよりはるかに生育した毛虫軍団が育っていました。早速処分。
ところで、玄関の反対側に植えてある夏椿。大きなのと小さいのと2本が植わっているのですが。小さい方は、原因不明で葉が枯れました。大きい方も、まだらに葉が枯れています。お師匠さんによると、今回は水やりを怠ったのではない、土と場所に問題があるのではないかとの見立てです。少々無理な場所に植えてあるのです。このまま枯れると、かわいそうなことをしました。

小説は読まない。たまった本の処理

2016年7月23日   岡本全勝

小説は、めったに読みません。というより、そんな時間がないのです。時間があれば、ほかのことに使いたい。それに、小説より現実の方がもっと複雑で、奇々怪々で、奥深いのです。小説のように、単純明快には行かないのです。登場人物も、もっと多いです。困ったことも多いです。
といいつつ、エリス・ピーターズの推理小説「修道士カドフェル」シリーズを、4冊ほど読みました。あるところで紹介されていたのと、中世イングランドが舞台なので、興味を持ちました。読み始めると、結構引き込まれますね。推理小説なので筋書きが重要ですが、修道院の情景や夕方の空の描写、若い二人の心の表現など、著者の繊細さも魅力です。もっとも、私はそのようなところはほとんど読み飛ばして、先を追ってしまいます。まだまだ続編を読みたいのですが、ほかの本を読めないので、ひとまず中断します。
1冊目は買ったのですが、2冊目からは図書館で借りました。文庫本なので安いのですが、書斎の本をこれ以上増やしたくないので。「本は図書館で借りて読む」という友人が何人かいます。それぞれけっこうな読書家なのですが、置く場所がないというのが理由です。
別の友人は、退職を機に、本と資料を職場から引き取るため、家の近くにアパートを借りたそうです。うらやましいと思いつつ、我が身を振り返ると、「たぶんその本と資料は、2度と目を通さないだろうなあ」と冷静に想像しました(失礼)。それら資料を基に原稿を書くなら、使うのでしょうが。お互い本好き、捨てられない性分の短所です。