今日、お向かいのSさんにお願いして、玄関横の椿の枝を剪定してもらいました。一昨年は、Sさんに手入れをしてもらい、去年はきれいな花をたくさん咲かせました。花が終わったら、チャドクガの毛虫が大発生したので、私が剪定しました。大胆に刈り込んだら、今年は花を一輪も咲かせませんでした。引っ越してきて9年。こんなことは初めてです。
で、今年は、プロにお出ましを願いました。そして、どのように切ればよいのか、指導を受けました。まず、去年は切る時期が悪かった。若葉の時期にやってはいけない。その他、絡み合っている枝をどう処理するか。そもそも、大きな刈り込みばさみでやっていたのが、失敗でした。
さらに重要なコツ。今年一年で形を整えるのではなく、来年を考えながら、切る枝と残す枝を選ぶのです。なるほど。その長期的視点が重要なのですね。これは、いろいろな場面で、応用できます。
お師匠様は、下の方のいくつかの枝には手を入れず、私に向かって「ここを残しておきましたから、やってみてください」と。う~ん、できた師匠です。私は切る前に「これは切って、ここを残すのでは、どうでしょうか」と、おそるおそる伺いを立て、採点してもらいました。その際も、「ダメです」とはおっしゃいません。
いや~、弟子を育てることが上手なお師匠さんです。私も見習わなくちゃ。もう遅いか。
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生き様-新居顛末記
2代目の夏椿
家は配管だらけ
先日、鈴木博之青山学院大教授の「建築の骨格と循環器」(東大出版会PR誌「UP」2009年4月号)を紹介しました。実はこの論考の趣旨は、建築を、骨格と見るか循環器と見るかの、話なのです。
・・現代の建築にとっての機械とは、構造体を決定する要素であるよりは、建築の内外を制御する技術、古くさい言い方をすれば空調設備、現代風に言えば環境制御技術を意味するであろう。建築における環境工学は、いまや工事費の半分近くを占める重要な技術なのだ。冷暖房、空気清浄化、給排水、照明、音響など、建築の中を駆け巡る血管やリンパ腺などに相当する部分が、環境工学の守備範囲である。建築においては、いまや骨格よりも、循環器、血管といったフローの要素が重要であると考えられている・・
この文章を読んだ時に、「なるほど」と思いました。それと同時に、わが家を立てた時のことを、思い出しました。小さな家の骨組みができたあと、いろんな管が、引かれるのです。電気はもちろん、電話、テレビが各部屋に。そして、水道、給湯、排水管が、台所、お手洗い、風呂に。色とりどりの管が、整然と配管されます。わが家は、家の中にはガスを引き込まず、屋外の給湯器だけだったので、ガス管はなし。その代わり、将来に備えて、インターネットを通す管を、入れておきました。これは正解でした。
これらの配管を見た時、びっくりしました。これだけも、管があるのかと。さらに、道路からわが家に、それぞれの管が接続されます。電線、電話線、インターネット、ケーブルテレビ。空中だけでも、これだけの線が引き込まれました。
家というのは、単なる容れ物ではなく、いろんなサービス供給端末の集まりなのだと、気がつきました。子どもの頃、親類や近所の普請を見ていたのですが、その時は気がつきませんでした。かつて、引き家というのを見たことがあります。おもちゃの家は、ブロックの固まりですが、実際の家は、そうではないのです。動かそうとしたら、いろんな管が邪魔になります。さらに、基礎杭を打ってあるので、とても動かせませんがね。
2008.09.06
東京では、8月下旬に秋のような涼しさになったのですが、その後、暑さが戻ってきました。しかも蒸し暑く。夕方にはしばしば、豪雨になります。今日も、わが家のあたりは、夜になってから雷を伴うすごい雨で、停電もおきました。
夏の初めに、プランターから間引いたアサガオの苗を、捨てるのももったいないので、椿の根元に植えておきました。すると、椿の木にからんで伸びて、椿の枝で大きな花を咲かせています。
椿、一輪
ようやく、我が家の椿が、一輪花を咲かせました。梅もほとんど終わっている時期にです。お向かいの遅れていた白い椿は、大輪の見事な花をたくさん咲かせています。沈丁花も、強い匂いを漂わせています。去年早く咲いたご近所の桜は、改築のために切られてしまい、今年は楽しむことができません。
毎朝、ウグイスがきれいな鳴き声で、起こしてくれます。