カテゴリーアーカイブ:知的生産の技術

パワーポイントが作れました

2026年3月27日   岡本全勝

講演会では、話の骨子と投影資料、場合によっては配付資料を使っています。骨子は文字だけなので、一太郎で作り(私は一太郎の方が使いやすいので)、ワードに変換して、主催者に送ります。問題は投影資料です。過去に集めた写真や画像をPDFにして、スライドを作ります。定番のものができているので、追加したり削除したりしています。新しい画像を作る技能がないので、これまでは職員などにお願いしていました。簡単な図は万年筆などで書いて、それを読み取って画像にしたこともあります。

会社の中の私・私の中の会社」の図を作るに当たって、最初は万年筆で書いたのですが。一度やってみようと考え、パワーポイント作成に挑戦しました。インターネットで作業方法を調べ、試行錯誤の末にできたのが、あの図です。
意外と簡単にできました。少し変なところもありますが、良しとしましょう。70の手習い、正確には71歳の手習いです。若い人は笑うでしょうが。

試行錯誤したのですが、わかってしまうと、簡単なことで悩んでいました。職場なら、わかっている人に聞くことができて、悩まなくてもすむのでしょう。改めて、職場の機能を認識しました。
さて、話題の人工知能。使った人は便利だといいます。どうしましょうかね。調べものなら、今の検索機能で十分です。文章は考えながら書くものであって、機械や他人が書ける文章なら、私が書く必要はないですね。作業の効率化と思考の委託は、別のものだと思うのですが。

MSゴシックという活字体

2024年12月13日   岡本全勝

東京大学出版会の宣伝紙「UP」12月号、千葉滋・東大教授の「ご冗談でしょう、MSゴシックだなんて」に次のような話が載っています。

MSゴシックという活字体(フォント)は、コンピュータに詳しい人の間では、とても評判が悪いのだそうです。
MSゴシックは、マイクロソフト社が、ウイドウズ3.1で日本語を表示できるようにするために開発したフォントとのこと。この頃のパソコンは性能が低かったので、複雑な曲線を使わず、単純な線で作られました。なので、30年経った今では、美しいフォントとは言えなくなりました。
ウインドウズでも、標準的なゴシック体として、メイリオや游ゴシックが使えるようになっています。
ヒラギノやリュウミンというフォントはきれいだそうです。

へえ、そうだったんですね。知らずに、しばしばMSゴシックを使っていました。このホームページは、何を使っているのかな。

黄色い用箋

2024年11月17日   岡本全勝

リーガルパッドという商品をご存じですか。「伊東屋のリーガルパッド
普通の用箋は白ですが、これは黄色い用箋です。私も最初は「なんとケバケバしい」と思いました。ところが、意外と便利なのです。
原稿や講演の骨子を考えたりするときに使います。サインペンや太い万年筆です。思いつくことをバラバラに書くので、ええかげんなものです。白の用箋は、もう少し考えがまとまったときに、きっちりと書きます。半封筒に入れると、目立つのです。

用紙も筆記用具も、学生時代に、お気に入りのボールペンやサインペンはありませんでしたか。ほかの種類と、機能はほぼ同じですが。人間は気分で仕事や勉強をするものです。
残り少なくなったので、買いに行きました。1冊が50枚。3冊で1980円。

伊東屋は、外国人で賑わっていました。子ども連れも多いです。楽しそうに文房具を選んでいました。レジの前には列ができています。スマートフォンの画面を見せて、「これが欲しい」と注文する人も、店員と、片言の日本語と英語で通話しています。

(よけいなこと)
隣の建物が、ブルガリとティファニーです。伊東屋で買い物をする人が何人集まれば、それらの店の客1人分の購入額になりますかね。そしてそれらの店の売り上げと利益は、外国に行くのでしょうね。買う人が外国人旅行者で、消費税も日本には入らないし・・・

資料を捨てる

2024年8月10日   岡本全勝

毎日の新聞記事の中から、これは役に立つなあと思ったものを、ちぎって半封筒に入れておきます。そのいくつかは、このホームページで紹介します。
ところが、取り上げるのが遅れて、時機を失したものが残ります。2か月や3か月は、あっという間に過ぎてしまいます。机の横に、2袋貯まっていました。

夏休みに入る前に腰を上げて、整理しました。「あ~、これは取り上げればよかったなあ」と思う記事がたくさんあります。そんなことを言っていては貯まるばかりなので、思い切って捨てました。すっきりしました。
やれば、できる。

もっとも、読みかけの資料や本がたくさん机の上に貯まっているのですが、そこまでは行き着かず。次の課題です。ここは、いつも同じことを言っています。進歩なし。

創造的に「誤読」する

2024年1月31日   岡本全勝

日経新聞日曜連載、若松英輔さんの連載「言葉のちから」、1月13日の「研究・調査・読書〜井筒俊彦の創造的「誤読」」に次のような話が載っています。

・・・井筒俊彦は、稀代の文章家だが、じつに深遠な経験を有する「読書」の人でもあった。「読む」とは何かをめぐって彼はこう述べている。
「書かれている思想だけが読まれるのではない。誤読的コンテクストでは、顕示的に書かれていないコトバも、あたかも書かれてそこにあるかのごとく読まれるのでなくてはならない。」(井筒俊彦「マーヤー的世界認識」『井筒俊彦全集第十巻』)
井筒にとって真の意味で「読む」とは、創造的に「誤読」することだった。正しく読むことが書き手の意志をそのままに受け取ることであるなら、自分は文字という扉の向こう側にある意味と「誤読」的―書き手の意図を超えて―に出会うことを願っている、というのである・・・

大学時代にある教授が、試験問題を採点した結果を説明してくださいました。次のような内容でした。
「私が教えたことを書いていたら、及第点。私が教えたことを基に自分の意見を書いたら、よい評価を与えました」
教科書に書いてあることを答案に書けば満点をもらえると考えていた私には、衝撃でした。