カテゴリー別アーカイブ: 知的生産の技術

生き様-知的生産の技術

黄色い用箋

リーガルパッドという商品をご存じですか。「伊東屋のリーガルパッド
普通の用箋は白ですが、これは黄色い用箋です。私も最初は「なんとケバケバしい」と思いました。ところが、意外と便利なのです。
原稿や講演の骨子を考えたりするときに使います。サインペンや太い万年筆です。思いつくことをバラバラに書くので、ええかげんなものです。白の用箋は、もう少し考えがまとまったときに、きっちりと書きます。半封筒に入れると、目立つのです。

用紙も筆記用具も、学生時代に、お気に入りのボールペンやサインペンはありませんでしたか。ほかの種類と、機能はほぼ同じですが。人間は気分で仕事や勉強をするものです。
残り少なくなったので、買いに行きました。1冊が50枚。3冊で1980円。

伊東屋は、外国人で賑わっていました。子ども連れも多いです。楽しそうに文房具を選んでいました。レジの前には列ができています。スマートフォンの画面を見せて、「これが欲しい」と注文する人も、店員と、片言の日本語と英語で通話しています。

(よけいなこと)
隣の建物が、ブルガリとティファニーです。伊東屋で買い物をする人が何人集まれば、それらの店の客1人分の購入額になりますかね。そしてそれらの店の売り上げと利益は、外国に行くのでしょうね。買う人が外国人旅行者で、消費税も日本には入らないし・・・

資料を捨てる

毎日の新聞記事の中から、これは役に立つなあと思ったものを、ちぎって半封筒に入れておきます。そのいくつかは、このホームページで紹介します。
ところが、取り上げるのが遅れて、時機を失したものが残ります。2か月や3か月は、あっという間に過ぎてしまいます。机の横に、2袋貯まっていました。

夏休みに入る前に腰を上げて、整理しました。「あ~、これは取り上げればよかったなあ」と思う記事がたくさんあります。そんなことを言っていては貯まるばかりなので、思い切って捨てました。すっきりしました。
やれば、できる。

もっとも、読みかけの資料や本がたくさん机の上に貯まっているのですが、そこまでは行き着かず。次の課題です。ここは、いつも同じことを言っています。進歩なし。

創造的に「誤読」する

日経新聞日曜連載、若松英輔さんの連載「言葉のちから」、1月13日の「研究・調査・読書〜井筒俊彦の創造的「誤読」」に次のような話が載っています。

・・・井筒俊彦は、稀代の文章家だが、じつに深遠な経験を有する「読書」の人でもあった。「読む」とは何かをめぐって彼はこう述べている。
「書かれている思想だけが読まれるのではない。誤読的コンテクストでは、顕示的に書かれていないコトバも、あたかも書かれてそこにあるかのごとく読まれるのでなくてはならない。」(井筒俊彦「マーヤー的世界認識」『井筒俊彦全集第十巻』)
井筒にとって真の意味で「読む」とは、創造的に「誤読」することだった。正しく読むことが書き手の意志をそのままに受け取ることであるなら、自分は文字という扉の向こう側にある意味と「誤読」的―書き手の意図を超えて―に出会うことを願っている、というのである・・・

大学時代にある教授が、試験問題を採点した結果を説明してくださいました。次のような内容でした。
「私が教えたことを書いていたら、及第点。私が教えたことを基に自分の意見を書いたら、よい評価を与えました」
教科書に書いてあることを答案に書けば満点をもらえると考えていた私には、衝撃でした。

ワープロソフト「一太郎」

私は日本語ワードプロセッサは、「一太郎」を使っています。市場では圧倒的に、「ワード」が売れているようですが。なんと言っても、日本語で文章を書く際の使い勝手が違います。その日本語入力システム「ATOK」は、単体でも売れているのだそうです。日経BizGate10月12日「日本語入力の先駆者で独走者「ATOK」強さの理由

・・・誰もがパソコンを日本語で扱える、現在のような仕組みをつくるうえで、最大級の貢献を果たした企業の1つがジャストシステムだ。ワープロソフト「一太郎」、その心臓部といえる日本語入力システム「ATOK(エイトック)」は国産ソフトウエアの宝物。ATOKは今や空気のように当たり前の存在として多くの電子機器やサービスに溶け込んでいる。

首都圏に偏りがちだったIT(情報技術)ベンチャーの時代にあって、徳島市での創業は伝説的だ。同社が異色だったのは、創業の地だけではない。日本語入力という、必須の領域で独創性を示した。当初は日本語でじかに文字を打ち込めず、プログラマーに閉じた「箱」だったコンピューター。日本人が考えるままに文字を打てるようになったのは、同社のおかげと言っても大きな間違いではないだろう。

パソコンのハード性能がまだ高くない頃から日本語入力に取り組み始めた。浮川和宣・初子夫妻が1979年に創業し、85年に一太郎の前身ソフトを発売した。パソコンOS(基本ソフト)の「ウィンドウズ95」が登場し、パソコンが一気に普及し始めるのは10年後の95年。つまり、ジャストシステムは日本にパソコンが根付く前から日本語入力の下地を整え始めていたことになる。

89年にはATOKを単体製品として売り出した。一太郎以外のソフトでもATOKの日本語変換機能を使えるようになり、格段に入力が楽になった。多くのユーザーが日本語入力ソフトの役割を意識するようになったのはこの時期からだろう。「黒子」のような存在だった日本語入力システムが表に出た格好だ。

ATOKのなめらかな変換は文章をつづる際のストレスを減らし、効率を高めた。ビジネス文書が手書きから打ち文字に切り替わるにあたって、その貢献は絶大だった。2023年2月の大規模バージョンアップでは入力傾向に応じて変換をパーソナライズし、使い込むほどに変換精度が高まる機能を盛り込んだ。「開発当初から打ち間違いの補正や、推論、学習などのテクノロジーを注ぎ込んで変換効率を高め続けてきた。ATOKの歴史はバージョンアップの積み重ね」と、同社ソリューションストラテジー事業部 企画開発グループ 國貞暁セクションリーダーは軌跡を振り返る。

今日に至るATOKへの高い評価は、変換効率の良さによるところが大きい。当時はワープロソフト「松」を開発した管理工学研究所や、日本語入力ソフト「MS-IME」をウィンドウズOSに付属させた日本マイクロソフトなどとの競合関係があった。とりわけ、MS-IMEはOS付属なので追加費用が無料で手ごわい存在となった。しかし、競合ソフトの出現後もATOKはユーザー層を失うことなく支持を得ている。有償ソフトを購入してでもユーザーが使い続けた最大の理由は違いが実感できる変換効率の高さだろう。

ATOKの変換効率を支えてきたのは、ソフトを鍛え直し続ける社内の仕組みだ。1992年に発足した「ATOK監修委員会」は象徴的な取り組み。文筆家や国語学者、言語学者、教育者などを集めた有識者の集まりで、初期の座長は膨大な書籍を集めたことでも有名な紀田順一郎氏が務めた。書誌研究者でもある紀田氏は当時の日本語入力ソフトへの不満をしばしば発言していたが、そうした当時の機能やありようへの批判から目をそむけず、むしろ進んで議論の場を用意した「カイゼン」がATOKの足腰を強くした・・・

原稿執筆。気分が乗るとき、ひらめくとき

若いときは、いつでもどこでも原稿を書くことができました。馬力があったということでしょう。新幹線の中や帰宅の電車でも座れたときに、鞄の上に原稿用紙を広げたりパソコンを出して加筆しました。締め切りが迫っていたという事情もあったのでしょうね。だんだんと、場所と時間を選ぶようになりました。というか、気分が乗らないと、書けなくなりました。

ところが、ひょんな時に、書こうという気になることがあります。
先日も、異業種交流会の帰り道に、頭がさえてひらめきました。地下鉄に座ることができたので、原稿を取り出し、赤のボールペンで思いついたことをメモ書きしました。しかも、降りる駅を乗り越すぐらい、熱中していたのです。
翌朝に見ると、そのメモ書きが理解できました。早速、文章にして加筆しました。

不思議ですねえ。深酒をすると、いろいろ思いつくことがありますが、酔いが覚めると、ほぼ使い物になりません。その日は、適度に酔っていたのでしょう。