カテゴリー別アーカイブ: 生き方

生き様-生き方

緊急事態宣言から2か月

4月7日に、東京などに緊急事態宣言が出されてから、2か月が経ちました。地域別に、また行動別に、規制が緩和されつつあります。少し振り返ってみましょう。社会の問題はマスコミに任せるとして、身の回りのことです。

仕事については、自宅勤務が推奨されました。皆さんの仕事の仕方も、変わったのではないでしょうか。やってみると、意外とできるものですね。もちろん、すべてを自宅でできるものではありませんが。そしてこのページで書いているように、仕事の仕方の見直しが進むでしょう。「在宅勤務が変える仕事の仕方4
しかし、自宅勤務は、生活にメリハリがでません。朝ネクタイを締めて出勤することが、体に染みついているからでしょう。

外出自粛は、しんどいですね。本屋や商店が閉まっているのは、困りました。
夜の意見交換会は、4月から自粛しているので、2か月以上飲みに行っていません。やればできるものです。家では、毎晩のように飲んでいますが、量が行きません。太るかと思ったら、健康生活で体重は少し減りました。キョーコさんの料理のおかげです。
天気の良い日は、夕方に散歩を続けました。家に引きこもっていると、運動不足になりますから。人通りの少ない道を選んで、1時間から1時間半ほど。ゆっくり歩いても4Kmから6Kmくらいは、歩いていることになります。ビールをおいしくするためです。

元通りの生活には、まだまだ戻りませんね。治療薬も予防薬も、まだできていません。一時よりも感染者数は減りましたが、まだ断続的に発生しています。知らないうちに感染して免疫ができていた、とはなりませんかね。
マスクは日常になり、このあと半年や1年は外せそうにありません。柄物の布マスクをしている人が、増えてきたようです。いずれ、オシャレになるでしょう。

社会では、大きな被害をうけた生業と経済、生活が苦しくなった家庭など、広範囲に影響が出ています。まずは、感染に気をつけつつ、生活を取り戻すことが重要です。

「岡本行夫という生き方」

NHKウエッブサイトに「岡本行夫という生き方」という特集が載っています。詳しくは原文を読んでいただくとして。

・・・「とにかく朝から晩までいないんですよ。私たちのボスなんだけど、省内にいないわけ。いろんなところで、いろんな人に会っていた。その中に、東京にいるアメリカの記者など外国の記者がいっぱいいた。もちろん日本の記者もね」
岡本は日本が何をしようとしているのか、国際的にも国内的にも少しでも理解を深めようと、記者たちへの非公式な背景説明を熱心に行っていたと言うのだ・・・
・・・岡本について語るとき、宮家氏が最も力説したのは、岡本が「政策を実行する人=政策マン」だったという点だ。
「実際に官僚を動かし、メディアに理解を深めさせ、政治家に働きかけて政策にしていく。そのためには、発想力と行動力と説得力が必要なんだけど、彼はそうした力を持っていた」
そして、こう締めくくった。
「彼の肩書きは『外交評論家』となっている。でも、彼は評論家ではない。評論なんかする気はないんです。彼は死ぬまで『政策マン』だった。政策を作り、それを自分で実行する。もしくは、実行するための環境を作っていく。『彼は政治的に動く』と言う人もいるが、政策とは、そもそも政治的なもの。岡本さんだからできたんです」・・・

・・・しかしそんな岡本の評価は、“霞が関”の中でも分かれていた。
「話しづらいですが、もう時効だろうからいいでしょう。総理大臣補佐官として、突然、イラク問題の政策決定過程に入ってきた岡本さんでしたから、官僚組織からは異分子のように思われていた部分もある。強烈な人が入ってきて、煙たく思った人もいたと思う」・・・
参考「追悼、岡本行夫さん

釣った魚に餌をあげる2

釣った魚に餌をあげる」の続きです。
「釣った魚に餌をあげない」の反対の名言は、ないのでしょうか。と考えていたら、肝冷斎がよい言葉を見つけてくれました。

「論語」子路第十三
葉公問政。近者説、遠者来。
葉公、政を問う。近き者は説(よろこ)ばしめ、遠き者は来たらしむ。

楚の貴族・葉公というひとが孔先生に「「まつりごと」の本質をお教え願えますか」と問うた。
先生は答えた。「近いところにいる人民に満足させてやること、です。そして、遠くにいる(他国の)人民が(それを聞いて、「すばらしい土地らしい」と言って)移住してくるようにすることです」

釣った魚に餌をあげる

「釣った魚に餌をあげない」という言葉があります。
初めは相手に気を遣いながら、親しくなったあとは、粗略扱う様子を言います。特に男性が、女性にいろいろと贈り物をしたのに、結婚したら態度を変える場合に使われます。

とんでもない話です。
「釣った魚」は生きていて、水槽に泳いでいます。大事に扱わないと、魚は調子が悪くなります。さらに、妻の場合は足があるので、水槽から逃げていきます。釣ってからの方が、妻を大事にしなければならないのです。ゆめゆめ、粗略にしてはいけません。

わが家では、キョーコさんが私を釣ったので、とても大事にしてくれます。おいしい食事を作って(生け簀の魚を太らせて、食べようとしているのかもしれません)。
魚は飼い主のために、一生懸命働いています。
この項続く

追悼、岡本行夫さん

岡本行夫さんが、お亡くなりになりました。
ニュースを聞いたときは、「嘘だろう」「誤報であって欲しい」と思いました。岡本さんの業績は、各紙が伝えているとおりです。ここでは、個人的な思い出を書かせてください。

私は、湾岸戦争の時の官僚らしからぬご活躍(砂漠で活動する日本製四輪駆動車を手配すること)から、尊敬しました。東日本大震災では、「希望の烽火」でその発想力と実行力に驚かされました
その頃から、親しくしていただきました。仕事でも、励ましてもらいました。大先輩に褒められ、評価してもらえることは、とてもうれしかったです。後輩を育てようという、親心だったのでしょう。

私とは10歳違い、また外交と内政と畑が違うのですが、とてもかわいがっていただきました。海に音楽にと、いろんなことに誘ってもらいました。
異業種の先輩たちがたくさんおられる会合で、突然「全勝さん、あいさつしてよ」とご指名を受けました。そんなときに、私は勝手に「行夫の弟です」と名乗っていました。行夫さんも、「似てない弟です」と笑っておられました。

2月から、春陽堂のウエッブ小説に、「スーパーフィッシュと老ダイバー」を連載しておられました。初めての小説で、長年撮影してきた海中と陸上の写真を入れる「フォト小説」とのことでした。「見るように」とのご指示がきて、きれいな写真とともに楽しみにしていました。行夫さんにしか書けないような、内容です。

ややはにかんだような、相手に気配りをした話しかけ方。大先輩とは思えない物腰に、ついつい甘えてしまいました。高倉健さんに似た男前。広い視野と冷静な考察、そして熱血漢。時差をものともせず、また夜遅くでも元気な体力だったのに。
もう、お目にかかれないかと思うと、残念です。ご冥福をお祈りします。