「体験談」カテゴリーアーカイブ

生き様-体験談

読売新聞夕刊「言葉のアルバム」に載りました。

4月12日の読売新聞夕刊「言葉のアルバム」に、取り上げてもらいました。「批判受けても復興の決断
この欄は、人を言葉によって描くようです。そして、特徴ある猫の版画とで。
夕刊が発行されている地域は、限定されています。また、インターネットでは読むことができないようです。すみません。

取材を受けて、いろんな言葉を思いついたのですが。版画にするにはこれが良いと思い、選びました。
「閻魔様の前で胸を張れるか」は、どのような人でも、どのような場面でも、重要なことだと思います。子供の頃に親に教えられたことが、いまも残っています。
昨年、日経新聞夕刊コラムに「未来との対話」と書いた趣旨の延長です。

版画では、閻魔様の前で胸を張っている猫になっています。大野隆司さんが、作ってくださいました。猫を描いておられるようです。宝物にします。肝冷斎が「王前堂堂」という題をつけてくれました。

 

 

 

 

 

 

 

顔写真は、帽子姿です。「帽子を被った顔写真は、この欄では初めてではないか」とのこと。新聞社の写真家の指示で、被ったのですが。
知人からの反応は、「渋いですね」とか「実物より人が悪そうに写っていますね」とか。そう見えますか。

笛吹中年

トップページの絵「笛吹き中年」に関してお答えします。

画は棚瀬佳明画伯、画像技術は荻布彦技師(富山県庁)です。
39歳にして、フルートを始めました。40の手習いです。富山では、厳しい部下のもと(アンサンブルでは私が一番下)、毎週「放課後」の練習、月に2回の老人ホーム慰問演奏で、少し吹けるようになりました。

その他、お茶(藪内)とお花(池坊)も教えてもらいました。現在は休眠中です。藪内のお茶は、武家点前の豪快なお茶です。NHK教育テレビ「趣味悠々」平成16年6月(月曜日)は、「心の旅へのいざない」という題で、「藪内家」の茶の湯です。恥ずかしながら、私も藪内流です。でも最近は機会もなく、すっかり作法を忘れてしまいました。ふくさなどは、職場においてあるのですが・・。お師匠さん、申し訳ありません。頭を下げることは、日々「実践の場があり、技を磨いて」います。そのほかにも、ときどき部屋でお香をたいて、来た人に不審に思われています。(2004年6月5日)
藪内家のお茶は、NHK教育TV「趣味DO楽」2014年8月「茶の湯 藪内家“織部も親しんだ茶の魅力”」、Eテレ「趣味どきっ」2018年3月「茶の湯 藪内家」でも放送されました。

被災者生活支援本部、その2

職員が、当時の写真をいくつか探してくれました。記念に載せておきます。立ち上げた頃の支援本部事務局の様子です。
詳しい話は、本業の様子4を読んでください。(2016年1月16日)

3月23日、職員の相談を受けている私です。私の前の防災服は、越智繁雄参事官(現・国土地理院長)。私の頭の上に写っている山下参事官(紺のスーツ後ろ姿)は、立ったまま資料を広げて考え中。その前で、福井参事官はパンを食べながらパソコンに向かっています。

3月24日。正面の白板2枚が、共通指示事項を知らせる掲示板です。右奥で、私が立ったまま電話しています。オレンジと紺の制服は総務省消防庁、手前の迷彩服は自衛隊です。


3月25日。塩田・特許庁秘書課長(当時)から説明を受けているところ。たぶん、当時大きな問題だったガソリンの配送についてです。

被災者生活支援本部

一番大変だった頃の写真を、職員が探してくれました。当時、「記録になるから」と、執務風景を写真に撮ってもらいました。これらの写真は、内閣府のサイトに「被災者生活支援本部」のページを残してあるので、そこに載っているのですが。データ量が小さくて、印刷したりするとぼけてしまいます。もう少し大きな写真で、ここに残しておきます。もっとも、私が写っていない写真が多いのですが。(2015年12月5日)

下が、支援本部事務局が立ち上がった(3月19日)の直後、3月24日です。内閣府の講堂に、70席の机を並べ、支援物資の要望を受け付け、送りました。
他方、次にしなければならない仕事と、そのための組織作りを始めました。写真左の時計の下、白いシャツの2人と議論している黒いスーツ姿が、山下哲夫参事官です。彼は、人集めと組織作りをしていました。左手前、黒いカーディガンの右袖を腕まくりして書類を見ているのは、福井仁史参事官です。彼は、何をしなければならないか企画を担当していました。二人とも、本職がありながら、それを置いてきてくれました。机がないので、立ったまま仕事をしていたようです。

もう少し左から撮った写真です。手前正面の机が、私の机ですが、座っていませんねえ。たぶん、歩き回って指示を出していたのでしょう。机の上には、罫紙、ペン、そしてペットボトルのお茶が載っています。まだ、パソコンで職員指示をする条件が整っていませんでした。罫紙にペンで書いて、指示を出していました。口答での指示と打ち合わせが多く、この騒然とした状態で話すので声が大きくなり、数日で喉をつぶしてしまいました。お茶で喉を潤しながら、話していました。この写真を撮ったカメラの位置の右後ろに、白板があり、そこに全体指示を書いて情報共有をしてました。


ほかにもいくつか、この日の写真があります。本業の様子5に、載せておきます。

下が、3月24日の被災者支援本部会合の様子です。内閣府の3階特別会議室を使っていました。毎朝11時に開きます。右側のテーブルに政務職が並びます。手前から辻元清美・総理補佐官、仙谷由人・官房副長官、松本龍・防災大臣、片山善博・総務大臣(オレンジの防災服)。左側に、平野達男・内閣府副大臣(事務局長)と、私たち事務職が並びます。
昨日の宿題を返し、新しい情報を上げ、政務職からの情報や指示をもらいます。そのために、事務方幹部(参事官たち)は、9時半と16時半に打ち合わせをしました。

本部会合の別の日、4月11日の写真です。

これは、事務局幹部が講堂から、別の会議室に移ったあとの写真です。扇風機があるので、5月以降でしょうか。6月末には、この部屋も閉じました。

体験談

本業のいくつか(歴史遺産)
①「現場経験という財産」2001年度総務省職員採用パンフレット(このページ)

総務省の2001年新規職員採用パンフレットに、先輩談として載せたものです。(すっかり忘れていました。「発見」したので載せました。)
以下、その他の年のも、載せておきます。
②「社会が求める官僚と官僚が目指す社会と」2004年度職員採用パンフレット
③「この国を変える」2005年度職員採用パンフレット
④「本業の様子」2004年
現場経験という財産
自治財政局交付税課長
岡本全勝(昭和53年度採用)


老人ホームにて慰問演奏中の筆者(中央)

(厳しい緊張と楽しい緊張)
 下の写真は、平成5年5月、カンボジアに向かう朝、成田空港での緊張した表情の村田自治大臣とお供をしている岡本大臣秘書官である。
 当時、国連PKOの「カンボジア暫定機構」の下、総選挙実施のために、日本から自治省職員を始めとする選挙監視要員や警察官などが派遣されていた。
 不幸なことに警察官が死亡するという事件が発生し、宮沢総理のご指示で、自治大臣が急遽カンボジアに派遣されることになった。総理官邸からの電話が出張先の大臣車にかかってきたのが前日の夕刻、派遣公表が深夜0時、そして成田発の飛行機が翌朝10時という慌ただしさである。
 緊張した表情は、寝ていないからだけではないことが、わかってもらえるであろう。
 一方、上の写真は、富山県総務部長当時、仲間と老人ホームに慰問の演奏に行った時のものである。元気良く、しかし調子外れの手拍子を打ってくれる痴呆性老人のパワーにとまどいながら、フルートを始めたばかりの私は楽譜を間違えないように、これまた別の緊張をしている。


村田敬次郎自治大臣と共にカンボジアに向かう筆者
(左から2人目)
(現場の経験)
 23年前、私も「少しでも日本の国を良くすることに貢献できれば」と思って、公務員を選んだ。大学ではそれなりに勉強もし、本も読んだと自負していた。しかしその後の公務員の経験は、新鮮な驚きの連続であった。
 PKOのような国際政治も、そしていろんな国内の政治・経済も、天の上から神様が動かしているわけではない。いわんや、大学の研究室でシナリオが書かれているわけではない。その時そのとき、その場そのばで、生身の人間が議論をし、決断をし、行動する。その積み重ねが社会を作り、歴史を作っている。
 私たちの仕事は、「自然科学」ではない。「人間と人間の関係」の分野である。それは、机の上だけでは進まない。現場がどうなっているか知らずに、霞ケ関で議論していても「机上の空論」になる。かつての自治省に採用された私は、先輩同僚と同じように、若いときから、他の職業・他の省庁では得難い幅の広い経験をさせてもらった。徳島県財政課、鹿児島県財政課長、富山県総務部長と、それぞれの場面で、県民、議会、マスコミの人たちに、教えられ、ぶつかり合い、説得する中で私は鍛えられた。
 老人ホームでのフルートも、趣味であるとともに、高齢社会の現場視察であり、ボランティアの実践だと言っていた。もっとも、下手なフルートを聞かされる老人にとっては、迷惑な話だったかもしれない。

(広い視野と判断力)
 議会答弁で、記者会見で、予算査定で、また老人との受け答えでと、その時々に私の判断が試される。その際には、幅広い経験が広い視野を与えてくれ、よりよい判断を生むであろう。もっとも、経験だけで判断力が養われるわけではない。理想を掲げ、未来を予測しつつ、現場で判断を下す。その緊張感。私には、これまでに経験した多くの緊張、そこには厳しい緊張も楽しい緊張もあったが、それらの経験が大きな財産である。