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生き様-体験談

茶の湯、藪内

NHK教育TV趣味DO楽、8月の月曜日は、「茶の湯 藪内家“織部も親しんだ茶の魅力”」です。すっかりご無沙汰していますが、しばらく藪内を学んだことがあります。この番組は、テレビ欄で見つけました。テレビ欄なんて、めったに見ないのですが。
放送は月曜夜9時半からなので、通常なら、異業種交流会か寝ている時間です。今日は、見ることができました。ご関心ある方は、ご覧ください。

ゆったりとした休日。職場と、ささやかな幸せ

3.11をはさんで、怒濤のような数週間が過ぎました。忙しかったです、ハイ。資料は、たまるばかりでした。
昨日の土曜日と今日の日曜日は、ゆっくりと職場で、資料の整理と思考の整理ができました。でも、資料を整理すると、次の課題が浮かんできて、また仕事を増やしてしまいます。職員のみんな、ごめん。
かなり整理が進んだと満足しつつ、まだまだ机の上には、資料が残っています。しかし、全てを一度には無理ですから、良しとしましょう。切り抜いた新聞記事も、このページで紹介できないままに、たまっています。また、この間に考えたことなども、パソコンのメモに、たまりっぱなしです。追々、取り上げましょう。
復興庁の職場では、増員の準備で、またまた配置換えをしています。引っ越し業者と、電気・電話・通信業者が、作業をしてくれています。これまで3つの階に別れていたのですが、とうとう4つめの階も借りることになりました。民間ビルなので、開いた部屋があったのですが、まとまっては取れないのです。
帰りには、買おうとメモしてあった本を、紀伊國屋で。ついつい、その近くの棚の本も、買ってしまいました。また、久しぶりに、近所の地酒屋さんに行って、1升ビンを一本。親父さんに、いつものように「切れ味が良く、水みたいなの」を選んでもらいました。
キョーコさんが出してくれるおいしい料理、そして先日来紹介している「復興行政への高い評価」をもらったこと、さらに友人が昇進するニュースなどで、今日は満足した休日の夜を過ごせます。ささやかな幸せですね。もっとも、国会が続いていますし、復興はまだまだです。

本業の様子

職員が、懐かしい写真を送ってくれました。平成23年7月29日19時15分の職場(復興対策本部事務局)の様子です
復興基本方針の本部決定直前です。当時の与党手続きが少々混乱し、それへの対応に追われていました。私は右手に携帯電話、左手に方針案文を持って、現場にいる職員と連絡を取りながら加筆修正をしているところです。今となっては、懐かしいですね。記録に残してくれて、ありがとう。
発災直後の被災者生活支援本部の写真も、残してあります。こちらは、もっと混乱していました。
当時の職員は次々と、親元の省に戻っています。時々、メールをくれます。「当時は大変でしたが、懐かしいです」「岡本統括官のホームページを楽しみにしています」「キリ番をゲットできませんでしたが、きりの良い数字をゲットしたので、画像を送ります」とか。
復興本部や復興庁での経験を、次の職場で活かしてもらいたいです。苦労すること、これまでにないことをすること、ふだんとは違った人たちと一緒に仕事をすることは、勉強になるはずです。岡本統括官に鍛えられ、全勝流の仕事の運びを経験することも(苦笑)。(2013年12月5日)


当日の記事を引用します。
・・昨日、基本方針を決定したので、私たちの仕事は一つの山を越え、次の段階に入ります。
昨日は、本部会合が、与党調整作業によって、20時15分にずれ込みました。ゴーサインが出てから、官邸での会議まで30分。通常なら、2時間は間があるのですが。全大臣への開会のお知らせ、マスコミへの公表、資料の印刷(これもかなりの数になります)、会場での配付、そして会議後の記者会見の設営などです。事前に工程表(誰が何時に何をするか)を作り、各担当が準備をしていたので、間に合わせることができました・・・。続きは(2011年7月30日)をお読みください。

夜が3つほしい

今日、帰りの地下鉄の中で、「夜が、3つあったら良いなあ」と、思いました。「体が3つあったらなあ」という意味です。
一つ目の夜(体)は、おつきあいで懇親会に行きます。2つ目の夜(体)は、家で少し硬めの本を読んだり、原稿を書きます。三つ目の夜(体)は、家でくつろいで、キョーコさんの料理で日本酒を楽しみます。
でも、1日は24時間、体は一つしかありません。若いときは睡眠時間を削って、自分の時間を作ったのですが。この年になると、体力が持ちません。さらに交友が広がって、若いときより会合のお誘いが増えています。困ったものです。
買った本は読まないままにほこりをかぶり、原稿は先送りになります。反省。
ゲーテは臨終の床で、「もっと光を」と言ったそうですが、私の場合は「もっと時間を」ですね。もっとも、私の愚痴をゲーテが聞いたら、「もっと努力を」と怒るでしょう(笑い)。

関西弁ではなく、これが正しい日本語

肝冷斎のページ」を覗いたら、私の悪口を書いていました(9月8日の記事の末尾)。間違いなので、正しておかなければいけません(キッパリ、笑い)。
私が話しているのが、正しい日本語です。東京の人やテレビのニュースで話しているのは、「東京方言」です。使う単語だけでなく、イントネーションとアクセントの位置が違います。と、私は思っています。
(例えば、最後の文を、しゃべり言葉にしてみます。アクセントは、ひとまず無視しましょう。私が言う正しい日本語では、「つこうたはる単語だけやのうて、イントネーションとアクセントの位置が、ちがうのとちゃいますか」です。)
現に私は、その清朝の高官とは違い、日本語の会話で苦労したことがありません。18歳で東京に出てきて以来、もう40年近くになりますが。部下に向かって「それちがうんと、ちゃうか」と言うのと同じように、総理大臣や大臣にも、「ちごうてんのと、ちゃいますか」と申し上げたことがありますが、話は通じています。これまで、お叱りを受けたことはありません。ただし、この文章を話すタイミングは、私なりに気を遣っています(誇張を含んでいるので、笑って読み飛ばしてください)。
もっとも、鹿児島の人や東北地方の人が、地元で友人としゃべるときと、東京でしゃべるときとで、言葉を使い分ける才能は、尊敬しています。