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生き様-体験談

日本人の誕生日、どの日が多い

1月21日の日経新聞に、「日本人の誕生日 9月が多い」が載っていました。

・・・厚生労働省「人口動態統計」で、1995年から2021年までの月別・日別の出生数を調べてみた。月ごとにこの27年分を合計すると少ない月の217万人台から多い月の251万人台まで幅があった。各月の日数の違い(28~31日)をならすために月の日数で割って1日平均を出すと・・・
出生が最多なのは9月、以下、7月、8月、10月です。最小は3月。
誕生日で見ると、最も多いのは9月25日、12月25日、5月1日、9月26日。少ない方では、2月29日は4年に1度しかないから別格。次いで1月1日、2日、12月31日です。
記事では、いろいろと原因が推測されています。

私は1月1日です。時間も午前1時過ぎ。
当時は自宅での出産で、大晦日の夕方から、祖母がお湯を沸かしたり、平井の産婆さんや近所のおばさんが助けに来たりと、大変だったそうです。人騒がせなところは、その頃から身につけていた、いえ持って生まれたようです。
予定日より、数日早かったそうです。そのせいか、目を開けるのが遅く、周りの人は「この子は将来、按摩さん(当時の村では、盲人が就ける数少ない職業)にするしかないね」と話していたそうです。その後、目はぱっちり開いて、世間を人様以上に広く見るようになりました。
「1月1日生まれは縁起がよいから、その前後に生まれても1日として届け出た場合もある」と聞いたことがあります。この記事では、そうでもないのですね。

(追記)
実家にある母子手帳を確認すると、1月1日午前1時20分でした。

復興庁、ある班の同窓会

先日、お誘いをいただき、復興庁で一緒に働いた人たちの同窓会に出席しました。各班(課に相当)ごとにやっているようです。お誘いを受けたのは、ある2つの班です。定期的に開催されているようですが、コロナの時期は中断。久しぶりに、呼んでもらいました。

この2つの班は、復興庁発足後の早い時期で、津波被災地復興計画を進めつつ、新たに福島原発被災地の復興に取り組んだ時に、苦労をしてもらった人たちです。
当時、私は統括官。当時の参事官は、局長と審議官になっています。そのほかの職員(各省から来てもらった人と民間から来てもらった人)も、それぞれに活躍しています。
みんな苦労しただけに、そして成果を出したので、楽しい思い出を語り合いました。喜びは、苦労の比例します。低い山より高い山の方が、登ったときの達成感が大きいように。

呼び起こされる遠い思い出

先日、と言ってもかなり前になりましたが、テレビで京都の老舗旅館を取り上げていました。内容も興味深かったのですが、その一画面に引きつけられました。障子に西日が当たり、四角い桟の影がLの字型にいくつも障子紙にさすのです。
とても懐かしい思いがこみ上げてきました。子どもの頃に、なんとなく眺めていた記憶です。
合わせて思い出すのは、西日が障子の間から畳の上に入る光景です。言葉に表現できない、理性では説明できない感情がこみ上げてきました。

私がその後に暮らした家は、集合住宅や現在の家を含めて、畳の部屋はありましたが、障子のある部屋がありませんでした。洋風の作りで、窓にはアルミサッシが入り、障子がありません。遠い昔の子どもの頃の記憶が、呼び起こされたようです。

プルーストの名作『失われた時を求めて』の冒頭に、有名な場面があります。紅茶に浸したマドレーヌの味から、幼少時代の記憶がよみがえるのです。それと同じようなことでしょうか。
ゆったりとした土曜日の朝のことであり、このような感慨に浸ることができました。先日は、真言の「ぎゃてい」から、子どもの頃の薬師寺での参拝を思い出しました。このようなきっかけで、半世紀前のことを思い出すとは、人間の記憶とは不思議な機能です。

安倍元総理国葬

今日は、安倍元総理の国葬に、武道館まで行ってきました。総理にお仕えした次官ということで、招待されたようです。
生前の安倍総理の活躍が、映像で流れました。総理がピアノで、大震災復興の歌「花は咲く」を弾かれ、それが流れる中での映像です。内政と外交それぞれについてで、内容の濃いものでした。

内政のかなりの部分が、東日本大震災からの復興でした。安倍総理の国内出張の多くは被災地視察と応援でしたから。総理にお願いして、何度も被災地に行ってもらった甲斐があります。
福島の被災地の市町村長たちも参列していて、久しぶりに話を交わしてきました。岸田総理にも「福島の市町村長を呼んでいただき、ありがとうございます」とご挨拶しました。

エリザベス女王の国葬ではマスクをした人がいませんでしたが、安倍元総理の国葬では外国からの参列者を含め全員がマスクをしていました。
式は14時から始まり、儀式本体は1時間15分ほどで済んだのですが、参加者全員が献花したので、終わったのは(私たちの組が最後で)18時でした。
追悼、安倍元総理

故・古川貞二郎さん

今日は、古川貞二郎さんのお別れ会に行ってきました。私は、中央省庁改革本部事務局勤務(1998年~2001年)の際に、古川官房副長官にお仕えしました。

その時の仕事は、「省庁改革の現場から」(2001年、ぎょうせい)にまとめました。私たちの任務は、「省庁改革基本法」に定められた方針を、具体化するのが任務です。
事務局は、新しくできる各省を担当する班と、共通事項を担当する班などからなっていました。共通事項の3つは、「内閣および内閣と各省との関係など」「行政の減量(組織などの削減)」「独立行政法人の制度設計」です。
そのうち、内閣などは岡田秀一参事官(経産省、後に経済産業審議官)、独立行政法人は井手憲文参事官(運輸省、後に観光庁長官)で、減量担当が私です。組織削減の難しさは、日経新聞夕刊コラムにも書きました。「鯉が包丁を持つ」。

省庁改革本部は内閣直属だったので、参事官の私の上司は事務局次長・事務局長で、その上が副長官でした。
総理出席の会議で進捗を報告するとともに了解を得るために、事前に副長官に説明に行きます。「君たちも苦労するねえ」と、言葉をかけてもらいました。それだけなら、通常の上司と部下なのですが。
それぞれに難しい仕事で、そう簡単には行きません。会議の席でもそのような話が出ますし、この3人は率直に説明します。すると、後ほど、古川副長官からお叱りを受けます。それが重なると、この3人は自分たちのことを「しかられ3兄弟」と自嘲していました。

省庁改革本部に呼ばれた時、私は43歳。富山県総務部長からの転勤でした。
うまく進んだ話はほとんど覚えていないのですが、このような話は鮮明に覚えています。今となっては、懐かしい思い出です。