「仕事の仕方」カテゴリーアーカイブ

生き様-仕事の仕方

逆境に逆転の発想を出す

朝日新聞の生田正治・元商船三井社長、郵政公社総裁の連載「経営、真っ向勝負」5月2日は、「禍転じて提携を生む」でした。
北米東岸航路で提携先の会社から突然、提携解消の通告を受けます。商船三井が単独で航路を維持するには船が足りない。仕方ないので、新しい提携先に世界有数のコンテナ船会社を選び、直談判して話をまとめます。そして、東岸だけでなく西岸も提携の提案をもらいます。
・・・そのとき、ふと思った。まだ歴史上にない、グローバルな提携をやったらどうか、と。太平洋も欧州もインドも大西洋も。世界をつなぐ提携です。利点は大きい。たとえば1社10隻の航路で、4社40隻が協力しあえば、立ち寄らずに済む港が多数うまれ、航海日数が短くなる。積み荷が届く速さが劇的に上がる。生産性は高まり、コストも大きく合理化される。航路ごとの提携が伝統だった当時の海運界では、突拍子もない発想でした・・
そしてそれに成功します。
・・・史上初のグローバル・アライアンス(提携)の誕生です。反響は大きかった。「発表は間違いだろう。そんなことできるわけがない」。他社からはそんな電話がありました。英ブリティッシュ・エアウェイズ、米デルタといった航空会社の幹部は、しくみを知ろうと訪ねてきた。航空会社の世界提携が始まる前でしたから。
我々の提携の優位性は2~3年は持つだろうと期待しましたが、他の船会社は1~2年で追随してきた。いま振り返ると、時代の要請だったのでしょう・・・
航空会社の国際的提携も、ここから始まったのですね。日本人が考えた「仕事(商売)の仕組み」です。

福澤武さん、丸の内の再開発

日経新聞「私の履歴書」4月は、福澤武・元三菱地所社長でした。若いとき肺結核を患い、中学高校に通えず、大検で慶應大学に進みます。28才で卒業し、採用年齢制限のなかった三菱地所へ。その方が、社長になられるのです。連載では闘病生活に多くが割かれ、会社員時代のご苦労は少ししか触れておられないようです。ご自身の経験からすると、生死の境をさまよい、人並みの生活を送れなかったことのほうが、重い意味をもったのでしょうね。「それに比べれば、会社員の苦労なんか・・」ということでしょうか。
私が特に興味を持ったのは、丸の内(東京駅の前、三菱村と呼ばれる地区)の再開発です。丸の内は東京を代表するビジネス街です。東京駅の玄関であり、丸ビルに代表される、大企業が集まった地区です。私が就職した頃、そしてその後長く、私には、「縁遠い街」でした。行くことは、まったくありませんでした。東京駅で降りてご飯を食べるにしても、裏口である八重洲口にある猥雑な地域を利用していました。純粋なビジネス街であって、そこで勤務している人や仕事に関係ある人以外は、近づかない地区でした。それを、現在のような、高級商店やレストランがある街に変身させたのが、福澤さんです。今回の連載を読んで、初めて知りました。
その原点は、アメリカ勤務にあります。1975年から3年半、ニューヨークに駐在します。パートナーは、名門証券モルガン・スタンレーの不動産子会社です。
・・・街づくりのヒントも見つけた。モルガン・スタンレーはもともと、金融機関が多いウォール街のあたりに本社を構えていたが、ロックフェラーセンターに引っ越すと、女性社員たちが大喜びをしたという。会社の近くで食事も買い物も楽しめるようになったからだ。
「ビジネス・オンリー」の街はいつしか活気を失っていくのではないか。週末はゴーストタウンと化す丸の内の街並みが頭をよぎった・・・(4月22日掲載分)
それでいうと、霞が関も官庁街であって、街ではありません。今でこそ、いくつかの庁舎にコンビニやしゃれた食堂が入っていますが、かつては、職員食堂と小さな商店しかなく、休日に出勤すると「陸の孤島」でした。今も大して変わっていませんが。街との接触を避け、機能面で純化することは、生活のしやすさやにぎわいを考えると、良くないですね。郊外に移転した大学もそうでしょう。部外者を排除し純化すると、たぶん生活も思考も、「狭くなる」と思います。一種の租界であり、塀には囲まれていませんが、刑務所の中と同じです。街の中で雑居している方が、人間らしく生活できます。溜池にある三会堂ビルは良かったです。周囲は飲食店がたくさんあり、赤坂も近かったです。今度の執務室がある4号館は、陸の孤島の霞が関でも、その真ん中にあるのです。

資料整理

今日日曜日は職場へ行って、書類の整理。引っ越しが、28日に迫っています。平日は集中できないので、意を決して取りかかりました。同僚の中にも、同じ考えの職員がいて、書類を捨てていました。休日は職員が入ってこないので、はかどりますわ。発災の年から数年は、休日でも職員の攻撃に遭っていました(苦笑。懐かしいです)。
5年間の間に、たくさんの半封筒に入った書類がたまっています。「明るい公務員講座」で、「不要な資料は、捨てましょう」とお教えしているのに、これではダメですね(反省)。棚の中にあるので、測ると合計で2メートルほどでした。段ボール箱に4箱ほどでしょうか、たいしたことないですね。
まずは、分類です。先日も書きましたが、仕事そのもの書類は、多くないのです。いくつか手元に置きたい書類(といってもコピーです)を除いて、基本的に部下に返すことにしています。私しか持っていない書類はありません。行政文書ではない、私の考えを整理するメモや資料です。すべて捨てても良いものです。大きく分類すると、次のようなものでした。
1 仕事の進め方。その時々に、課題を整理して、今後の進め方を考えたメモが残っています。「すること」「当面の課題」「中長期の課題」といった表題がついた半封筒です。済んだものばかりですし、その結果は仕事としてできているのですから、捨ててかまいません。
私の5年間の仕事は、一つにはこれだったのですね。課題を整理し、進め方を考えることです。これは、半封筒の中身を見ると、回想にふける恐れがあるので、今日はひとまずそのままに。
2 次は、仕事関係A。例えば、企業やNPOとどのように連携するか。これを、5年間試行錯誤してきました。また、具体の実践の場である、産業再生やコミュニティ再建関係もあります。「民間との連携」「新しい行政手法」と書かれた半封筒です。これまでにない行政をどう進めるか、その考え方や具体例の資料です。
行政としての資料は担当者が持っていて、公表資料は復興庁のホームページに載せてあります。私の考えは拙著『復興が日本を変える』に書きました。そして、成果は現場で出ています。また、関係者もこの連携手法を学んでくれました。
私の試行錯誤の過程です。「こんなことをしていたんだ」と思い返しつつ、廃棄。
3 次に、講演資料。まあ、あるわあるわ。良くこれだけもしゃべりに行ったんだなと、自分で感心するほどです。英語やアラビア語のものも。一つの半封筒に、1~4か所のレジュメと資料が入っています。最近半年分を残して、廃棄。
いくつかの基本的なものは、職場で(デジタルで)保管してもらってありますし。
4 さらに、仕事関係B。Aよりは仕事と離れますが、行政のあり方を考える資料です。新聞切り抜きや、その時々に書いたメモ。これも、様々なものがたまっています。これは、自宅へ。
5 仕事関係で買った本や頂き物の本。う~ん、これも結構たまるのですよね。
だいたい分類できました。残すものだけ、箱に入れて運んでもらいましょう。

過去の勝ちを忘れられない

今日4月21日の読売新聞1面コラム「編集手帳」から。
・・・将棋の永世棋聖、米長邦雄さんが経団連で講演したことがある。当時若手の羽生善治名人が将棋界のタイトル7つを独り占めした頃である。演題は「なぜ、羽生君に勝てないか」
米長さんは語った。「われわれベテラン棋士は得意の戦型が忘れられない。その戦型で勝った記憶が忘れられない。その戦型はもう通用しなくなっているのに」。名だたる企業の経営者が、むずかしい顔をしてじっと聴き入っていたのを覚えている・・・

凄腕速記者

朝日新聞4月4日夕刊の「凄腕つとめにん」は、「1分間に起こす文字数、300字超」という速記者、藤田貴子さんでした。
想像できますか、その速さを。1分間に300字ということは、1秒間に5文字ですよね。記事によると、会議の文字起こしは、3倍の時間でできたら一人前だそうです。2時間の会議だと、6時間かかるということです。藤田さんは、それを4時間で済ませます。でも初めは、5分の録音を起こすのに、30分かかったとのこと。
かつては速記者は独特の符号で紙に書いていましたが、今は録音をパソコンで文字に起こします。藤田さんは、かな入力だそうです。私はローマ字入力ですが、キーを打つ回数は、かな入力の方が少なくてすみます。
ところで、会議や会見で、職員が全文を文字に起こしてくれるときがあります。私は、概要を求めます。発言を一言ずつ追って読んでいると、時間がかかります。私は、結論が欲しいのです。ところが職員に言わせると、全文起こしの方が楽なのです。概要にしようとすると、理解しながら書く必要があるのです。う~ん、困ったことです。
私は、テープレコーダー(今ならボイスレコーダー)に録音して、後で文字おこしするのが嫌いでした。数倍の時間がかかるのです。それなら、その場での概要メモの方が楽でした。