カテゴリー別アーカイブ: 仕事の仕方

生き様-仕事の仕方

ものづくり企業でのひとづくり

2月28日の日経新聞経済教室ものづくりとひとづくり、大木清弘・東京大学准教授の「まず人材投資を先行せよ」から。

・・・日本経済の強みはものづくり企業にある、という言説がある。過去にそうだったのか、いまでもそうなのか、いま現在の「ものづくり企業」はどうなっているのか・・・
・・・「ひとづくり」が指す「ひと」の具体的な内容は会社によって異なるが、「ひと」がものづくり企業の競争優位の源泉であるという言説は、広く受け入れられていると言えるだろう。では、ものづくりを支えてきた「ひと」とは何か。
一般にイメージされるのは、高度な技能を持つ「職人」だが、経営学で強調されてきたのはそうではない。製造現場のラインにいる現場作業者が日常作業に加えて、問題解決に加わり改善してきたことが、日本企業の強みとされてきた。労働経済学者の小池和男氏はそうした人々を「知的熟練」と呼び、日本のものづくりを支える人材であると評価していた。
しかしその一方で、なぜ現場作業者が知的な問題解決をしてきたのかは、考察の余地がある。ちまたでは、「日本人の優秀さ」「日本の文化」「日本人のDNA」に帰する解釈もあるが、筆者なりに調査すると、以下の2点が背景としてあげられる。

1点目は、高度経済成長期に、ポテンシャルのある高卒人材を現場作業者として多数採用できたからである。1960年代の日本企業は、人材不足を背景に、戦前までホワイトカラー職として雇い入れていた高卒人材を、現場作業者として定期的に採用するようになった。
2点目は、「終身雇用」のよい側面が機能していたことである。待遇も一定レベルが保証されていたため、現場作業者として入社し、順調にキャリアを積めば、一定水準の生活を送れることが保証されていた。例えば、地方都市において大企業の工場で働くこと自体が評価されたため、職場に誇りを持ち、貢献しようという意欲を高く持てたのである。

しかし、この2つの前提が大きく変わりつつある。90年代以降、一部の企業は構造改革の一環で国内工場のリストラを行い、地元の工場で働ければ安泰という保証はなくなった。企業側は工場の正社員採用を抑え、高校からの学生の送り出しも途絶えるケースが生まれてきた。そうした背景もあり、大学への進学をより多くの若者が考えるようになり、若い人が大量に現場作業員として供給される状況ではなくなった。

このように、過去と現在では置かれている状況が異なり、かつてのような人材が育ちにくい環境にある。時代背景の変化を踏まえれば、今後も同種の人材を生み出すためには、これまで以上の育成投資が必要といえるだろう・・・

電話相談に答える

2月18日の朝日新聞「メディア空間考」、浜田陽太郎記者の「患者家族の応対体験 AIに勝る「安心感」、自分は?」から。

・・・先日、認定NPO法人「ささえあい医療人権センターCOML(コムル)」の電話相談の研修に参加した。1990年の設立以来、6万6千件以上の相談に応じ、それを礎にして、患者やその家族の視点から情報発信や政策提言などを行ってきたのがCOMLだ。
この日のハイライトは、参加者同士で行うロールプレーで、私は初めて「電話を受ける側」の役割を与えられた。
架空の患者家族を演じる先輩相談員から「差額ベッド料」についての質問を受けて回答。COML理事長の山口育子さんから指導を受けた。山口さんは自身で2万5千件以上の相談を受けている大ベテランだ。
まず、自分の知識がいかにあやふやだったか痛感。伝えるべきポイントをいくつも落としていた。しかし、これはジャブが入った程度。

ノックアウト級のパンチは、相談を受ける姿勢がてんでなっていなかった、という指摘だった。
応答が早口。相手を説得するような、畳みかけるような口調。相づちの仕方も「はい、はい」ばかりのワンパターン。一番の衝撃パンチは「相談の途中で笑ったらダメ」という指導だ。「相手はばかにされたと思います。気をつけて」・・・

そして、浜田さんは、次のように書いておられます。
・・・今どきのAI(人工知能)は、質問すると人間との自然な会話のように文章で返事をくれるという。そんな時代でも、電話の向こうに人がいることの価値は何だろう。一つは相談者が「誰かに話せた。聞いてもらえた」ことで得られる安心感と思う・・・

オンライン講演の違和感

2月21日の日経新聞夕刊コラム「あすへの話題」、斎藤真理子さんの「オンライン会議」に、次のような話が載っています。

・・・最初のうちは、オンライン会議に出るだけでへとへとになった。でも徐々に慣れた。3年経ってもいまだに慣れないのは、オンラインの講演などでさんざん話し、会が終了した直後のいたたまれなさだ。
「お疲れ様でしたー」でブツンと切れて、見回せばいつもの自宅、いつもの部屋で一人ぼっち。いい気になって喋った言葉が頭の中でぐるぐる回り、熱をもっている。一人だから言い訳も照れ隠しもできないし、反省会もできない。

講演会やシンポジウムに自宅から参加して話すと、会場で話すのとは全く違う種類の疲れを感じる。移動の時間や控え室、他の参加者やスタッフとの会話などで心の準備をするプロセスがなく、終了後に余韻を分け合う仲間もいない。滑走路のないフライトのようなものなので、離陸も着陸も衝撃が大きいのだ・・・

同感です。私はオンラインや録画での講演は苦手ですが、話すときだけでなく、その前後の「移行時間と空間」がないことも原因だったのですね。控え室での打ち合わせ、そこから会場への入場。そこで「アドレナリンの分泌」と「電圧の上昇」が起きて、気持ちが乗るのです。

話す力、自分との対話を重ねる

2月21日の朝日新聞夕刊「取材考記」、大阪スポーツ部、堤之剛記者の「16歳で全豪テニス準V 自ら俯瞰し培う「話す力」」から。

・・・16歳とは思えぬ「力」に驚かされた。
テニスの4大大会、1月の全豪オープン車いす部門男子シングルスに初出場した小田凱人(ときと)が準優勝した。攻撃的なスタイルも目を見張ったが、興味深かったのが記者会見やスピーチで発する言葉だった。
決勝後の会見。小田は優勝したアルフィー・ヒューエット(英)を巧みに言語化した。「アルフィー選手はコートの外からでもコートの隅を狙うことができる。警戒していたが、慣れていなかった。そのボールに対応できなかった」
4大大会4度目の出場で初の決勝を終えたばかり。並の16歳ならば興奮は冷めていないだろう。だが、この種目の最年少出場者は、試合の局面などについての質問に、丁寧にすらすらと答えた。大会を通じて自らを俯瞰していた。

なぜ、大勢の前でよどみなく話せるのか。「最初は全然話せなかった。ただ、10代で4大大会を経験し、記者会見という場を設けられたことで話すのが苦でなくなった」
とはいえ、10歳で競技を始め、昨年5月の全仏で4大大会デビューを果たしたばかり。スピーチトレーニングもしていない。言葉に詰まってもおかしくないが、そんなそぶりは見せない。心がけていることがあるという。「答えるときに、自分の気持ちをどう伝えるかを考えている」

取材を続けていくうちになぜ「話す力」があるのか、少しわかった。一つ一つのプレーに明確に根拠があり、内なる自分と対話を重ねているから。だから、他者に聞かれてもすぐに答えられる。
小田は対戦相手と自己を分析しながら、試合を進めていた。相手を上回る方法はあるのか。指導者に頼ることなく、コートの状況に合わせて勝機を探った。

他競技の高校年代の選手を取材すると、「自分たちの野球」「自分たちのサッカー」といった言葉を使う。それが具体性を欠き、目指しているものが不透明なことがある。小田は「自分のテニス」とは言わない。具体的で柔軟な思考。こんな高校年代の選手が増えれば、日本スポーツ界は変わると思った・・・

「うその勤勉」やめ生産性上げよ

2月14日の日経新聞私見卓見は、「勤め人改革」アドバイザー・安田直裕氏の「「うその勤勉」やめ生産性上げよ」でした。

・・・日本人は勤勉な国民といわれ、頑張る姿は好感を持って評価される。また、他人の目を意識し、どうすれば自分に有利かを考えて行動する。「勤め人」は人事評価で好印象を得ようと勤勉さを競い合う。生産性を上げるための「本物の勤勉」であれば良いが、一生懸命働いているふりをしてしまう。
ムダな仕事を増やし、忙しく見せることに腐心する。残業をいとわず、有給休暇を取得せず、勤勉さをアピールする。例えば周囲が、特に上司が帰らなければ、進んで退社しない。目配せしながら時間調整して働くことは、非効率だ。まさに「うその勤勉」である。これではエンゲージメントは上がらず、生産性は改善しない・・・

・・・「勤め人」全体が、自分の評価を下げまいとムダな仕事をつくり、忙しく動き回っている。特に、部下を管理する上司自らが「うその勤勉」を実践していては始まらない。今の状況を早く変えなければならない。
日本の時間あたり労働生産性は悪化し、2021年は経済協力開発機構(OECD)加盟38カ国中27位である。主要7カ国(G7)中最低で、金額は米国の6割弱だ。このまま手をこまぬいていては、企業の生産性は改善しない。それどころか、日本の経済力は衰退の一途をたどる。罪を犯さないためにも「うその勤勉」はもうやめよう。同調圧力に屈しないで、率先して行動を変革する「最初の一人」になろう。部下を持つ管理者なら、なおさらである・・・