カテゴリー別アーカイブ: 仕事の仕方

生き様-仕事の仕方

課題が整理できたら、しめたもの

私たちは、難しい事態を前にして「大変だ」と、悩みます。その際に一番困るのは、「何が大変か、わからない」ことです。何が課題かが、わからない。その課題に対して、どうしたらよいかわからないことです。このような場合は、混沌としている課題群を解きほぐし、一覧表に整理できたら、半分は片付いたようなものです。
あまりにたくさんの課題があり、一つ一つが重い課題の場合は、一気に解決することはできません。優先順位を付けて、そして各課題ごとに予定表(工程表)を作ります。それぞれに責任者を決めて、管理執行してもらいます。ここまで来たら、司令官の第一の仕事はできたようなものです。
これら「全体像」を示して、関係者が共有すれば、「大変だ」は解消します。もちろん各課題には、簡単に進まない課題も多いです。でも、今の技術や能力では達成できないとわかれば、それは「大変だ」ではなくなります。

大災害の発生当初に、「大変だ」と言われるのは、何が起こっているかわからない。徐々に被害がわかると、それに対し何をして良いかわからない。大きな被害に対して、誰がどのように対応できるかわからない。これらが、一気に生じ、しかも対策を急がなければならないからです。
対策本部の壁に被災地の地図を貼り、被害状況を書き込む(被害状況を把握する)。黒板に、主な課題、現状と対応状況を書き込む(課題を整理し、対策と担当者を決める)。ここまで来たら、「大変だ」ではなくなります。
各課題の担当者(各部長や課長)や現場の責任者が、自分の置かれている状況を理解して、責任を持って処理する。進捗状況と困っていることを、本部に上げてくれればよいのです。情報の集約と権限の分散です。
こうなると、本部は、各部局からの困りごとを処理するとともに、遅れているところに人とモノを追加する。そして、対策に漏れ落ちがないかを考え、次に何が必要になるかを想像することが仕事になります。
(ここに想定しているのは、組織として対応する事態です。上司の指示に対して一人で悩んでいる場合については、「明るい係長講座」をご覧下さい。)

誤りをわびる

岩波書店のPR誌『図書』6月号の宮下志朗さんの文章に教えられ、河野与一著『学問の曲がり角』(新編2000年、岩波文庫)で、次の文章を探しました。
出版物についている正誤表についてです。印刷術発明以前には、正誤表はなく、手書き本では、間違ったら訂正していたのです。印刷本も最初は一部ずつ、間違っていたか所をペンで直していました。そのうちに、いい加減な印刷が増え、訂正の費用もかさみ、本も汚くなるので、誰かが正誤表を付けることを考えました。
1478年に、ヴェネツィアで印刷された本についている正誤表に、次の文句が書かれています。
「読者よ、職工の不注意から来た誤植を、お怒りにならないように。我々もそう始終注意ばかりしているわけには行きません。すっかり見直して、これだけ訂正したところを買って下さい。」

良いですねえ、このおわびは。「二度と起こらないように注意します」というのが、おわびの定番ですが。人間とは間違う動物である・・。毎日の仕事では、いろんな失敗が起きます。それを全てなくそうとすると、たいへんな労力と時間が必要になります。「8対2の法則」によれば、8割の完成度に達した後、残りの2割を達成するには、同じくらいの労力が必要になります。
もちろん、二度と起こしてはいけない間違いもあります。

部下を怒鳴る上司

朝日新聞日曜別刷り「be」に、吉田潤喜さんの話が載っていました。アメリカに渡り、不法移民から、ソースを売って億万長者になった人です。その苦労と成功の物語は、別途、読んでいただくとして、私が紹介したいのは、日本についての、次のような発言です。

・・テレビを見ていたら「カリスマ経営者」といわれる人物が、これ見よがしに社員を罵倒しているのを見て、「アホか」と思った。あの弱肉強食、生き馬の目を抜く米国のビジネスの現場でさえ、部下のことを人前で怒鳴ったりしない。注意したいことがあったら、一杯誘う。
あんな人間がカリスマだ、リーダーシップだともてはやされる社会は、どこか間違っている・・

資料を作って説明するのか、説明するために資料を作るのか。その3

さて、今日は、上司に説明するための、資料の作り方です。
分厚い資料を持ってきて、1ページ目から、説明を始める職員がいます。また、そのような資料が3種類ほどあって、順番に説明してくれます。このような場合、職員が説明を始めると同時に、私は聞く意欲をなくします(笑い)。
まず、今日は何を説明したいのか。事実の報告なのか、意見を求めるのか、了解を得に来たのか。目的をはっきりしてください。
分厚い資料は、まさに「資料」でしかなく、上司への「説明資料」ではありません。そのような資料で説明を受けて、その後に大臣に説明する場合、私は、それら「資料」の前に、1枚「説明資料」を作ってもらいます。
そこには、今日何を大臣に説明したいかを、ポイントだけ書きます。例えば、今日説明することは、×日の会議で出す資料の案であること。大臣の了解を得たら、関係者に了解を得ること。その上で、×日の会議で説明し、意見をもらって最終的に決定すること、などです。すなわち、別添資料の位置づけ、その概要、何に配慮したか、今後の段取りを1枚の紙にまとめるのです。資料番号や通しページをつけることは、当然です。

繰り返します。あなたがまとめた資料は、「あなたが理解するための資料」でしかありません。上司に説明する際には、「説明資料」にする必要があります。
上司がとても忙しい場合、その説明資料一式を渡して、「電車の中で読んでください」と言える状態にしておいてください。すると、ツバを飛ばして「これは××のための資料で・・」といった前口上を、紙に書いて資料の前に付けておく必要がわかると思います。
電子メールで、遠くの人に資料を送る場合を、想像してもらっても良いです。資料を添付するだけでなく、「別添は、××のための資料で・・。○○の点について、返事ください」と送り状に書くでしょう。

資料を作って説明するのか、説明するために資料を作るのか。その2

昨日の記事を読んで、質問がありました。「そんなええ加減な資料で、良いのですか?」と。
答は、「それで良いのです」。

だって、あなたがそのまま作業を続けても、それが上司の考えていることと合致しているかどうか、わかりません。違っていたら、無駄な作業です。早く案を見せて、上司と頭揃えをしましょう。
私としては、部下がどのような作業をしているか、早く知りたいのです。私の意図と違っていたら、早く修正しなければなりません。
上司の意図と違っていたら、それは多くの場合、上司の指示が不明瞭だったか、適切でなかったかです。もし部下に能力が足らなかったら、それは能力の足らない部下に、過大な指示を出した上司が悪いのです。

ここで、脱線します。
時には、「まだ、ここまでしか、できていないのか」とか、「こんなことを指示したのではない」と怒る上司が、いるかもしれません。そんなときは、「はい」と殊勝な面持ちで頭を下げつつ、早く上司の前を逃げ出しましょう。
たぶんその時、あなたは腹の中で「そんなに言うのなら、あなたが書けばよいでしょ」と思っているでしょう。そうです。ほとんどの場合、その上司は、自分も良くわからないのに、部下に「できていない」と叱って、照れ隠ししているのです。

もし、あなたに勇気があるなら、上司に赤鉛筆を渡して、「では、書いてください」と言ってみてください。もっとも、その後のことは、私は責任を持ちません(笑い)。
私は、上司に黙ってペンを差しだしたことが、何度かあります。最初から、赤鉛筆(その方の場合はBの鉛筆)を書類に添えて出した上司もいます。その方は、2Bや4B の鉛筆が好きでした。
これは、相手がそれを許す上司でないと、通じません。誰彼なしに行うことは、お勧めではありません。そもそも、それを許す上司は、部下を怒りませんわね。
いずれにしろ、部下をしかる上司は、上司としては不適格です(我が身を省みて、反省)。そもそも、上司が部下と同じ土俵で勝負していては、ダメです。部下とは違った角度から、抜けている点を加筆したり、次の段取りを指示すべきです。職場は、予備校の赤ペン添削教室ではありません。千本ノックは、別のヒマなときに行いましょう。