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地方行財政

三位一体改革52

5日の毎日新聞は、麻生福岡県知事・淺野宮城県知事・増田岩手県知事・石井岡山県知事の会談を載せていました。三位一体改革の行方について、骨太の方針2005や義務教育費国庫負担金などを議論しておられます。
「明治以来の強固な制度、ヒエラルヒーを変えるわけだから、相当なエネルギー、破壊力が必要です。いろいろなあつれきが短期間にはあるでしょうが、それを経験しないと次の価値創造ができない」
「分権は極めて高度な政治問題です。この国のかたちをどう変えるのか、日本の将来をどうするのか。前回衆院選挙でも、各党がプログラムを出した。きちんと実行しようとしているのか、そういうことを検証し、迫っていかないと」
「我々は誘惑され、捨てられたようなものです。ただ、昨年、小泉首相が『3兆円の税源移譲をやれ』と言ったのは、すごい決断だった。これをものにしないと、次の機会はいつになるか。つい最近まで『補助金増やせ』ばかりやっていたのが一変したのはすごいこと。当然のように起きた変化ではなく、どこかでガラッと変わったんです」
「それはやはり小泉首相の登場が大きい。ただ、これだけ期待値、期待感が高まって、もし裏切られたら、ものすごい怒りに変わりますよ」(7月5日)
6日の朝日新聞「私の視点」には、木村良樹和歌山県知事が「地方の裁量広がる税源移譲を」を書いておられました。和歌山県では、高校の奨学金が税源移譲されたことを受けて、貸与の条件を見直したこと。また、補助金申請のための上京旅費が500万円節減できたこと。などの実績を紹介した上で、奨励補助金廃止によって地方の実情にあった事業ができること、それで住民の満足度が高くなることなどを主張しておられます。
5日に政令指定都市市長会が、残る6,000億円の補助金廃止案をまとめ、総務大臣に提出しました(5日日経新聞夕刊など)。
また、6日の朝日新聞や読売新聞は、地方6団体が、残る6,000億円の補助金廃止案として、約1兆円の削減リスト原案をまとめたと、伝えています。(7月6日)
麻生大臣が、新しい「あっ、そうだろう」を書かれました。「地方分権も教育も」です。
「・・・『地方分権は大事だ。しかし、教育の方がもっと大事だ』昨年、国と地方の協議の中で、そのようなご発言が席上ありました。私は、これを聞いて、『ああ、地方分権もここまで来たか』と、正直感慨深いものがありました。それまで、地方分権が良いものとされたのは、日本の社会経済各分野と深刻にぶつかることがない、お題目に過ぎなかったからです。財源と権限がセットになって地方のものとなり、地域主権が初めて現実のものとなるかもしれない、そのときに我が国の社会経済がどのように変貌するのか、誰もが確信を持てないのでしょう。
地方分権も大事、教育も大事です。そして、この2つは、概念上も、実際上も、対立するものではないはずです。これからの地域主権の世の中で、どのように義務教育を責任をもって実施していくか、という視点から、前向きに将来のシステムを検討していくべきだと考えます。・・・」(7月11日)
9日の毎日新聞は連載「知事たちの闘い-地方分権は進んだか」第17回を載せていました。「国との協議の場-距離というハンディ」です。(7月11日)
13日から徳島市で、全国知事会議が始まりました。13日の産経新聞社説(主張)は、「全国知事会、数合わせの改革にするな」を書いていました。日本経済新聞は「どうする義務教育・インタビュー」(下)で、中山文科大臣と石井岡山県知事へのインタビューを載せていました。
また、日経は1面で「どうする義務教育」を連載していました。国庫負担金廃止議論が、マスコミに教育について関心を持たせることになり、国民に教育を考える機会を創ったというところでしょうか。どんどん、教育の中身や質について、議論をしてほしいです。そして、ようやく文科省も議論に入った、と思いたいです。記事では、少人数学級すら認なかった事例が生々しく書かれています。
国庫負担行政・上意下達行政の悪弊を、早くやめたいですね。もっとも、文科省だけでなく、この状態に安住している教育委員会と教員の意識改革も必要です。(7月13日)

三位一体改革51

25日の日経新聞は、「所得課税改革を読む」下「負担、国税から住民税へ-地方行政に厳しい目」を載せていました。住民税額が所得税額を上回る納税者が、全体の2割の1千万人から、4千万人に急増すること。そして、住民の自治体に対する目が厳しくなることを指摘していました。このことは、拙稿「続・進む三位一体改革」p151に解説しておきました。
また、ほとんどの人が住民税増税になる、と書いてありました。住民税の税率が5%から10%になる所得階層は、増税になることがわかりますよね。そして、税率10%が適用されていて変わらない人も、低い所得の部分は税率が5%から10%になるので、住民税は増税になります。もっとも、その分は所得税が減税になります。(6月25日)
24日の朝日新聞には、内田晃記者が「義務教育費の国庫負担金廃止-学校現場の自由度増すか」を書いていました。廃止派は「学級編成柔軟に」と主張し、存続派は「現制度でも可能」と主張し、対立が続いていることです。
私は、この主張の対立なら、結論は出ていると思います。廃止派の勝ちです。国庫負担金を廃止して何も不都合がなければ、廃止すればいいのです。それによって、地方団体の負担金申請事務の負担も減り、文部科学省の負担金配分事務も廃止できます。
今回の義務教育の場合、国庫負担金廃止のメリットをめぐる議論の設定が間違っています。文科省が法令で縛っている限り、地方の現場での自由度は増しません。公共事業とかとは、違うのです。メリットは、補助金事務にかかる事務の廃止と経費の削減です。そして、それが意識の面で地方の自立を促すのです。
文科省と中教審は、意図的に議論を「一般財源化しても、教育の内容は変わらない。だから、負担金のままで良い」に持ち込んでいるのでしょう。その議論に乗っては、いけないのです。主張すべきは、「一般財源化しても、教育の内容は変わらない。だから、一般財源化する」なのです。(6月24日)
27日の毎日新聞は、連載「知事たちの闘い-地方分権は進んだか」第16回「決を採る、ついにその時が来て」を載せていました。
また、野倉恵記者が「新教育の森」で「中教審を見る」「義務教育費めぐり議論激化」を解説していました。これについての私の解説は、何度も書いたとおりです。
記事の中で、次のような意見が紹介されていました。「『義務教育のあり方を問う中教審の最大の論点が、教員給与の出どころやそのつけ替えの問題に終始していいのか』。教室との乖離を指摘する声は少なくない。」その通りです。(6月27日)
28日の読売新聞「論陣論客」は、「三位一体改革の行方」として、麻生渡知事会長と持田信樹東大教授のインタビューを載せていました。
麻生知事会長「我々は小泉内閣を信用したのだ。3兆円の税源移譲をするというから、「必要な補助金廃止リストを」という政府の提案に応じ、廃止案を昨年夏に出した。それができないということになったら、総理と内閣に対する不信は決定的になる。政府・与党との信頼関係も崩壊する。3兆円の税源移譲は絶対に譲れない」
持田教授「先送りされている部分があるのは事実だが、日本の財政の歴史からみると、税源移譲を最初に決めて改革するのは画期的だ。昨年、与党が合意したことは重い」
「(現内閣に)最も欠けているのは、従来の日本の『行政的集権システム』をどの方向へ進めるかを示していない点にある。青写真を示せば、国も犠牲を払うが地方も払ってほしいと説明できる。政治が責任を果たしていない」(6月28日)
30日の朝日新聞「私の視点」には、麻生渡知事会長の「教育費の財源移譲、地域の独自性が人材を生む」が載っていました。
東京新聞「記者の目」には、高橋治子記者の「分権へ地方の気概を」が載っていました。「住民の関心が高い教育費を自治体に移すことで、住民は教職員の数を減らされないように、今まで以上に首長や教育委員会の動向に目を向けることになる。道路や橋を造るよりも、身近な学校の予算を増やすためならば、税収を上げようという住民意識も生まれやすい。税源移譲によるメリットでなく、自治体が教育費を減らすかもしれないリスクこそが、結果的に分権の起爆剤になり得るということを、地方側はもっと主張すべきだ」。
鋭い指摘ですね。もっとも、中教審の委員さんたちは、この主張が理解できるでしょうか。(6月30日)
4日の日経新聞は、三位一体改革についての知事緊急アンケート結果を載せていました。
骨太の方針2005に盛り込まれた三位一体改革についての評価は、「満足できる」がゼロ、「おおむねよいが不満も残る」が35人、「まったく不満」が8人です。不満の理由の第一は、第2期改革への言及がなかったことです。
義務教育国庫負担金廃止については、33人が賛成ですが、負担金堅持が5人おられます。この2年間の三位一体改革で地方の自由度は高まったかについては、「まあまあ高まった」が4人、「高まったと思わない」が38人でした。
さて、この後、三位一体改革の残る課題を実現することや、第2期三位一体改革への道筋を付けることも、知事会を始め6団体の力量にかかっています。(7月4日)

三位一体改革50

20日の毎日新聞は、連載「知事たちの闘い-地方分権は進んだか」15回「新潟会議」を載せていました。国から意見を求められ、補助金廃止案を打ち返した際の議論の検証です。
中央教育審議会で義務教育費国庫負担金一般財源化議論が続いています。私の主張は、何度も書いたとおりですが、記者さんの問い合わせが多いので、改めてかいつまんで、私の意見を述べましょう。もっとも、政治学的な観点からの意見です。
1 審議の場の設定間違い
①中教審は教育内容を議論する場
まず、中教審で「教員の給料の財源」を議論することが、間違いです。中教審は、教育の内容とか質を議論する場所でしょう。教育条件なども議論することは良いと思いますが、今回は教育条件を議論しているのではありません。教員の給料を減らそうとかを、議論していないのです。その財源を議論しているのですから。そして、総務省も地方団体も、一般財源化しても、ちゃんと財源を確保すると言っているのです。
義務教育に関しては、もっと議論しなければならない重要なテーマがあるでしょう。それは教員の給与の財源でなく、教育の質の低下であり、学級崩壊などです。重要なテーマを放っておいて、優先順位の低いことを議論していると、国民はあきれてしまい、審議会への信頼が落ちると思います。
②審議会は、官僚の隠れ蓑
次に、中教審は文科大臣の諮問機関です。大臣は「国庫負担金堅持」を言っておられます。大臣に選ばれた委員が、それに反する答を出すと思えません。会長も早い段階で、「負担金堅持」を言っておられました。
教科の内容など専門的なことについて、専門家の意見を聞くのは、まだ意味があります。しかし財源は、大臣が決めればいいことです。財務大臣と総務大臣と協議すればすむ話です。審議会は、責任の所在がはっきりしない「隠れ蓑」であり、政治主導の対極にあるものです。
この問題を中教審で議論することが、間違っています。政治的な議論の過程でこうなったのですが。まあ、あまりにひどい過程を見せると、国民が「審議会はだめだ」と勉強する機会になるとはおもいます。委員の方には、申し訳ありません。日本の政治を、官僚主導から政治主導へ転換する、教材です。
2 議論の内容の間違い
次に、一般財源化反対論者の議論は、「交付税にすると、将来総額が減るので心配だ」「一般財源化しても、自由度は高まらない」に集約されるようです。
①地方税と交付税より、国庫負担金の方が先細り
地方財政より国家財政の方が赤字幅は大きく、より心配なのは国家財政なんですよ。財務省も、文教費を削りたいと思っているのですから。
②一般財源化しても教育の質は落ちない
「一般財源化しても自由度が高まらない」という主張に対しては、「じゃあそれでも良いですよ」と答えましょう。自由度を高めるかどうかは、文科省が縛りをゆるめるかどうかにかかっています。縛りをゆるめたくない文科省が言うべきことじゃないですよね。
それよりは、「高校は国庫負担金なしでうまくやっている」という主張に対する、反論を聞きたいものです。
一般財源化しても、教育の質は落ちません。国庫負担金を配っている文部官僚は、数を減らすことができます。その人たちは、お金ではなくもっと教育の内容を考えることができるようになるのです。一方、地方団体の職員も、補助金申請作業がなくなり、減らすことができます。
(失業のおそれ)
20日に香山総務次官が「三位一体改革のために、何が何でも国庫負担金の一般財源化を実現したい」述べたことに対して、文科省の課長がコメントを発表した、との報道(21日付読売新聞、日経新聞)がありました。以下、記者さんとのやりとりです。
記:他省の意見が自分の考えと違うからといって、いちいちコメントを出すのですかね。
全:うーん、そんなことしていたら、経済財政諮問会議の原案や予算原案がでたら、各省は何百もコメントを出さなければならないね。各省の審議会も、他省庁の気にくわない意見も言うしね。忙しいぞ。
記:また、次官の意見に対し、課長がコメントを出すのですか・・。
全:聞いたことがないね。僕が、よその省の次官の記者会見についてコメントを出したら、記事にしてくれるかい?
記:考えときます(笑い)。まあ、国庫負担金を配ることが仕事の課ですから、一般財源化されると失業するからでしょうがね。(6月21日)
21日に、政府税制調査会が「所得税と個人住民税に関する報告書」を出しました。その中で、「三位一体改革による国から地方への本格的税源移譲を、2006年度に行う必要がある」と明記しました。着実に準備が進んでいます。
21日には、「骨太の方針2005」が閣議決定されました。三位一体改革については、特に目新しいことはありません。地方6団体は「全体として評価できる内容だ」と好意的です。
22日の読売新聞では、坂田真記者が「地方の自立ー課題突きつけた骨太の方針、住民が納得する具体案を」を解説していました。(6月23日)

三位一体改革49

7日の読売新聞には、青山彰久解説部次長が「中教審、議論迷走」「義務教育国庫負担金で対立、公立校活性化の視点必要」を書いておられました。
「これまでの審議で見ると、論点の一つは『全国的な教育の水準と質をどう確保するか』であり、もう一つは『確実な財源保障をどうするか』になってきた」「だが、この(財源)論点だけでは、『財政再建に迫られる国の負担金制度と、改革が必要な地方交付税制度のどちらが安定的か』という水掛け論になる可能性もある」
「多くの国民が知りたいのは、どちらの方法なら、学力低下や不登校などの様々な問題を抱える公立小中学校がよくなり、現場の学校が活気づくか、という点だろう」
「地方側にしても、分権を言うなら、国庫負担金を地方税に変えるとどんな教育が今以上に実現するのか、最終的に市町村や学校の権限拡大につながる『都道府県内の分権』の制度設計案まで示されなければ、観念的な主張になりかねない」
指摘の通りです。
1 財源議論なら、一般財源化しても問題ない。いいえ、一般財源化すべきです。
負担金護持派の主張は、「交付税総額の先行きが不安」ということです。でも、かつて解説したように、地方財政より国家財政の方が赤字である=国家財政(国庫負担金)の方が心配なのです。
この主張なら、もし水掛け論になっても、国庫負担金を廃止した方がよいのです。なぜなら、国庫負担金をもらうために、あるいは配るために、膨大な人件費と事務費がかかっているのです。負担金制度を廃止すれば、それだけで大幅な経費削減になるのです。
もっとも、文科省は「職員がいらなくなる」から、一般財源化に反対しているのすが。
2 負担金がなくても、教育水準は変わらない。
どうやら、この点は理解されてきたようです。国庫負担金がない高等学校が、問題なく運営されていることについて、中教審の委員の方々は反論されませんね。
3 地方は、国庫負担金がなくなったら、今以上に教育がよくなることを示すべき。
そうです。一般の人が、三位一体改革を理解しにくいのは、「教育がこれだけよくなりますよ」という、説明が足らないからでしょう。
もっとも、1で述べたように、教育が今まで通りであっても、事務費と人件費が減って、日本にとってはプラスなんです。(6月7日)
月刊「地方財政」(地方財務協会)6月号に、遠藤安彦元自治事務次官の講演録が載っています。前に紹介した矢野浩一郎さんの講演の続きです。バブル期前後から現在までの交付税の歴史を語っておられます。交付税に関心のある方は、必読です。議論のある事業費補正についても、拡大のいきさつなどを知ることができます。私は、交付税課補佐として、財政担当審議官である遠藤さんにお仕えしました。
また、同号には、青木宗明神奈川大学教授が、フランスの地方分権を日本と比較して考察しておられます。「ともに単一制の国家形態をとりつつ、中央集権と官僚主導の代表国家、ワールド・チャンピオンとして名を馳せた末に、今や地方分権に向けた改革を進めている」「ところが、内面を凝視すると、両国の状況はまったくといって良いほど異なっている」「フランスからみて、昨年夏に我が国で繰り広げられた補助金削減をめぐる騒動はまったく理解できない。一国の総理大臣から要請され、地方が苦労の末に削減案を取りまとめたにもかかわらず、最終的には地方の意に反した政府決定がなされるというのは、フランスでは想像すらできない事態なのである」。
その他、井手英策横浜国大助教授の「義務教育費国庫負担金制度をめぐる政策論争史」、平嶋彰英地方債課長による「最近における憲法論議と地方自治、地方財政」なども載っていて、内容が濃いです。(6月13日)
「骨太の方針2005」の策定作業が、行われています。昨年この時期には、「3兆円税源移譲目標を書き込むか」が大争点になりました。また「補助金削減案は地方団体に考えてもらう」という「小泉・麻生ウルトラC」が提案され、すごく盛り上がりました。去年と違い、今年は地方財政・三位一体改革については、争点になっていません。
記者さんたちが、残念そうに「今年は静かですね」と、愚痴を言いに来ます。彼らは「記事を書いてなんぼ」ですから、活躍した去年が懐かしく、今年は力のふるいようがないのです。
今年が静かなのは、三位一体改革の目標数値は昨年すべて決めたこと、また18年度までの「全体像」を去年11月に政府与党で決め、実行中だからです。もちろん、全体像には積み残し(残る6,000億円の補助金廃止、義務教育国庫負担金の扱い)がありますが、これも別途作業がされているので、今回は新しく書き込むことがありません。
もっとも、三位一体改革は、地方団体が「口やかましく騒がないと」前に進みません。静かになって、先送りできたら、守旧派の勝ちですから。その点について、記者さんたちはみんな心配してくれています。「こんなに静かだと、火が消えますよ」。「6団体は何をしているんでしょうか」と。(6月14日)

2005.06.14

高崎経済大学の佐藤徹講師が、「市民会議と地域創造」(ぎょうせい)を出版されました。市民参加によるまちづくりの方法として、近年多くの市町村で取り入れられている手法です。これまでの審議会とか、またNPOとも違い、市民やNPOなどの参加による協働型の政策形成です。