16日の朝日新聞「私の視点」では、新藤宗幸千葉大学教授が「義務教育の中央統制を排せ」を書いておられました。「文科相と官僚機構、中教審の多数の委員は終始、『負担率2分の1は優れた制度保障だ』として堅持を強く主張した。ところが政府・与党の最終合意では、負担金制度を維持したまま負担率を3分の1に引き下げて8,500億円を削ることが決まった」
「この決定後、文科相も、中教審の議論を官僚顔負けにリードした教育学者も、その理由や評価について目立つ発言をしていない。負担率の『2分の1堅持』と『3分の1への引き下げ』には、いかなる論理的整合性があるのか。『現行負担割合こそが教育を安定させる』『文科省の省益追求ではない』と繰り返された主張はどこへ行ってしまったのか」「透けてみえるのは、ただひとつ、義務教育制度に中央統制の足掛かりを残しておくという意向である。文科省にとって負担率は4分の1、5分の1でも構わないのではないか」
15日の毎日新聞は連載「教育分権」第8回で、「少人数学級、地方の挑戦、法を超え」として、県が国の定めた基準より少ない人数で学級編成をしようとしたところ、文科省から「法律違反」と言われたことを書いていました。2001年の話です。2004年度に、文科省も方針を転換しました。
カテゴリー別アーカイブ: 地方行財政
地方行財政
三位一体改革66
(地方からの評価)
「3兆円という大規模な税源移譲を基幹税により行うこととしており、これはこれまでにない画期的な改革であり、今後の地方分権を進めるうえにおいて大きな前進である」。
また、生活保護費が盛り込まれなかったこと、施設整備費を対象に採り入れたことは、地方の意見が反映されたものとなっているものの、児童扶養手当や児童手当、義務教育費国庫負担金の負担率の引き下げなどは、地方分権改革の理念に沿わない内容や課題が含まれていると批判しています。
そして、「今回の内容は、地方分権の今後の展望を拓くための第一段階と受けとめており、引き続き平成19年度以降も更なる改革を進めるべきである・・・。我々地方六団体は、真の地方分権改革を着実に実現するため一致結束し、改革を前進させるためにも「国と地方の協議の場」の制度化を求めるとともに、地方分権改革が国民各位の幅広い理解が得られるよう一層努力していく」と、決意表明しています。
12月4日の読売新聞は、47知事のアンケート結果を詳しく載せていました。それによると、評価できると答えた知事は9人、評価できないが25人だそうです。評価できない点は、地方案にない項目での税源移譲が23人、義務教育国庫負担率引き下げが15人、地方案の反映度が低いが13人などです。
2日の日経夕刊では、47知事のアンケート結果は、どちらかといえば評価できるが12人、評価できないが6人、どちらかといえば評価できないが19人でした。政令市長13人では、どちらかといえば評価できるが11人、どちらかといえば評価できないが1人でした。
知事と市長の反応の差は、県負担である義務教育の国庫負担率が引き下げられ、市の負担(町村部は県負担)である生活保護がいじられなかったことなどが、主な理由でしょうか。
2日の毎日新聞では、47知事のうち、評価するが9人、評価しないが19人、どちらともいえないが19人です。また、小泉首相の指導力については、15人が発揮された、発揮されなかったが8人、どちらとも言えないが24人でした。(12月13日)
(解説・評価)
12月1日の読売新聞では、青山彰久記者が「地方の提案力、次に生かして」を解説しておられました。「大正デモクラシー期までさかのぼる日本の自治・分権の歴史からみれば、この改革はどう位置づけられるのか」
「今回の骨格は、これまでに前例がない3兆円の税源移譲を掲げたり、族議員と各省の頭越しに地方へ改革案を求めたりした点で、首相主導でつくられた。西尾勝国際基督教大学教授の指摘によれば、各省間の折衝で合意できたものだけを閣議にかける『霞が関の慣行』に穴を開けたのが、小泉政権の成果の一つといえる。きっかけは、橋本内閣で創設を決めた経済財政諮問会議だ。これを小泉内閣が最大限に活用した。各省が反対しても同会議で決めた骨太方針は閣議決定され、従来のルールを崩した」
「たしかに、95年から6年間続いた政府の地方分権推進委員会が税源移譲には進めなかったことを思えば、一定の成果といえる。だが、最終的にまとまった補助金改革と税源移譲の姿はどうか・・・」「地方が国の下請けになる構造を変え、地方に税源と責任を与えて効率的な政府体系を作るのがこの改革のゴールとすれば、まだ遠い」
「改革の再出発には、公共事業、社会保障、義務教育などで、改めて国と地方の任務を決め直す制度設計が必要だろう。その際、今回の改革過程で生まれた『国と地方が同じテーブルで協議する』という方法は生きる。これまで霞が関の各省に政策立案を依存してきた地方が、補助金改革や生活保護制度などで新しい制度を提案した経験は貴重だった。これをステップに地方が責任ある政策の提案力を高め、全体の制度設計を提案し参加する体制を整えることが、次の改革の扉を開けることにつながるように思える」
5日の日経新聞では、中西晴史編集委員が「地方分権、生みの苦しみ」として、大きく解説しておられました。「政府が地方分権推進の議論を本格化してから10年。今回決着した国と地方の税財政改革(三位一体改革)で、地方側は初めて国から大規模な税源移譲を勝ち取った。『画期的』と評価する声もあるが、『補助率引き下げなど国の関与が残る内容が多く、自治体の創意工夫を生かすには不十分』との批判が多い。残る地方交付税の見直しは手つかずで、真の地方の自立への道はなお険しい」。
「初の税源移譲、10年で勝ち取る」「施設整備には風穴」「交付税には及び腰」「敵は霞が関だけではない、潜む地域間の溝」という小見出しが並んでいます。
7日の朝日新聞では、坪井ゆづる論説委員が「三位一体総括・上」で、「分権への効果期待外れ」「省益温存許した首相、『脱霞が関』貫く覚悟なし」を書いておられました。
「そもそも、改革の出発点は中央集権型の行政のなれの果てといえる政府と自治体の計800兆円近い借金だ。だからこそ、財政再建と同時に、分権社会への転換が声高に叫ばれた。霞が関の現状を前提にしたような議論で進む改革ではない。中央集権のもとで経済成長を志向してきた国と地方の関係を見直すものであり、『この国の統治構造を変える改革』(石原信雄元官房副長官)とも位置づけられた。だが、小泉首相はこの局面で『脱霞が関』を貫き、この国を根っこから変える必然性への自覚も、その覚悟もなかったようだ」
「最初に火花を散らしたのは、財政再建とりわけ地方交付税の減額を迫る財務省と、それに税源移譲で対抗した総務省だ・・・。財務、総務両省の『肉を切らせて骨を切る戦法』の具体化を迫られた各省は、それぞれの
方法でかわした。文部科学省は・・・単なる数合わせで、中教審答申の論理的な正当性をないがしろにしてまでも、制度堅持は果たした格好だ。厚生労働省は、『地方への負担引き渡し路線』だった。安倍官房長官と連携し、懸案の生活保護負担率引き下げをめざした。その揚げ句に、何の議論もないままに児童手当など別の負担率を下げた。・・・国土交通省では交付金化が目立った。・・国交省が補助金配分業としての権限を温存する実態は変わらない。各省とも、自治体が自己責任、自己負担で自己決定する分権社会への流れを、あえて無視しているようにしか見えない」
「自治体側は小泉首相から要請された補助金廃止案づくりを、2度まとめた。利害の異なる自治体が結束して培った政治力が、内閣官房長官のもとに初めて国と地方の協議の場を設けさせた。だが、最終局面の政府与党の協議には結局、外側から注文をつけただけだった・・・。一方で自治体側、とくに知事会は反転攻勢の機会を逸した。今年9月の総選挙である。候補者アンケートで、義務教育や生活保護の負担率引き下げへの賛否を確認しておけば、それを担保に国会議員への発言力を確保できた可能性がある」
「自治体側は、さらなる改革を求めている・・。だが、自民党も各省もうんざり顔だ。『地方要求通りに補助金を削ったら、うちの局がなくなる』と言う局長もいる・・・だれが首相でも霞が関依存体質のままでは、今回と同じ結果になるのは明らかだ。そのときは民主党の存在感が相対的に増すかもしれない・・霞が関との縁遠さも利点になりうるからだ」。
8日の「下」では、松田京平記者たちが、「広がらぬ自治体の裁量」「反映しにくい地域事情、権限の多く国に残る」「改革リード意欲も必要」を書いていました。
それぞれ、幅広い視野に立った的確な指摘だと思います。
3日の読売新聞「談論」では、吉田和男京大教授、神野直彦東大教授、片山善博鳥取県知事が、評価を述べておられました。片山知事は「一連のドタバタ劇は『霞が関の病理』そのものだ。過去の合意事項をこっそり読み替えるし、権限も手放そうとしない。国民からみてつまらない補助金の配分も、役人には権限になり、財政当局にとっても予算査定を通じた『うまみ』らしい。・・真の改革には、霞が関の改革が急務であることを改めて認識させられた」。(12月15日)
(これからの動き)
今回の三位一体改革(第1期)に対する私の評価は、12月11日に書いた通りです。①補助金廃止・税源移譲が3兆円も実現することは、画期的なこと。②しかし、地方の自由度が高まったとはいえない。③今後、補助金廃止・税源移譲が進めば、今回はその突破口として大きな評価がされるであろう。しかし、これだけでとどまるなら、良い評価にはならないだろう、ということです。
となると、今後、第2期改革をどう進めるかが、課題となります。「霞ヶ関と永田町は、もううんざりしている」と伝えられています。今回の課程で、地方から案を出したこと、国と地方の協議の場を作ったことは、大きな前進です。しかしながら、昨年も今年も最後は国(政府与党)が決め、地方の参画はありませんでした。それに対し、政府与党案の決定について、官僚機構(補助金所管省と財務省)は大きな影響力を持っています。
補助金廃止・税源移譲は放っておいては、進みません。このまま立ち消えることが、霞ヶ関にとっては好都合なのです。第2期改革を進めるためには、地方側は作戦を練り、団結して当たらなければばなりません。
①改革の目標・内容
まず、どの補助金をどれくらい廃止するのか、を決めなければなりません。これについては、6団体は昨年大枠を決め、国に提出しました。しかし、義務教育が中途半端な形になりました。施設整備は税源移譲対象となりましたが、移譲額は2分の1になりました。これらをふまえ、もう一度整理し直す必要があります。そして、どの税金を移譲してもらうか。これについては、議論が進んでいません。
②戦術・戦略
もちろん、6団体が結束して、国に案を突きつけることが必要です。しかし、国と地方の協議の場の「限界」も見えました。すると、その経路以外の攻勢も、考える必要があるでしょう。今回、地方は、生活保護負担金切り下げ案に対して、事務の返上で対抗しようとしました。このような「場外乱闘」が有効なのか、そのほかの手段はないのかを議論すべきでしょう。
そして、回りくどいようですが、味方を増やす必要があるでしょう。国会議員、マスコミ、オピニオンリーダーたちです。国民にも支持してもらえるようにする必要があるでしょう。分権・三位一体改革は、連日のように新聞の1面を飾るようになりました。かつてなく盛り上がっています。ほとんどの人が総論は賛成ですが、各論になると異論が出てきます。これを最終的に押し切るのは、やはり世論でしょう。
次の節目は、6月にも予定される「骨太の方針2006」でしょう。ここに、どう書き込むか。地方に与えられた時間は、それほど多くはありません。(12月17日)
三位一体改革65
(評価・項目別)
三位一体改革の政府与党合意が決まったようです。まずは、結果がまとまったことを喜びましょう。地方団体の評価を待ちたいと思いますが、取り急ぎ、昨日書いた評価基準で簡単に見てみましょう。
結論が出て、目標金額を達成し、3兆円税源移譲できることになったことは、○。
地方団体が拒否していた生活保護国庫負担金が対象とならなかったことは、○。ただし、児童手当などが負担率引き下げとなったことは、×。
義務教育国庫負担金が8,500億円一般財源化されたことは、○。ただし、中学分の全額でなく小中分の負担率引き下げなので、それについては、×。
国債対象である施設費補助金が、一般財源化対象になったことは、○。もっとも、税源移譲が半額であることは、△としましょう。
全体像を見て、地方の自由度が高まったかについては、×に近い△でしょうか。第2期への見通しは、よくわからないので、△。
政治主導については、官房長官裁定が出たことは○ですが、ここまでもつれたこと、地方に案を作らせながらそれを採用しなかったことを考えると、△ですかね。(11月30日)
(評価・その全体像について)
今回決まった三位一体改革の項目別の評価は、前回(11月30日)書いておきました。新聞などの評価も、ほぼ同じだったと思います。「では、全体としてどう評価するのか」というお尋ねが、記者さんたちからありました。私の考えは、次のようなものです。
1 短期的には
この3年間(三位一体改革を進めた期間)でみると、高い評価ではない。新聞が書いているように、数値目標は達成したが、分権の目的である地方の自由度が高まったとはいえないので。
2 長期的には
かけ声だけで進まなかった「補助金廃止・税源移譲」が3兆円も実現することは、画期的なこと。大きな前進。
3 大きな歴史の中では
今回の三位一体改革の評価は、今回だけでは定まらない。すなわち、今後引き続き補助金廃止・税源移譲が進めば、今回はその突破口として大きな評価がされるであろう。しかし、これだけでとどまるなら、分権の歴史の中では良い評価にはならないだろう。(12月11日、パソコンが復旧したので今頃書いています。)
(昨日までの三位一体:パソコン故障で載せることができなかったものを、記録のために書いておきます。日々のニュースは割愛し、解説や主張などを中心に紹介します。)
(12月1日の各紙社説)
共通した部分が多いので、それは省略します。
朝日新聞は「公約は果たしたけれど」として、「初めて3兆円という大規模な税源移譲が実現する。全国知事会の麻生渡会長が『画期的だ』と語るのも、あながち誇張ではない」
「しかし、内実は苦しい数字合わせに終始した。そもそも何をめざす改革だったのか。こんな疑問がどうしても膨らむ・・・。単純化して言えば、自治体側は地方分権を、霞が関は財政再建と権限温存を考えていた。この食い違いを乗り越えるには、国と地方がそれぞれ担うべき役割を整理し、時代の変化に応じて分担のあり方を見直す構造改革が必要だった」。
この社説の指摘の通りですが、その構造改革議論は簡単には進みません。改革を拒む勢力が権力側にいるのですから。何度か指摘したように、三位一体改革の進行過程そのものが、政治改革なのです。
毎日新聞は「小泉政権後に不安残すな」で、「国の『下請け』に甘んじてきた地方が一連の改革をリードし、政府の政策決定のあり方にも変化をもたらした点は評価すべきだろう。しかし中身をみると『地方にできることは地方に』という原点は忘れ去られ、数字あわせに終始したのが実態である」
「制度に踏み込めなかったことに加えて気がかりな点がある。曲がりなりにも今度の改革が進んだのは、『改革派知事』が各地で誕生し、全国知事会の発言力が増しただけでなく、これが小泉純一郎首相の志向と合致した事情も大きい。果たして、『小泉後』もこの流れが続くのか。今回の交渉過程を見ても、各省庁の抵抗は極めて激しく、担当閣僚も従来通り省庁の代弁者に過ぎなかった。地方側は07年度からの3年間を第2期改革と位置づけて、さらなる補助金廃止と税源移譲を求めることにしているが、こうした姿を見ていると、『小泉後』がはなはだ不安になるのだ。政府と地方が協議する場を制度として明確にするなど、後戻りをさせない仕組み作りも必要だ」
これも、指摘の通りです。後段の「第2期」については、そのほかの新聞も主張していました。
日本経済新聞は「第2期の三位一体改革に踏み出せ」で、「国から地方への補助負担金は約20兆円もある。これほど巨額の補助負担金を使って、地方に口出ししている国はない。4兆円削減の第1期改革では、各省はこの体制を実質的に存続させる形で逃げ切った。これでは構造改革の名に値しない。政府・与党合意は今後の改革についてはややあいまいだが、本筋に戻した第2期改革に踏み出すべきだ」。
産経新聞は「これで終わってはならぬ」として、「三位一体改革の目的は、国と地方の役割分担を明確にし、財源を効率的に使うことで財政を再建することだ。それには継続的な改革が必要となる。地方分権の確立のためにも、今回の決着で終わりにしてはいけない」。
読売新聞は「国と地方、痛み分けの税源移譲」で、「地方側の言い分も盛り込まれたが、補助金削減では国の関与が残るケースが目立ち、双方、痛み分けの決着、と言うことも出来よう」と述べていました。
確かにそういえるのですが、国の関与が残るのでは分権にはならないのです。やや切れ味の悪い主張ですね。
(残る課題:交付税)
三位一体のうち補助金廃止と税源移譲が決まったので、残る課題は地方交付税であると、新聞は報道しています。もっとも、論点は平成18年度の地方交付税総額がどうなるか=いくら削減されるかになっています(12月1日付け朝日新聞、12月6日付け日経新聞など)。財務省がもっぱら国の財政再建=国の歳出削減の観点から、交付税総額の大幅な削減を主張しているという構図です。
このHPでも何度か解説しましたが、交付税総額は、毎年度の地方財政計画の歳出額と歳入額を積み上げ、その不足分を計算することで決定されます。そして、歳出の多くは、国が基準を決めています。収入の大きな部分である地方税は、その標準が国で決まります。国庫補助金は、国が総額を決めます。地方債は、公共事業などの額が決まれば、ほぼ自動的に決まります。そしてこれを比較して、足らない部分を交付税などで埋めています。国税の一定割合である地方交付税額(実力)で埋まれば問題はないのですが、近年は大幅に足らないので、国から特例の加算をしてもらい、地方も赤字地方債を出しています。
この特例を減らしたいのは、関係者みんなの思いですが、そのためには、地方税収が増えること、あるいは歳出総額が減ることが必要なのです。(12月12日)
三位一体改革64
NHKニュースによると、「全国知事会は、いわゆる三位一体の改革をめぐって、24日、幹部が緊急の会議を開き、焦点となっている生活保護の取り扱いについて、厚生労働省が国の負担割合を減らすという今の案を撤回しなければ、町や村が都道府県を通じて行っている生活保護を受ける人数や世帯数などの国への報告を取り止めることなどを決めました」。
24日の日経新聞1面「改革もう一押し、05年体制への試金石2」は、三位一体改革を取り上げていました。論点として「族議員を根絶するため、補助金削減は徹底的に」「中央省庁だけでなく、地方自治体もリストラ」「国と地方の役割分担の見直しも必要」を掲げています。
「国のお仕着せでなく、自治体が自身の判断で予算を使えるようになれば、創意工夫の余地が広がる。補助金配分に口を出すことで利権を得てきた族議員の息の根を止めるためにも欠かせない改革だ」「生活保護費の補助削減に反対する地方側は、新規の受給者に関する事務を国に返上する構えだ。5年前に中途半端に終わった国と地方の関係を見直す絶好の機会だが、目先のつじつま合わせで手いっぱいの政府・与党内にそういう声はほとんどない」。
読売新聞は、23日には「生活保護費調整大詰め。地方側、強硬姿勢崩さず」を、24日には「埋まらぬ地方との溝。今週末に最終調整」を書いていました。その中で、生活保護費国庫負担率引き下げ、施設整備費の地方移譲、中学校教職員給与分の地方移譲、の3点の対立を表にして解説していました。
毎日新聞23日は「生活保護費削減で対立。厚労省、官邸からノルマ。自治体、分権効果は乏しく」「国・地方の役割論議、不在」を、24日には「三位一体改革、調整大詰め。生活保護費対象除外も」を書いていました。東京新聞は24日に「月内決着へ調整加速。生活保護、義務教育深い溝」を書いていました。(11月24日)
生活保護費を巡る議論が続いています。25日の朝日新聞は「安倍氏、試練の調整役。期限目前、閣内も対立」を解説していました。補助金廃止がどれだけ日本の政治に深く関わっているかが、よくわかります。
それだけに、よくここまで進んだと思います。これまでの日本の政治と行政なら、ちっとも進まなかったでしょう。総理・官房長官・関係大臣の政治主導を期待しましょう。政治家が「日本の政治と社会を変えるのだ」という気概を持つのか、官僚に丸め込まれるのかの分岐点です。(11月25日)
28日の日経新聞「義務教育費国庫負担、私の考え4」は、苅谷剛彦東大教授でした。教授は、国庫負担制度維持を主張されています。そして、負担金制度を廃止した場合の問題を指摘した後に、次のように述べておられます。
「それ以上に心配なのは、文科省の役割変化の可能性だ、財源保障の役割が縮小すれば、残る国の仕事は、『評価』になる。・・評価を通じて教育をコントロールする仕組みへと変ぼうを遂げる可能性である・・」。
うーん、私は、国庫負担金という「投入量」による評価・担保より、教育の成果という「成果」による評価の方が重要だし、必要だと思うのですが。
また、この主張では、文科省は「お金を配る省」ということになりますよね。
何人もの記者さんが、三位一体改革の決着を心配して、話しに来てくださいます。本当に、どうなるのでしょうかねえ。小泉改革政権の真価が問われている、と思うのですが。(11月28日)
(評価の基準)
何人かの記者さんが来て、結末の予想と評価を議論しました。どのような結果になるかは、現時点ではわからないので、それを前提にした評価です。
彼らの主張は、「一番の分かれ道は、生活保護が補助金削減の対象となるかどうかである」とのことです。地方団体は、「生活保護は絶対に認められない」と主張しています。それを含めるようでは、地方団体は三位一体の結論を評価できず、いえ受け入れることも拒否するでしょう。
分権の視点からは、全体像について「多分、良い評価はできないでしょう」とのことです。すなわち、4兆円の補助金廃止がなされたとしても、地方の自由度を高めたものは非常に少ない。公立保育園補助金くらいであり、あとの義務教育関係(共済長期など)は地方の自由度は高まらない。ただし、「3兆円の税源移譲が行われれば、歴史的には画期的なこと。対象補助金について問題があるとしても、進んだことを評価しよう」「第二期につなげることができれば。次があるから」。
次に、政治過程としての評価です。
「総理や官房長官の指導力が、どう発揮されるか」。これが、国と地方との綱引き以上に、今回の焦点だと、何人かは指摘しています。党や霞が関で議論していると、補助金廃止は進まない。官邸から視界1キロメートルの望遠鏡では、判断を誤る。政治家には、日本国・社会を見渡す望遠鏡が必要である。また、5年や10年後を見通す望遠鏡が必要である。その望遠鏡で見れば、自ずと結論が出るはずだ。
国と地方のせめぎ合いとか、政治家の争い(政局)としてみると、この問題の大きさ、意義深さを見誤る。自民党の支持団体を切り捨ててでも、改革を進めることを示したのが、9月11日の総選挙であった。族議員と官僚に任せていては、補助金廃止・分権改革は進まない。総理の政治主導が不可欠である。去年は、総理はみすみす、それを示すチャンスを見逃された。今回の結論(その際の政治判断)は、日本の政治が大きく変わる分かれ道である。というのが、多くの記者さんの見立てです。
変な結論が出て、地方が三位一体議論そのものを「蹴飛ばしたら」どうなるか。これについては、「喜ぶのは、各省と財務省である。補助金を守ることができ、分権改革を止めることができるのだから」とのことです。(11月29日)
三位一体改革63
13日の読売新聞に、全面広告が載っていました。「日本の教育改革を進めるためにも、義務教育費国庫負担制度は絶対必要です」という内容で、全国の教育長・小中高学校長と日教組などがスポンサーです。
文部科学省・教育委員会・学校長と、日教組が「同盟軍」であることは、去年も指摘しました。労働組合もまた、税金(補助金)配分に連なる「業界」でした。文科省と日教組って、何を対立していたんですかね。
学校長や教育委員会も、「私たちに任せてくれれば、良い教育をして見せます」と主張してほしいですね。「私たちは文科省の決めたことを実行する方が良いです」ですという主張は、情けないです。でも、ここまで言わせるようにした文科省の管理「教育」は、成功したと言うことですね。
「国庫負担金を一般財源化したら、各県ごとにこれだけも財源に差がつきますよ」という表がついていました。でも、現在だって負担金は、必要額の2分の1しか交付されていません。正確には3分の1以下になっています。でも、各県ごとに差がついていないんですよね。それは、交付税制度があるからです。ずるいですよね。この主張を貫くなら、「現在でも2分の1は一般財源化されていて、その分は各県ごとに差がついています」「2分の1の負担金をなくすと、現在の格差が2倍に広がります」と証明すべきでしょう。こんな主張では、算数の先生としては失格ですね。お金の話もいいですが、教育の荒廃についても広告を出してほしいです。その際には要求だけでなく、「私たちの責任」という視点もお願いします。(11月15日)
16日の読売新聞「論点」では、小西砂千夫関西学院大学教授が「交付税制度の再生、地方税での負担増も必要」を書いておられました。
朝日新聞社説は「三位一体改革、いま生活保護は無理だ」でした。「安倍官房長官から7省で6300億円の補助負担金の削減を求められたのに、合計で約300億円の答えを返したのだ。自分たちの所管分は削れないという相も変わらぬ霞が関流である。全国知事会など地方6団体が『官房長官の指示が守られないことは誠に驚くべきこと』と反発するのも当然である」
「しかし、私たちは、この段階で生活保護の負担金削減を『残り6千億円』の中に押し込むべきではないと考える。 理由の一つは、自治体が『生活保護は国の責任だ』として、そろって負担金削減に反対していることである。削減が強行されれば、政府への信頼が揺らぎ、福祉の現場で混乱が起きかねない。もう一つは、生活保護の場合、税源を自治体に移しても、自治体の裁量の余地が少ないことである。自治体側が厚労省に税源移譲を求めている在宅福祉や子育て支援などの方が裁量は広がる。
厚労省はまず、自治体の裁量が広がるものから、税源や権限を自治体に渡すべきだ。そうすることで、自治体が地域にあわせた工夫を重ね、行政を効率化することができるからだ」
「今回の厚労省の動きには無理がある。ほかの負担金や権限を手放したくないために、生活保護を持ち出したといわれても仕方があるまい」(11月16日)
厚生労働省が生活保護費の国庫負担率引き下げを提案していることに対し、地方団体が反発を強めています。まず、抗議の意味を込めて、基礎データを国に報告しない自治体が増えています(17日付け朝日新聞、毎日新聞、日経新聞他)。(11月17日)
地方6団体は、18日に厚生労働大臣に、生活保護費国庫負担率を引き下げた場合、生活保護の事務を国に返上することを申し入れたとのことです。返上するのは新規の受給者分で、来年4月からとのことです。この事務は、法律上は「法定受託事務」であり、地方が事務を拒否した場合、国が直接執行するになると考えられます。
小泉総理は、18日の記者懇談で、生活保護費について「地方の意見を尊重してやっていく」と述べたそうです(19日各紙)。
その総理の意向や、官房長官の金額割り当て指示が、実行されないのです。繰り返しになりますが、三位一体改革は、補助金改革を通して、日本政治の問題を浮き彫りにしてくれます。
問題の第一は、官僚が抵抗勢力であること。その二は、その官僚と各省大臣が、首相の指示を守らないことです。(11月19日)
18日の日経新聞は、「三位一体改革、補助金交渉が難航」「削減優先、分権骨抜き」を大きく解説していました。
「三位一体改革は・・・地方の効率化と、国の権限縮小を一挙に実現し、官のリストラを加速させるというのが本来の改革の狙いだ」「しかし、各省は補助金を通じた地方の監督権限を手放そうとせず、補助金を配る仕事が減りリストラされることに抵抗する。だがこのまま地方の反発を放置すれば、地方公務員の給与カットや交付税削減にも踏み込めず、小さな政府をめざす国と地方双方のスリム化に黄信号がともる」。
読売新聞の社説は「三位一体改革、地方に規律促す生活保護の移譲」でした。しかし、国庫負担率を4分の3から2分の1に引き下げることは、負担の押しつけであって、税源移譲とは言わないのです。このような主張をする人は、国庫負担率をもっと下げて例えば10分の1にしたら、地方の規律が増すと考えておられるのでしょうか。さらにはゼロにして、すべてを地方に任せるという主張をなさるのでしょうか。(11月18日)
21日の朝日新聞では、松田京平記者が「義務教育費と生活保護費、国負担でも異なる制度設計」を解説していました。同じ国庫負担金でありながら、なぜ地方は違った主張をするのか。二つの事務の違いは、案外知られていません。よく整理された解説です。ご一読ください。もっとも、一部異論があります。地方団体は将来負担が増えても、筋が通るものなら一般財源化を受け入れると思います。
また、石井記者らが「生活保護費、自治体負担増えると、地域で支給額に差?」「基準の引き下げを懸念」を大きく取り上げていました。
日経新聞では「義務教育費国庫負担、私の考え」第3回で、石井岡山県知事が「財源なくして自律なし」「真の分権、なお道遠く」を語っておられます。毎日新聞「経済サプリ」は、「三位一体改革って何?」を解説していました。産経新聞は「生活保護費国庫負担引き下げ、地方が反旗」「データ報告の停止相次ぐ」を解説していました。
20日の毎日新聞「発言席」では、西尾出雲市長が「地方教育自治の実現を」を書いておられました。
「・・依然として県も市も文科省の考え方に拘束され、ご意見伺いに終始している。・・その意味で、今や地方の教育行政当局の意識改革が迫られている。今後、地方の教育現場は文科省に気兼ねすることなく地域のニーズ、特色を生かす創造的な教員配置を断行すべきだ。同省はそれこそ地方の主体性を、お題目ではなく真に尊重すべきである」
「国庫負担金の予算要求は、毎年度財政当局の厳しい査定を受け、目標財源が十分認められない歴史が繰り返されてきた。財源確保は決して安定的ではない。むしろ、三位一体改革の流れからすれば、地方交付税や地方への税源移譲による財源確保の方が安定的と考える」
「・・文科省は知事や市長をもっと信頼し、教育行政への責任・参画を認めるべき歴史的転換期を迎えている。・・勇断をもって名実ともに教育分権確立に大きく舵を切ることにより、国民が真に信頼し期待する政策官庁として飛躍できることとなる」。
読売新聞「一筆経上」では、丸山淳一記者が「理念なきそろばん勘定」と題して、「双方の言い分の真ん中をとって、二つの補助金(義務教育と生活保護)の補助率を変えるなどの帳尻合わせをすれば、補助金削減額は目標には届く。しかし、地方分権の推進という改革の理念にはほど遠い」と書いていました。(11月21日)
政府与党の協議や4大臣協議が、続いています。(11月22日)