新聞各紙が、新年から1面で、日本の未来に向けて、課題と処方箋を連載しています。先日も書きましたが(明るい日本に、誰がするのか)、悲観論だけでない、建設的な記事や主張を期待しましょう。4日の朝日新聞では、地域の活性化のために、これまでは、道路がほしい××が欲しいといった「ないものねだり」をしてきたが、これからは、地元にある歴史や文化といった資源を見つけ出す「あるもの探し」が重要だと、指摘しています。
また、アレックス・カーさんの次のような指摘も、紹介しています。「戦後の日本は、古いもの=文明でない、自然=危険として、古い街並みを壊し、山を真っ平らにし、土手をコンクリートにかえた。日本の自然や古い街並みには、欧米人をも引きつける力や妙があったのに・・なぜこんなことになったのか。原因の一つは、日本人の誇りの欠如だ。もう一つは、古いものを残しつつモダンにする技術が、これまでに日本になかったことだ・・」。
そうですね、「残そう」と言いつつも、その技術が欠けていました。古い家や街並みは、精神論だけでは、残せませんね。詳しくは、原文をお読みください。
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地方行財政-地方行政
人口減少時代の自治体
矢作弘著『「都市縮小」の時代』(2009年、角川oneテーマ21新書)が、興味深かったです。人口減少に直面した都市が、どのような対策を打っているか。欧米と日本の代表的な都市を、取り上げています。本書にも書かれているように、これまでの各市の「総合計画」は、将来推計人口が増えるという前提・願望で作られていました。しかし、ほとんどの都市で、それが裏切られたことも事実です。山村や離島での過疎と産炭地域の衰退などは早くから政治課題になり、特別立法が作られました。しかし、それ以外の地域でも、基幹産業の退出などで、人口が減った都市はいくつもあります。さらに、東京一極集中が、地方都市を空洞化しています。そして、日本全体の人口減少が、全国を覆います。一部の都市の問題ではないのです。
私もこの問題が、地域政策の重要問題だと、関心を持っていました。拙著「新地方自治入門」でも、中心市街地の空洞化やニュータウンの衰退など、人口減少の問題を指摘しました。また、どうしてイタリアやフランスの片田舎で、満足して暮らせるのかも、問題提起しました。しかし、それ以上の議論は、できませんでした。地方に講演に行くたびに、その街の衰退を聞かされ、悩んでいました。十分な議論ができないのですが、いくつか論点を、羅列しておきます。
1 市役所も街のリーダーたちも、引き続き工場が来て人口が増える夢を追い求めたこと。1980年代までは、多くの地方で企業誘致による産業振興が成功しました。だから、その夢を追い続けたのです。
2 しかし、アジア各国が成長し、加工組立型工場は海外に逃げ、従来型の工場誘致は困難になりました。そして、それに代わる新たな産業振興モデルを、政治も行政も経済界も、提示することができませんでした。
3 農業では、従来のような、小規模米作では所得は増えない。そのことは早くから指摘されていながら、大規模化などが進みませんでした。
4 住宅開発、商業施設や公共施設の郊外立地が、都市を寂れさせることに気づきながら、止めることができなかった。学校や老人施設、公共ホールが、郊外に立地したことは、残念なことでした。
今ようやく、コンパクトシティを目指す動きが出てました。
この問題の基本は、その地域が何で食っていくか(人を養うか)という産業論と、もし雇用と所得が増えないとするならば、それを前提としてどのようなまちづくりをするのか、だと思います。
もちろん、これは、それぞれの地域が、取り組むべき課題です。しかし、国としてどう対処するかも課題です。特に産業論は、国の役割が大きいです。かつて国土庁に、地方振興局がありました。省庁再編で分割され、そのような局はなくなりました。また、総務省(旧自治省)には、古くから地域政策を担う課はあったのですが、地域経済局(課)はありませんでした。経済産業省には、地域経済産業グループ(審議官)があります。
地域住民の信頼強化
古くなりましたが、5日の読売新聞が、「フランス発、隣人祭」を紹介していました。
住民はいろんな問題を抱えている。しかし、行政には限度がある。必要なのは助け合いだが、地域連帯の意識が希薄になり、さらに隣人が互いに猜疑心をつのらせ、無関心の空気が満ちている。この危機感からパリ市の区議会議員(助役)が始めた行事です。アパートの中庭に住民を誘い出してパーティーを開き、お互いを知るのです。その後フランス全土に広がり、今や欧州連合の政策「ネイバーズ・デー」になっています。
日本でも、かつての農村での親類やムラ社会の助け合いが崩壊し、新たな信頼関係をつくる必要が出てきています。拙著「新地方自治入門」では、第7章で「社会資本」として述べました。
国の基準を上回る検査
読売新聞11日夕刊に、国産牛のBSE検査が載っていました。国は、7月末で全頭検査の補助金を、打ち切ります。世界でも全頭検査をしているのは日本だけで、欧州の多くの国では30か月以上の牛に限定しているそうです。検査施設を運営している44都道府県は、独自の予算で全頭検査を続けるそうです。県民が望むから、と言う理由です。
私は、各県が国の基準に上乗せして、厳しい検査をすることは、問題ないと思います。もちろん、その費用は、各県(県民)の負担になります。県民が費用を負担して、より安全なものを県民に届けるのです。
もっとも、その県の店先には、外国産の牛肉も並びます。また、全頭検査をやめる県が出てくると、検査のない国産牛肉も並びます。検査費用を肉代に上乗せするのなら、消費者が検査費用を負担して高い牛肉を選ぶので、問題はありません。しかし、県民が他県民が食べる肉の検査代を負担することになる場合は、どう考えるべきでしょうか。
市町村合併の評価
総務省の「市町村の合併に関する研究会」(小西砂千夫座長)が、報告書をとりまとめました。この報告書は、「平成の合併」の合併後数年の短期的な影響、行政側と住民側の両面から見た場合の影響について、「良いことも悪いことも含め、素材をそのまま提供する」(小西座長)ことを基本に評価・検証・分析したものだそうです。