カテゴリー別アーカイブ: 生き方

生き様-生き方

いつの間にか9月が過ぎました

今日は、10月1日。また、私の了解なしに、9月が過ぎました(笑い)。この1月間に、何をしたか。それを考えて、反省しています。先月も、同じことを書きました(9月3日の記事)。
手帳を見ると、いろんなことをしているのですが。中学の時に、先生が朝礼でおっしゃった言葉が、今も焼き付いています。「酔生夢死」です。「明るい係長講座」でも書いたので、詳しくはそちらをご覧ください。
「何をしたか」は、会議の回数や出張の回数ではなく、忙しさでもなく、「何を達成したか」で計られるべきです。もちろん、今直ちに結果が出ないものもあります。種をまいていることも、多いです。でも、12月には、「今年は、これをした」と、書きたいですね。
時々、「何になった」(あるポストに昇進した)ことを成果に誇る人がいます。でも、それはあなたにとって成果でも、組織や社会にとっては成果ではありません。「である」ことでなく、「すること」「したこと」で計りましょう。
「であることとすること」は、もちろん、丸山真男先生の『日本の思想』(岩波新書)の名文です。

閑話休題、来賓の胸のリボン

式典や集会の際に、来賓の胸にリボン(赤や白の花の形をしていて、足が生えたような徽章)をつけることがあります。私は、以前から、この風習は変だと思っています。
若い頃、知事の代理で式典に出席すると、大きなバラか菊の形をしたリボンを胸につけてもらい、「偉くなったようで」うれしかったです。でも、あるときから、「これは、何のためにあるのか」、疑問に思うようになりました。
安全ピンで服に刺す場合は落ちないのですが、短いプラスチックの定規が刺してあって、これを胸ポケットに刺して留めるものもあります。これって、お辞儀をして前屈みになると、落ちるのですよね。
また、そんなに偉くもないのに、大きなリボンをつけるのが恥ずかしくなりました。それで、リボンをつけるのがいやになって、受付で拒否するようになりました。すると、主催者側の人に、しかられるのです。「つけてもらわないと、困ります」「皆さん、つけておられます」と。でも、これでは、理屈になりません。
そして、あるとき、気がつきました。「胸のリボンは、来賓のためにあるのではない。主催者側の職員が、来賓の個体識別が付かないので、リボンで識別しているのだ」と。
天皇陛下が、リボンをつけておられるのを、見たことがありません。宮中の儀式でも、たぶん誰もつけないのでしょう。勲章はつけますが。服装のルールを書いた本には、どのように載っているのでしょうか。
特に、リボン(花の大きさ)に大中小とランクが付いているのも、いやですねえ。特大をつけてもらって喜ぶのは、子供じみていてい。もっとも、それを喜ぶ人がいるから、この風習は続いているのでしょう。よって、そのような方が、より大きなリボンをおつけになることを、私は否定しません。でも、私は、恥ずかしいのです(失礼があったら、お詫びします)。
それ以来、私は胸にリボンをつけることを、拒否しています。ただし、入場券代わりにみんながつけるリボンは、拒否しません。これは、重要な機能を果たしていますから。そのような場合は、大きなバラの花ではなく、ごく簡単なもので、全員共通です。

家族に捧げる

三浦展さんの著作に触発され、いつか読みたいと思っていたので、藤岡和賀夫著『ディスカバー・ジャパン』(1987年、PHP研究所)を読みました。インターネットで中古品を探してもありませんが、区立図書館を調べたらありました。ありがたいですね。
藤岡さんは、電通の有名な広告プロデューサーで、「ディスカバー・ジャパン」「モーレツからビューティフルへ」「いい日旅立ち」などで有名です。1970年、80年代のことなので、若い人たちは、ご存じないかもしれません。
さて、今日紹介するのは、その内容ではなく、本の最初に書いてある「献辞」です。広告を志す人たちといった後輩にこの本を捧げると書いた後に、次のような言葉が並んでいます。

・・妻 奈美子へ
君が一人の子を家におき
一人を背負い一人の手をひき
一人を幼稚園に迎えに行った頃
私はこんな仕事をしていた・・

この本は、藤岡さんの仕事を振り返るものです。60歳になられて、ご自身の仕事を集大成されました。その時の、ご家族への感謝のお気持ちだと思います。私の場合は、家族へのお詫びになります。

不可能の反対語は

朝日新聞4月26日の天声人語に、次のような文章が載っていました。
・・黒人初の大リーガー、ジャッキー・ロビンソンに名言がある。「不可能の反対語は可能ではない。挑戦だ」。
久しぶりにこの言葉を聞いて、胸にずしんと来るものがありました。
人種差別のきつい時代に、それを切り開いていったロビンソン選手には、私なんぞには、わからないくらいの苦労があったでしょう。しかし、そのような境遇の違いを超えて、この言葉は、これまでにない仕事や困難な仕事に挑戦する私たちに、「勇気」を与えてくれます。
そうです。失敗するかもしれません。完璧な成果を達成できないかもしれません。しかし、それを恐れていては、難しい仕事、これまでにない仕事はできません。前例のない課題に、立ち向かっているのですから。
世間には、前例のないことに取り組むことが好きな人と、前例通りの仕事を好む人(前例がないことはしない人)の、2種類がいるようです。(2012年4月26日)

先日、「不可能の反対語は」で、ジャッキー・ロビンソンの名言を紹介しました。英語の原文を知りたくて検索したら、見あたりません。「ロビンソンの言葉ではないのではないか」という記事がありましたが。

孟郊

先日、孟郊の唐詩「登科後」について書きました(4月10日の記事)。漢文のお師匠さんである肝冷斎先生が、解説をしてくださいました。
孟郊さんって、この詩の伸びやかさとは違って、そんなにおおらかな人ではなかったのですね。それでも、1200年も後まで、しかも異国にまで名が残るのは、男冥利でしょう。