閑話休題、来賓の胸のリボン

式典や集会の際に、来賓の胸にリボン(赤や白の花の形をしていて、足が生えたような徽章)をつけることがあります。私は、以前から、この風習は変だと思っています。
若い頃、知事の代理で式典に出席すると、大きなバラか菊の形をしたリボンを胸につけてもらい、「偉くなったようで」うれしかったです。でも、あるときから、「これは、何のためにあるのか」、疑問に思うようになりました。
安全ピンで服に刺す場合は落ちないのですが、短いプラスチックの定規が刺してあって、これを胸ポケットに刺して留めるものもあります。これって、お辞儀をして前屈みになると、落ちるのですよね。
また、そんなに偉くもないのに、大きなリボンをつけるのが恥ずかしくなりました。それで、リボンをつけるのがいやになって、受付で拒否するようになりました。すると、主催者側の人に、しかられるのです。「つけてもらわないと、困ります」「皆さん、つけておられます」と。でも、これでは、理屈になりません。
そして、あるとき、気がつきました。「胸のリボンは、来賓のためにあるのではない。主催者側の職員が、来賓の個体識別が付かないので、リボンで識別しているのだ」と。
天皇陛下が、リボンをつけておられるのを、見たことがありません。宮中の儀式でも、たぶん誰もつけないのでしょう。勲章はつけますが。服装のルールを書いた本には、どのように載っているのでしょうか。
特に、リボン(花の大きさ)に大中小とランクが付いているのも、いやですねえ。特大をつけてもらって喜ぶのは、子供じみていてい。もっとも、それを喜ぶ人がいるから、この風習は続いているのでしょう。よって、そのような方が、より大きなリボンをおつけになることを、私は否定しません。でも、私は、恥ずかしいのです(失礼があったら、お詫びします)。
それ以来、私は胸にリボンをつけることを、拒否しています。ただし、入場券代わりにみんながつけるリボンは、拒否しません。これは、重要な機能を果たしていますから。そのような場合は、大きなバラの花ではなく、ごく簡単なもので、全員共通です。