カテゴリー別アーカイブ: 生き方

生き様-生き方

難しく生きる人、周りを見ない

今日は、別のことを書こうと思っていたのですが。あまりに印象が強烈だったので、電車での出来事を書きます。今日の帰りです。地下鉄のホームで、みんな並んで電車を待っていました。すると、漫画を読みながら歩いてきた女性(たぶん30~40代だと思います)が、その列の前に並びました。一心不乱に漫画を読んでいるのです。眼は本に集中していて、周囲をまったく見ません。並んでいる人たちも、あっけにとられたまま。「おいおい、みんな並んでいるんだよ」。
電車が来て、まずはその女性から乗りました。漫画を読んだまま、扉の中央右に立ちます。後ろに並んだ私たちは、彼女を避けながら奥に入ります。何人かの乗客は、彼女にぶつかります。だって、通路の真ん中に立っているのですから。本人は、まったくその状況に関心なし。
その「不動心」に、感心するやらあきれるやら。きっと、職場や家庭でも、そのような振る舞いをしているのだろうと、心配になりました。本人に悪気はありません。でも、うまく回らないでしょう。「私は何も悪くないのに、何で皆が私にぶつかるの!」と。

立食パーティ

立食パーティは、何度行っても慣れませんね。飲み物のグラスと食べ物を載せた皿を持って、箸かフォークで食べる。なかなかそんな芸当はできません。グラスをテーブルに置いて、食べることに専念します。受付で会費を払ったら、引き出物として本や記念誌をくださることがあります。これは困ります。これで、片方の手が埋まってしまいます。帰り際にくれれば良いのに。そこで、私は「帰りにもらうので、預かっておいてください」と、もらうのを拒否します。
しかも、脂濃いものやお腹がふくれるような料理が多くて・・。ある人に聞いたら、「立食パーティは食べたり飲んだりする場ではない。会話を楽しむ場、人を知る場である」とのことです。よって、会場に行く前に、少しお腹に入れてから行くのだとか。

ハイテク企業のトップは、子どもにスマホを使わせない

朝日新聞電子版、「ニューヨーク・タイムズ世界の話題」10月11日に「スティーブ・ジョブズ、家ではローテク父親だった」が載っています。
記者が、あのアップル社の創業者であるジョブズ氏に「じゃあ、あなたの子供さんたちはiPadが好きなんでしょうね」と聞いた時の答です。
「いいや。まだ、使ってないよ。家庭では、子供たちのハイテク使用を制限しているんだ」
これを聞いた記者は驚き、他のハイテク企業のトップにも取材します。その結果は。
・・多くのハイテク企業やベンチャー企業のトップが、家庭では同じようなことをしていた。ハイテク機器の画面を見る時間を厳しく制限し、翌日に学校がある晩はまったく使わせなかったり、週末でもアクセスできる時間を禁欲的といってよいほどに限ったりしていた・・
3Dロボティクスの最高経営責任者で雑誌ワイアードの前編集長クリス・アンダーソンは、どの電子機器についても家庭では親として管理し、使用時間を制限している。
6歳から17歳まで5人の子持ち。「私の子供たちも妻も、自分のことを『ハイテク心配過多のファシスト』と非難し、こんな規則がある友だちなんていないと抗議する」とアンダーソン。「でも、こんなことをするのも、ハイテクのこわさを直接知っているからだ。自分自身にも、とりこになるかもしれないこわさを感じるし、子供たちにそうなってほしくはない」と強調する。
その危険性とは、有害なコンテンツなどにさらされることだ。ポルノや他の子供たちからのいじめ。なんといってもこわいのは、両親も経験したように、こうした機器やネットの世界に依存する中毒症状に陥ってしまうことだ。
ハイテク専門のマーケティング・コミュニケーション企業OutCast Agencyの最高経営責任者アレックス・コンスタンチノープルは、5歳になる一番下の息子には、平日は電子機器をさわらせないようにしている。10歳から13歳までの上の子供たちの場合は、翌日に学校がある晩は30分しか使わせないでいる・・

子どもさんを持った多くの家庭で、悩んでおられるのではないでしょうか。スマートフォンは便利ですし、楽しいです。通勤電車の中でも、たくさんの大人がスマホをみています。私だってパソコンが横にあると、ついついニュースを見たりサーフィンをしてしまいます。すると集中できなくなります。便利さは、危険と中毒とを併せ持っています。「免疫のない」子どもには、もっと魅力的で、かつ危険でしょう。
子どもに、「××ちゃんも持っている」「友達は皆持っているよ」「持っていないと、遊んでもらえない」といわれると、親はついつい買い与えてしまいます(これは、子どもがおもちゃなどを買ってもらう時の、常套句です。あなたも覚えがあるでしょ)。しかし、スマホ、ケータイ電話はまだ世に出てから新しく、子どもに与える影響は十分に検証されていません。他方で、勉強に集中できない、犯罪被害に遭っているという負の影響は、たくさん報告されています。
子どもに、どのようにスマホを使わせるか。この記事では、年齢による制限など実例が報告されています。本文をお読みください。

先達の経験談

粕谷一希著『粕谷一希随想集3 編集者として』(2014年9月)p337に、次のような記述があります。
・・これまで10回の連載(「乏しき時代の読書ノート」)で、敗戦直後から昭和27、28年までの私の読書歴を簡単にスケッチしてきた。それは15歳、中学3年生から大学までの7、8年間である。それはある人々からすれば、その程度のことかといわれそうだし、ある人々からすれば、ナント迂遠な迷走をつづけたことかといわれそうである・・
この文章に、とても共感しました。立派な先達がこのような感慨を述べられることに、私のような凡人も安心します。人生観を変えるような本もあれば、時間の無駄だった本もあります。しかし、それが今の私を作っています。
読書だけでなく、人生もそのようなものなのでしょうね。いろんな回り道をして、今の私があります。最初から結末や過程がわかっている人生って効率的ですが、面白くないでしょうね。結末がわかっている人生なら、たぶん生きよう(たどろう)とは思わないでしょう。
回り道をして、後からみたら無駄だと思えるような過程を経て、ある目的に達する。人生は、そのようなものなのでしょう。もちろん、迷い道ばかりで、一つのことを成し遂げないようでは、満足感は得られないでしょうが。3千メートルの頂に立つ場合に、まっすぐ垂直のようなはしごを登るのか、富士山のような裾野の広い山を登るのか、八ヶ岳のような山を迷いながら登るのか。人生は、頂もわからず、登山道もわからない山を登っているのでしょう。若い時から、先達の経験談や失敗談は、すごく勉強になりました。
ところで、伊東元重先生が、『東大名物教授がゼミで教えている人生で大切なこと』(東洋経済新報社、2014年8月)を書かれました。この本は、大学生に「人生の戦略」を教える本ですが、先生の経験談でもあります。先日、先生に「まだこのような本を書かれるには、早いのではありませんか」と申し上げたところです。しかし、大学生や院生からすると、伊藤先生の経験談は宝物でしょうね。

かつての同僚

今日の放課後は、かつての職場のOB会「全勝課長を囲む会」でした。平成13年(2001年)から、総務省自治財政局交付税課長を、3年勤めました。その当時の部下たちです。10年も前のことです。
今にして思うと、よくまあ、あのような過酷な仕事に、みんな耐えてくれました。一端は、このホームページにも書きました(2006年8月22日。もっともこの記事は、課長補佐時代のことです。課長当時の記録の多くは消してしまったので、このホームページに残っていません。当時大きなテーマだった三位一体改革このページに、日記はこのページに、少し残っています)。
今日は会場に行くと、ほぼ全員が揃っています。私が当時、「会合は、15分前には行くんや」と言っていたのを、実行してくれたのです。席に着くと、座布団の上に資料(出席者名簿や当時の記録)が乗っています。これも、私が部下への指示書を、座布団の上に置いていたことの「実践」です。後は、ご想像の通り。
その部下たちが、それぞれ出世して、ある人は交付税課に戻って交付税制度を支え、ある人は別の職場(これがまた幅広いのです)で活躍しているのがうれしいです。「あの時の青い××君がねえ・・」と。人材供給源になっています。みんな、「あの時のことを思えば、楽ですわ~」と。
私が課長補佐の時に始めた「富士山頂で明日の交付税を考える会」を、今年も明日金曜日の夕方に実行するそうです。
私はその後、官房の総務課長、内閣府官房審議官・内閣官房審議官、総理秘書官、(少し飛んで)大震災被災者生活支援本部、復興庁と、内閣や官房業務に「転籍」しました。でも、私の仕事の原点は、自治省での地方勤務と、地方財政です。その原点と官邸勤務が、今の仕事を支えています。本拠地(原点)があってこそ、さまざまな場所での活躍ができると、私は思っています。
ありがとう、N幹事長、みんな。