「仕事の仕方」カテゴリーアーカイブ

生き様-仕事の仕方

貨物列車

12月7日の朝日新聞夕刊「凄腕しごとにん」は、「大橋真一さん 育てた貨物機関車の運転士、545人」でした。

・・・全国に張り巡らせた鉄道網を使い、日本の物流を支える貨物列車。無数のコンテナを積んだ列車は最長500メートル、運ぶ貨物は10トントラックで最大65台分にもなる。
工場や市場などの荷動きにあわせて、列車の長さや重さも毎回変わる。同じ区間でも、速度調整やブレーキの具合も毎回異なる。長距離運転だが、車掌はおらず運転士1人で運行するため、トラブルが起きても1人で対処する必要がある。
そんな貨物機関車の運転士になるには、約8カ月間の特別な講習を受け、国が指定する試験に合格しなければならない・・・

へえ、500メートル、10トントラック65台分を、一人で動かすのですか。福島に通っていたときに、しばしば福島駅を通過するコンテナ列車を見ました。「長いなあ」と思っていたのですが。

職場の失敗、社長は辞任すべきか

12月9日の日経新聞夕刊コラム「十字路」は、「東証社長は辞任すべきだったか」でした。
・・・なんとも後味の悪さを残す処分だった。東京証券取引所のシステム障害と売買停止の責任を取り、宮原幸一郎社長が11月30日付で辞任した。本人が強い意志を固め、自ら辞任を申し出たという・・・それでも、果たしてトップが辞任する必要があったのかは議論の余地があろう。
海外取引所もたびたびシステム障害を起こすが、トップの辞任に発展した例は聞かない。11月にほぼ終日売買を止めた豪証券取引所は、おわびのリリースを出しただけだ。
東証は過去に大規模な障害を起こした反省から「ネバーストップ」をスローガンに掲げ、絶対に止まらないシステムの構築を目指してきた。
だが絶対に止まらないシステムなど存在しない。止まるたびにクビを差し出していては、いくらクビがあっても足りない。東証自身もいうように、障害が起きた際の「回復力(レジリエンス)」を高めることの方がより重要だ。

今回の東証のトップ辞任の根底にあるのは、常に完全無欠のシステムを求める日本社会に特有の暗黙の前提だ。それが東証の萎縮や過剰な品質を招きかねないリスクに、我々は目を配るべきだろう。
今回の売買停止に対し、内外の投資家からは不満はほとんど出ていないという。金融庁は「投資家の信頼を著しく損なった」と東証を批判したが、そもそも投資家が寄せる期待はそこまで高くなかったということだ。市場の魅力を高めるために、やるべきことは山積する。東証に萎縮している暇はない・・・

同感です。失敗や不祥事が起きると、おわびの記者会見があり、その際に「今後二度とこのようなことのないようにしてまいります」と発言があります。それを見ていて、時に「そんなの無理だよな」と思うことがあります。
原発事故は起こしてはなりませんが、自動車事故はしょっちゅう起きます。職員の不祥事も、職員数が多いと完全に防ぐことは無理です。
記者会見で社長を追求している記者さんだって、属している会社が「絶対不祥事を起こさない」とは考えていないでしょう。

復興政策を社会の中に位置づける、その2

復興政策を社会の中に位置づける」の続きです。

復興作業を、どのように位置づけるか。これは、事前に決まっているわけではなく、実行することで見えてきました。大震災は、これまでにない被害と行政です。従来にない手法を採用することで、行政の歴史の中で新しい位置を占めることができるのではないかと、考えるようになりました。

結果としては、次のようなことができたと考えています。
・「国土の復旧から暮らしの再建へ」。私は、これが一番の成果と考えています。インフラ復旧だけでは、人の暮らしや町のにぎわいはもどらないこと。産業と生業の再建、コミュニティの再建が必要なこと。政府はそれに取り組むべきこと。
・そのためには、行政だけでは実現できず、事業者やNPO、町内会の役割も重要なこと。それらの人と協働すること。
・資金だけでは事業やコミュニティの再建はできず、人とノウハウの支援が重要なこと ・復興庁という窓口で一元的に対応し、各項目は各省やNPOなどの専門組織に委ねることが効果的なこと
など、 行政運営や地域経営に、新しい知見をつくることができたと思います。参考「復興がつくった新しい行政ーまちのにぎわいの3要素

その時々の出来事や仕事を、いくつも羅列される事件の一つではなく、社会と歴史の中で意義あることとし、位置を占めるようにしたい。それを、関係者も自覚し、報道機関や国民にも理解して欲しいと考えていました。

この復興政策の成果と変化が、今後の行政の中で位置を占めることができるかどうか。いくつかの施策は、災害復旧の「標準装備」になりました。避難所の生活環境改善、グループ補助金など。ただし、一般的な災害に関しての復興政策を所管する「復興庁」はできていません。

それとともに、未曾有のことが起きたときに、迅速かつ的確に組織をつくり対応すること、新しい事態に柔軟に対応していくことです。これは、災害復旧政策ではなく、行政運営の仕方です。
最近では、未曾有の出来事として新型コロナウィルス感染拡大があります。その対応の際に、大震災対応の経験と教訓が活かされたかどうかです。

復興政策を社会の中に位置づける

東日本大震災の復興に携わって、あるときから、次のようなことを意識しました。被災者支援や復興の課題を成し遂げることが任務なのですが、もう少し広い視野から、私たちの仕事の意義を考えてみたのです。

すると、「この仕事を、社会と歴史の中で、どこに位置づけるか」だと気づきました。「一生懸命取り組みました」「これだけ公共施設が復旧しました」という努力と成果を書き記すことも重要です。しかし、それに留まらず、大震災と原発事故とそこからの復興という取り組みを、社会の中で位置づけることです。
そこには、同時代の出来事として私たちの意識の中でどこに位置づけるかと、歴史の中でどのように位置づけるかが含まれています。参考「位置づける

まず、災害についてです。大津波は、千年に一度と評されました。原発事故は、日本では初めて、世界でもチェルノブイリと並ぶ歴史に残る最大級の事故でした。そして未曾有の被害は、報道によって、国民の意識の中に位置づけられました。これが、大震災の天災と事故との位置づけです。

次に復興政策は、日本社会、日本の行政の中で、どこに位置づけるのか。政治課題としては、「東北の復興なくして日本の復興なし」と、安倍総理が位置づけました。基本法も作られました。復興庁は、他省庁より一格上に位置づけられました。特別会計もつくって、予算上も位置が与えられました。法律、組織、予算などの位置づけがはっきりしました。この項続く

平時、緊急時、変革期で異なるリーダーの役割

11月12日の日経新聞夕刊「私のリーダー論」は、数原英一郎・三菱鉛筆 会長の「平時・緊急・変革期で臨機応変」でした。
「三菱鉛筆の数原英一郎会長は1987年に社長に就任した。長年トップを続ける中でリーダーの役割は「平時」「緊急時」「変革期」で変化すると考え、状況に応じて使い分けてきたという」

――緊急時と変革期の違いは何でしょうか。
「緊急時は火事のようなもので、今何が起きているのか誰でも分かります。火が出ているのが一目瞭然ですから。社長だったとき、バブル崩壊とリーマン・ショック、そして東日本大震災と3回の危機に直面しました。特に短期間で大きな影響が出たのはリーマン・ショックでした」
「我が社でも物の動きがすっかり止まりました。日本中が慌てたし、我が社も慌てました。そうした危機の時は色々な意見があるかもしれないけど、会社がまとまることが重要だと思います。強いリーダーシップを取る必要がありますね」
「一方で変革期は世の中のパラダイムシフトが起きているけれども、その影響がすぐには分からない状況です。例えばベルリンの壁が崩れたときも、その場ではすぐにどういう影響が出るのか分かりませんでした」
「新しい市場が新興国にできるとか、そうした国が競合になるとか、そういう変化は何年もかけて試行錯誤するうちに、後から分かってくるのです」

――どのようなパラダイムシフトがありましたか。
「3回経験があります。グローバル化と円高、デフレです。バブル崩壊前まではインフレ気味だったのが、デフレに変わって文具の流通も変わりました。国内の文具店は多いときで3万店程度はありましたが、今は4分の1くらいまで減ってしまいました。そのような環境変化に対してどうするか、リーダーが考えて方向性を出すべきです」