カテゴリー別アーカイブ: 仕事の仕方

生き様-仕事の仕方

「楽」と「楽しい」は違う

5月16日の日経新聞「先輩に聞く」は、医療法人社団焰の安井佑さんの「「楽」と「楽しい」は違う」でした。そこに、次のような発言が載っています。

・・・人は、今やっている仕事が自分の人生を豊かにしてくれると思えれば、どんなにキツくても楽しくなる。「楽」と、「楽しい」は違う。1日20時間の手術も楽しかった・・・

仕事もそうですが、スポーツなどもそうですね。楽な練習では強くなれず、強くなれると思うときつい練習も楽しくなります。登山も、低い山では楽でも楽しみは小さいです。
鉄棒の逆上がりは小学校の体育の授業で必須科目ではなくなっているようですが、多くの学校で、練習して成功体験を得させるために続けているとのことです(NHK「チコちゃんに叱られる」)。なるほど。

竹内行夫さんの外交証言録

竹内行夫さんが「外交証言録 高度成長期からポスト冷戦期の外交・安全保障 国際秩序の担い手への道」(2022年、岩波書店)を出版されました。500ページ近い大著です。
かつては、官僚も回顧録を書くことがありましたが、最近では少なくなりました。残念なことです。政治主導は望ましいのですが、例えばこの本のように、この30年間の日本外交の軌跡を話し、書ける政治家はいるでしょうか。

竹内さんが活躍され、本書の対象となったのは、冷戦後期から、冷戦が終了し、その後の変動期です。日本外交も、アメリカに追随しておればよい時期から、大変動の時代を迎えました。
この間の日本外交を外から分析することも重要ですが、当事者の語る中からの記録も重要です。もちろん、一人の外交官が日本外交すべてを語ることはできませんが、携わった事案については最も詳しいのです。ただし、書けないこともあるでしょう。

「はじめに」で竹内さんも書いておられますが、回顧録は自己弁護や美化という恐れがあります。竹内さんはそれを避けるために、残してあった膨大な記録を基に、記者と学者の聞き取りに臨まれたそうです。

竹内さんは、奈良女子大附属高校の先輩です。宮沢内閣で総理秘書官を勤められ、私は宮沢内閣の村田自治大臣秘書官で、お世話になりました。その後、定期的にお話を聞く機会があり、尊敬する先輩です。

内永ゆか子さん、リーダーに必要な4要素

4月21日の日経新聞夕刊「私のリーダー論」は内永ゆか子・J-Win理事長の「部下をもっと好きになる」でした。

――部下との関わりで印象に残っていることは。
「役員になる前の40代前半、数カ月ごとに副社長補佐、担当部長などを転々としていた時期がありました。いつも100人以上の部下がいましたが、ほとんどが男性で、その分野での経験が長い人も多かった。私は『バカにされたくない』と思っていました」
「あるとき次の部署への異動が決まり、長い間課長を務めていた男性に『私へのアドバイスがあったら言ってください』とお願いしたことがあります。すると彼から『内永さん、私たちをもっと好きになってください』と言われ衝撃を受けました」

――その後、行動は変わりましたか。
「当時の私は、部下が素晴らしい発言をしても、もっと良いことを言おうとしたり、部下たちと張り合ったりすることがあった。部下を好きになるよりも、負けたくないと構えてしまっていたのです。そうすると相手にも構えられます。それからは仕事で誰かと対立することがあっても、心の中で『私はこの人が好きなの』と思うようにしています」
「そうすると不思議なことに、自然に顔がにこやかになり、相手との関係もほぐれます。この言葉は長らく私の座右の銘になりました」

そこに、リーダーに必要な4つの要素が示されています。
――内永さんが考えるリーダーに必要な素質は。
「第1にきちんとしたビジョンを持てる人。夢を語るだけでなく、実現するためのマイルストーンまで考えられることです。2つ目は自分なりの価値判断があり、適切に決定を下せるかどうか。3つ目は顧客はもちろん、社員も大事にできることです。リーダー1人でできることは限られていますから」
「そして4つ目は前向きに考えられること。頭が良くてもリーダーに向かないタイプの典型は、問題指摘優先型です。批判は上手だけど、ゼロから新しいアイデアを考えて計画することは苦手という人は適任ではありません」

――これまで出会ったなかで「真のリーダー」と感じた人はいますか。
「女性役員を集めた米国での講演会で、英国のサッチャー元首相にお会いしたことがあります。近くで話しているときは優しいおばあちゃんという印象だったのですが、一度舞台に上がり、英国の政治や産業に自分がどう取り組んできたかを話し出すと、強烈なエネルギーを感じました。『鉄の女』と呼ばれるだけあって、自分の信念を確立している方なのだと感じました」

偉い人ほど優しい

4月7日の日経新聞私の履歴書、野路國夫・元コマツ社長の「アトランタ 入社8年、念願の海外赴任」から。

・・・住んだのは、会社が借り上げた郊外の立派な屋敷だ。15畳ほどの大きなリビングルームと4つのベッドルーム、広々とした庭もあった。もちろん若輩の私がそんな豪邸を独り占めするわけはなく、日本から来る出張者を泊めて、面倒を見るお世話係の役目も兼ねていた。

多くの出張者に接するうちにあることに気がついた。アトランタには当時の河合良一社長はじめ様々な人が来たが、偉い人ほど優しいのだ。社長からはねぎらいの言葉を頂き、技術部門のトップだった本部長は妻子から預かった手紙を持参してくださった。
ところが部課長クラスにはやたらと威張る人もいて、「飲み屋に案内しろ」「もっと楽しい場所へ連れて行け」と好き勝手を言う。顔では笑って対応したが、内心では「管理職になっても、こんな振る舞いは絶対にしない」と自分への戒めにした・・・

最悪を想定しておく

3月31日の日経新聞夕刊「私のリーダー論」、EY新日本監査法人・片倉正美理事長の「変革へ少数派強みに」に、次のような話が載っています。

「私は最悪の時がどういうものかを常に考えます。そのうえで、こうなったらこうすればいい、こういう時は誰に相談しようなどと道筋を作っておく。そうすれば大丈夫だと信じられます。理事長選挙の時も『前理事長のかいらいで理事長をやろうとしているのでは』『女性で大丈夫か』など自分がへこむ質問の想定問答をいっぱい考えました。実際は出ませんでしたが、準備したから自信を持って臨めたし、皆さんから信頼してもらうことにつながったのだと思っています」