日経新聞日曜の連載「戦後70年 事件は問う」2月15日は「三菱重工爆破事件(1974年)。被害者に関心、支援の一歩。給付金から心のケアへ」でした。
新左翼によるテロで、多くの人が死傷しました。たまたま通りかかっただけの人が被害を受けたのです。従来の刑法や民法では、加害者に損害賠償を求めるのですが、加害者が見つからなかったり能力がないと、被害者は「運が悪かった」となってしまいます。被害者を救おうと、1980年に犯罪被害者に給付金を支給する法律ができました。次の転機が、1990年代です。被害者を精神的に救う施策がないことが指摘され、警察庁が取り組み始めます。そして、2005年には犯罪被害者等基本法ができました。その後も、対策は拡充されています。
加害者を罰するとか、被害を賠償させるだけでは、被害者は救われないのです。歴史的な大きな政策転換だと思います。詳しくは、原文をお読みください。
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世界のリスク、経済から軍事へ
ダボス会議を主催している「世界経済フォーラム」が、毎年、世界のリスクを評価して発表しています(Global Risks Report)。近年は経済的なリスクが上位を占めていたのですが、今年はがらっと変わって、戦争や国家統治の失敗が上位に来ています(1月31日読売新聞解説スペシャル「ダボス会議2015」)。
昨年は、1位深刻な所得格差、2位異常気象、3位構造的失業と不完全雇用、4位気候変動への対応失敗、5位大規模サイバー攻撃。今年は、1位国家間紛争、2位異常気象、3位国家統治の失敗、4位国家の崩壊・危機、5位構造的失業と不完全雇用です。
・・As the report’s 10th anniversary approaches, the evolution of the perceived top five global risks can be viewed in terms of impact and likelihood as documented in the Global Risks reports from 2007 to 2015. As Table 1.1.1 shows, economic risks largely dominated from 2007 to 2014, with the risk of an asset-price collapse heading the list in the run-up to the financial crisis, giving way to concerns about the more immediate but slow-burning consequences of constrained fiscal finances, a major systemic financial failure in the immediate post-crisis years, and income disparity. This year features a radical departure from the past decade; for the first time in the report’s history, economic risks feature only marginally in the top five. In the 25th year after the fall of the Berlin Wall, geopolitical risks are back on the agenda・・.
女子高生、スマホ中毒
2月10日の朝日新聞夕刊に、子どもたちのスマホや携帯の利用状況が載っていました。ある会社の調査です。それによると、1日の平均使用時間は、男子中学生1.9時間、女子中学生1.8時間、男子高校生が4.1時間です。しかし、女子高校生は7.0時間です。1日9時間以上が3割、15時間以上が1割います。ほぼ1日中、スマホに没頭しているということですね。中毒でしょうか。
私が親だったり、教師だと、どのように指導すればよいのか。難しいですね。便利な機器が生む、新しいリスクです。かつてこのページで、「ハイテク企業のトップは、子どもにスマホを使わせない」ことを紹介しました(2014年10月13日の記事)。
日本の保守主義、宇野先生の論考
月刊『中央公論』1月号に、宇野重規・東大教授が、「日本の保守主義、その「本流」はどこにあるか」を書いておられます。
・・現代は、「保守主義者」が溢れている時代である。それでは、そのような保守主義者たちは、いったい何を「保守」しようとしているのか。日本の歴史や文化、国家観といったものから、自然環境や国土、家族や共同体、さらには人間の生き方や組織のあり方まで、その内容は実に幅広い。
とはいえ、その中身を深く検討すれば、多くの保守主義者たちの間で、実はほとんど共有するものがないことがわかるだろう・・
として、エドマンド・バークの保守主義(イギリスが歴史の中で作り上げてきた自由を守るための反フランス革命)、明治維新期の保守主義、明治憲法下での保守主義(伊藤博文ほか)、戦後の保守主義(吉田茂ほか)、大平正芳首相の試みなどから、日本の保守主義を解説しておられます(合計14ページ)。一読をお勧めします。
日本ではいつの頃からか、新しいことはよいことで、古いことは「古めかしい」と否定的な評価を受けるようになりました。これは、畳と女房に限らず、新車も鮮魚も新築住宅もです。明治以来政治的にも、「進歩」や「改革」が価値を持ち、「保守」や「伝統」を名乗る政党や新聞社はあまり見かけません。政党や政治家さらにはマスコミが訴える政策も「大胆な改革」であり、「保守」「守旧」といった単語を見ることはありません。
政治や言論の世界で「保守」が成り立つためには、2つの要素が必要でしょう。1つは、対立する勢力・理論として「革新」があること。もう一つは、守るべき「伝統」「価値」を明らかにすることです。
戦後日本では、革新を名乗る党派が社会主義や共産革命を目指し、挫折しつつも、その旗を降ろしませんでした。他方で、軍国主義復活を訴える勢力は、敗戦を経験した国民に支持を受けることはできませんでした。そして、自民党が革新勢力に対する「保守」という位置づけにありながら、改革を進めてきました。「革命」と「改革」のシンボル争い、あるいは路線争いにおいて、保守による「改革」が国民の支持を得たのです。
現在日本において、「保守主義」の対立語は、何でしょうか。ほぼすべての政治家や政党が改革を標榜する中で、そして自民党が改革を主導する中で「保守主義」が成り立つためには、それに対立する「××主義」が必要なのです。これは、政党だけでなく、言論界・マスコミの責任でもあります。
もう一つの守るべき「伝統」も、あいまいです。論者によって異なるのでしょうが、共通理解がないようです。これは、改革側が何を破壊するのかを明確にしないので、守る側も何を保守するかが曖昧になるのでしょう。また、保守主義の位置に立つ自民党や議員が改革を主張する、しかもしばしば「聖域なき改革」を掲げていることも、混乱を招きます。
主要政党がすべて「改革」を掲げる中で差別化を試みるなら、「急進的改革」か「漸進的改革」しかないでしょう。もちろん、特定分野(利益集団)については「守り」、それ以外の分野では「改革」という、利益や社会集団による差別化があります。
国民の多くが、主義や思想より、現世利益・豊かさや便利さを重視する現代日本社会にあっては、生活の安定という「伝統」と経済発展や便利さという「改革」が、同居しています。また、お正月の初詣、お葬式といった生活慣習において、伝統様式と伝統的精神を守っています。政党やマスコミの議論を横目に、国民は日常の生活において、保守と改革を使い分けているのでしょう。
国民にとって、路線争いよりも日々の生活が重要です。これは現代日本に限ったことではないですが。経済がそこそこ良好で、社会が安定し、それなりに幸せなら、主義主張の対立は興味を呼びません。路線対立が先鋭化するのは、その社会の危機(革命時)や社会内の亀裂が大きくなった時でしょう。そう考えれば、現在の日本の政治や言論界で路線対立が盛り上がらないことは、よいことなのかもしれません(同号では、「論壇は何を論じてきたか」という鼎談も載っています)。
この問題は、このような短い記述では議論しにくいことであることを承知で、書いてみました。宇野先生の論文を読まれることをお薦めします。すみません、本屋には、もう2月号が並んでいます。