カテゴリーアーカイブ:経済

経済力の日米比推移

2021年9月26日   岡本全勝

経済成長外国比較2」から続く。これは今回初めて載せます。
アメリカを100とした場合の、日本の国内総生産(GDP)、日本の一人当たり国内総生産(一人当たりGDP)の推移です。

この図は、やや衝撃的です。1995年を頂点に、見事な山形を描いてます。
1995年以降の日本の経済は、停滞ではなく急速な低下です。横ばいではなく、急速に落ちています。アメリカとの比較では、1970年代頃に戻っています。
経済成長外国比較2」では、日本は1995年以降横ばいに近いのに対し、アメリカは成長しています。世界が成長しているときに、日本が成長しないと、相対的には落ちていきます。

国内で暮らしていると、その実感はわかりにくいです。しかし、国際的にはこうなっているのです。マクドナルドのビックマック指数で、日本は、韓国やタイに抜かれています。日本は経済一流国ではなくなり、アジアのなかでも所得の高い国ではなくなりました。

なお、この図はドルで評価しているので、円ドル相場の変動による要素もあります。ところどころ、でこぼこがあるのは、主に円ドル相場の変動によるものでしょう。
2021年8月26日の日経新聞経済教室、岡崎哲二・東京大学教授の「国民生活改善への転機に」がわかりやすかったので、経済の専門家に一部を改変して作ってもらいました。

経済成長外国比較2

2021年9月25日   岡本全勝

経済成長の軌跡2」から続く。「経済成長の軌跡」(2017年)を更新しました。
(一人当たりGDPの軌跡と諸外国比較)
次は、日本、アメリカ、フランス、韓国、中国の4か国の一人当たりGDPの軌跡です。1955年にアメリカの10分の1だったのが、1980年代後半に追いつき、そして追い抜きました。アメリカもその間に10倍になったのですが、日本は100倍になりました。
この図は、縦軸が対数目盛になっています。一つ上は2倍でなく10倍です。等間隔目盛にすると、とんでもない急カーブになります(縦に100枚つないだ状態を想像してください)。

そして1990年代後半から日本は横ばいになり、アメリカに再逆転されます。他方で、韓国や中国が、日本から約20年、40年遅れて出発し、日本と同じような軌跡を描いています。これを見ると、かつてなぜ日本が一人勝ちできたのか、そして近年そうでなくなったかが分かります。日本が一人勝ちできたのは、先進国を手本に追いかけたこととともに、後ろから追いかけてくる国がいなかったのです。
「経済成長の軌跡2」に掲げた、日本の経済成長の数字だけでは見えないものが見えてきます。

これらの図表は、昔から使っていたものです。なかなかの優れものです。日本の社会と行政を規定する経済要因を、2つの図表で示すことができます。今回も、小黒桂君の助けを借りました。
さて問題は、アメリカに追いついた後です。日本が横ばいなのに対し、アメリカは成長を続け、逆転した後に差が広がりつつあります。それについては「経済力の日米比推移」に続く。

経済成長の軌跡2

2021年9月24日   岡本全勝

経済成長の軌跡」(2017年)を更新しました。今回は、3ページに分けて載せます。

(日本の経済成長と税収)
戦後日本の社会・政治・行政を規定した要素の一つが、経済成長であり、その上がりである税収です。
次の4期に分けてあります。すなわち、「高度経済成長期」「安定成長期」「バブル崩壊後(失われた20年)」、そして「復活を遂げつつある現在」です。
1955(昭和30)年は、戦後復興が終わり、高度経済成長が始まった年。1973(昭和48)年は、第1次石油危機がおき、高度成長が終わった年。1991(平成3)年は、バブルがはじけた年です。第2期は「安定成長期」と名付けましたが、この間には石油危機による成長低下とバブル期が含まれています。2012年が区切りになるかどうか。それは、しばらく見てみないと分かりません。ひとまずの仮置きです。

高度経済成長が、いかにすごかったかがわかります。年率15%の成長は、3年で1.5倍、5年で2倍以上になるという早さです。池田総理が「所得倍増論」を唱えました。それは「10年で所得を倍にする」というものでした。名目値では、5年で倍になりました(もちろん物価上昇があったので、実質価値では違います)。
税収も同じように伸びていますが、実はこの間に毎年のように減税をしました。累進課税なので、減税をしなければ、もっと激しく伸びたと予想されます。石油ショック後も結構な成長を続けたこと。バブル後はそれが止まったことも。
そして、参考(65歳以上人口)に示したように、高度経済成長期は日本が「若く」、社会保障支出も少なくてすみました。当時ヨーロッパ各国は、すでに10%を超えていました。現在ではヨーロッパ各国を追い抜いて、世界一の高齢国になっています。人口の増加率も、もう一つの要因でしょう。2004年をピークに減少し始めました。

この表は、過去を懐かしんだり、批判をすることが目的ではありません。未来に向けて、どのようにしたら、成長を取り戻すことができるかが課題です。
経済成長外国比較2」へ続く。

はえ取り紙からマスキングテープへ

2021年9月22日   岡本全勝

懐かしい会社に会いました。カモ井です。
私の子どもの頃は、各家庭でも、魚屋さんなどの店頭でも、必ずぶら下がっていました。はえ取り紙です。紙といっても細長いテープです。筒状にまかれているのを引っ張って伸ばし、天井からぶら下げます。強力な粘着剤が塗ってあって、とまったはえが捕まるのです。粘着剤が強いので、うまく引き出さないといけません。
キンチョーの蚊取り線香と同じくらい、生活に密着した製品でした。いつの間にか、私の周囲からは消えました。

9月15日の日経新聞に「カモ井加工紙、欧州や中国にマスキングテープを輸出」で出ていました。今は、工業用や装飾用のマスキングテープを作って、輸出しているとのことです。うまく転換したのですね。

追いついた後、投資先がわからなくなった日本の資金

2021年9月15日   岡本全勝

9月10日の日経新聞経済教室「金融緩和の功罪」は、村瀬英彰・学習院大学教授の「政策に期待する機能、熟考を」でした。

・・・低インフレ、低金利、低成長。日本経済は様変わりした。変化の根底には貨幣・国債を中心とする安全資産への需要の膨張がある。それは貨幣・国債の大量発行にもかかわらず、歴史的な低インフレ、低金利をもたらしている(図参照)。また低成長の原因にもなり、金融政策に期待される機能にも変化を生み出している。

貨幣・国債といった安全資産の需要が異例の膨張をしたきっかけは、1980年代に遡る。その時期、日本は欧米諸国にキャッチアップした。だがフロントランナーになると、成長の成果として蓄えた膨大な資金をどこに投資すべきかがわからなくなった。行き場を失った資金はバブルの狂乱を生み、バブル崩壊後の不良債権処理の遅延は銀行のリスク負担能力を奪っていった。
銀行融資中心の日本の金融では、銀行こそがリスクマネーの供給者であり、資本市場のリスク負担能力は十分でなかった。日本はフロントランナーになり一層のリスクマネーを必要とするタイミングで、リスクマネーを失う最悪の事態に陥った。
実際その後、銀行は貸し出しよりも国債購入を選好するようになり、大規模な金融緩和の下でも超過準備を積み増す傾向を強めた。不良債権の処理が終わった後も、無形資産や人的資本を中核の生産要素とする情報通信技術(ICT)企業などの資金需要に十分な対応ができない状況が続いている。

一方、銀行というリスクマネー供給者を失った企業は投資主体から貯蓄主体に転化し、金融危機が起きるたびに現預金を蓄える傾向を強めた。さらにリスクマネーが消失すると、企業活動のリスクは他の誰かに押し付けられるようになる。非正規雇用の増加など労働者がバッファー(緩衝)として使われるようになり、家計も将来不安の増大から安全資産需要を高めた。
日本の金融機関や企業、家計を覆う全面的な安全志向は、フロントランナーとして不確実性の高い技術革新や資本蓄積、つまりリスク資産への投資が求められる状況で重い足かせとなった。日本が他の先進国の停滞にも増して、より長く深く先の見えない停滞に陥った大きな理由といえる・・・

詳しくは原文を読んでいただくとして。連載「公共を創る」でも、欧米へ追いつくことを国是とした日本が、それを達成した後、長い混迷の時期に入っていることを説明しています。この村瀬先生の説明は、資金の運用から見た、追いつき達成後の日本経済の低迷が明快にわかります。そして、バブルの原因も。