追いついた後、投資先がわからなくなった日本の資金

9月10日の日経新聞経済教室「金融緩和の功罪」は、村瀬英彰・学習院大学教授の「政策に期待する機能、熟考を」でした。

・・・低インフレ、低金利、低成長。日本経済は様変わりした。変化の根底には貨幣・国債を中心とする安全資産への需要の膨張がある。それは貨幣・国債の大量発行にもかかわらず、歴史的な低インフレ、低金利をもたらしている(図参照)。また低成長の原因にもなり、金融政策に期待される機能にも変化を生み出している。

貨幣・国債といった安全資産の需要が異例の膨張をしたきっかけは、1980年代に遡る。その時期、日本は欧米諸国にキャッチアップした。だがフロントランナーになると、成長の成果として蓄えた膨大な資金をどこに投資すべきかがわからなくなった。行き場を失った資金はバブルの狂乱を生み、バブル崩壊後の不良債権処理の遅延は銀行のリスク負担能力を奪っていった。
銀行融資中心の日本の金融では、銀行こそがリスクマネーの供給者であり、資本市場のリスク負担能力は十分でなかった。日本はフロントランナーになり一層のリスクマネーを必要とするタイミングで、リスクマネーを失う最悪の事態に陥った。
実際その後、銀行は貸し出しよりも国債購入を選好するようになり、大規模な金融緩和の下でも超過準備を積み増す傾向を強めた。不良債権の処理が終わった後も、無形資産や人的資本を中核の生産要素とする情報通信技術(ICT)企業などの資金需要に十分な対応ができない状況が続いている。

一方、銀行というリスクマネー供給者を失った企業は投資主体から貯蓄主体に転化し、金融危機が起きるたびに現預金を蓄える傾向を強めた。さらにリスクマネーが消失すると、企業活動のリスクは他の誰かに押し付けられるようになる。非正規雇用の増加など労働者がバッファー(緩衝)として使われるようになり、家計も将来不安の増大から安全資産需要を高めた。
日本の金融機関や企業、家計を覆う全面的な安全志向は、フロントランナーとして不確実性の高い技術革新や資本蓄積、つまりリスク資産への投資が求められる状況で重い足かせとなった。日本が他の先進国の停滞にも増して、より長く深く先の見えない停滞に陥った大きな理由といえる・・・

詳しくは原文を読んでいただくとして。連載「公共を創る」でも、欧米へ追いつくことを国是とした日本が、それを達成した後、長い混迷の時期に入っていることを説明しています。この村瀬先生の説明は、資金の運用から見た、追いつき達成後の日本経済の低迷が明快にわかります。そして、バブルの原因も。