10月8日朝日新聞1面「問う2017衆院選」、大月規義・編集委員の「原発事故6年 直視されぬ教訓」から。
・・・政権は復興にあたる上で、福島を「沖縄にしない」「チェルノブイリにしない」という意図で進めた。米軍基地問題のような地元との対立は避ける。旧ソ連の事故処理のように原発を「石棺」にしない。福島原発の周辺にはいずれ人が住めると説き伏せた。除染や復興の予算、賠償金の上積みは惜しまなかった・・・
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行政-災害復興
復興が進む原発被災地
原発被災地では、順次、避難指示が解除され、生活が戻りつつあります。
10月2日のNHKニュースが、南相馬市小高区での、稲作の再開を伝えていました。「避難指示解除で7年ぶりの稲刈り」。この取り組みは、このページでこの春に紹介した、舞台ファームが取り組んでいるものです。
今年は夏の日照不足があり心配していましたが、作柄は平年並みとのことです。
また、避難指示が解除できない帰還困難区域でも、地域を限って復興の拠点を作る計画です。9月30日には、大熊町で起工式が行われました。
子どもの放射線被ばくの影響、科学界の結論
9月21日の毎日新聞に、坂村健・東洋大学学部長が、日本学術会議の報告書「子どもの放射線被ばくの影響と今後の課題」について書いておられます。「被ばく影響 科学界の結論」。本文を読んでいただくとして、ここでは一部を紹介します。
・・・報告書が対象としている東京電力福島第1原発事故については、既に多くの論文や調査結果などが蓄積されている。国連科学委員会の報告でも、放射能由来の公衆の健康リスクについて「今後もがんが自然発生率と識別可能なレベルで増加することは考えられない」と結論が出ている。
学術会議の報告でも、被ばく量はチェルノブイリ原発事故よりはるかに小さいという評価が改めて示されているが、特に不安の多い子どもへの影響に焦点を絞っている点が重要だ。「福島第1原発事故による胎児への影響はない」としており「上記のような実証的結果を得て、科学的には決着がついたと認識されている」とまで書いている。
報告書を読むと、不安論者のよりどころとなる内部被ばくから、福島での甲状腺がん検査の評価まで、考えられそうなポイントはすべて丁寧に押さえている・・・
・・・その意味で、この報告書はいわば、事故後6年たっての科学界からの「結論」。これを覆すつもりなら、同量のデータと検討の努力を積み重ねた反論が必要だ。一部の専門家といわれる人に、いまだに「フクシマ」などという差別的な表記とともに、単に感覚にすぎない「理論」で不安をあおる人がいるが、そういう説はもはや単なる「デマ」として切って捨てるべき段階に来ている。
マスコミにも課題がある。不安をあおる言説を、両論併記の片方に置くような論評がいまだにあるが、データの足りなかった初期段階ならいざ知らず、今それをするのは、健康問題を語るときに「呪術」と「医術」を両論併記するようなもの、と思ったほうがいい・・・
東日本大震災は2012年?
先日「これも風化?」(9月12日)、「さすが山川出版社」(9月15日)を書きました。今日9月22日の朝日新聞で、「東日本大震災は2012年? 山川出版ヒット書籍で誤り」という記事が載っていました。
・・・同社は「被災した方々のことを考えると、あってはならない間違い」(曽雌(そし)健二編集長)として対応を急いでいる・・・
・・・原稿は曽雌氏ら2人で2回校閲したが、誤りに気付かなかった・・・
まあ、「人間は間違う動物である」と言えば、それまでですが。役所がこのような間違いをしたら、マスコミはどう書くでしょうかね。
原発事故被災地、復興拠点整備へ
原発事故で避難指示が出された地域のうち、帰還困難区域以外は、この春にほとんど避難指示が解除されました。多くの町では町の中心部を含め、かなりの面積が居住可能になりました。これらの地域では、順次住民の帰還が進んでいます。
しかし、いくつかの町村では帰還困難区域が残り、特に双葉町と大熊町では、まだ全町で避難指示が出ています。
この2町に、帰還に向けて復興の拠点を作ることが、次の課題でした。町全体をあるいは広い面積を解除するのは、放射線量が高く困難です。そこで、線量の低い地域で住民が戻るであろう地域から、除染と復興を進めようという考えです。
まず、双葉町について計画が認定されました。大熊町でも、検討が進んでいます。また、浪江町などこのほかの町村も、かなりの面積が解除されたのですが、まだ帰還困難区域が残っています。これらについても、検討を進めています。
この帰還困難区域は、事故直後には、将来帰還が難しいと判断し、全損賠償(全財産を買い上げると同額の賠償金)を支払い、故郷損失賠償(ふるさとを失う精神的賠償)も行った地域です。6年の時間の経過で、一部とはいえ帰還に向けて作業が始まるとは、当時は考えもできませんでした。