10月11日の読売新聞「大震災再生の歩み」が、「支援の輪、生まれ変わる商品」を大きく解説していました。
被災地企業は、施設設備が復旧しても、売り上げが戻らない場合もあります。その対策として、復興庁などが、商品開発や販路開拓の支援をしています。復興庁は商品開発の専門家ではないので、その道の専門家や支援をしてくださる企業と、被災企業とを結びつけるのが役割です。「結いの場」や「ハンズオン支援」といった取り組みをしています。
記事では、ハンズオン支援で、高級割り箸を作っていた企業が、その杉材を使った枕を開発し成功した例を取り上げていました。復興庁で担当したのは、岩見哲夫君です。彼は、NTT東日本から復興庁に来てくれていました。民間企業支援は、公務員(一筋)より、企業の人の方が知識や人脈は豊富です。記事では、サバを使ったハンバーグなども取り上げられています。
これらの支援事業も、どのような成果が出ているかを取りまとめています。ご覧ください。「平成28年度の例」
「災害復興」カテゴリーアーカイブ
行政-災害復興
続、宮城県沿岸部視察
先日行ってきた、被災地の復興状況視察の報告、続きです。
宮城県南三陸町歌津地区では、「南三陸ハマーレ歌津」商店街でも、話を聞いてきました。これは、近くにあった仮設商店街の、「伊里前福幸商店街」を本設に移転したものです。国道沿いで道の駅の機能とともに、地域住民のための商店です。歌津地区も町の中心部がすべて流されました。住宅は近くの高台に移転しています。これらの商店はなくてはならないもので、お客さんも多いとのことです。こちらの絵(下の方、上は志津川さんさん商店街)が、わかりやすいです。
次は、住民の活動について。
雄勝にある「雄勝ローズファクトリーガーデン」を訪ねました。雄勝地区を通ると必ず目に入るバラ園です。被災した住民が立ち上げました。多くの支援者にも支えられています。オリーブ栽培の北限に挑戦しています。文字で説明するより、ホームページをご覧ください。
東松島市あおい地区にもお邪魔して、久しぶりに小野会長さんにもお会いしました(前回の記事2016年2月7日)。町内会を立ち上げるために、1年間に120回会合を持った、あの地区です。その後も、活発な活動を続けておられます。町づくりが、住宅建設ではなく、住民のつながり作りであることが、よくわかります。
ところで、現在は、コミュニティ再建の補助金が活動の一部を支えています。しかし、このような財政支援は、今後も必要でしょう。公民館や集会所を作っただけでは、コミュニティ活動はできません。住民の参加と中心になる人が必要です。事務局も必要です。市役所が「直営する」と、公民館に職員を置くことになります。しかし、それで自治会活動ができるわけではありません。それを考えると、自治会への財政支援は、大きな経費がかからず、効果は大きいです。
町づくりの記録も、出版されたようです。
大震災、産業復興状況
東北経済産業局が、グループ補助金交付先へのアンケート調査結果(第7回)を公表しました。この補助金は、大震災で被災した中小企業が、施設設備を復旧する際の補助金です。交付先がどうなっているか、毎年調査をしています。これは重要です。補助金を交付したら終わり(役所仕事にはしばしばあるのですが)ではなく、それがどのような成果を生んでいるか、また課題は何かが分かるのです。
うち、東北4県を見てください。交付先9,315者のうち5,912者から回答がありました。卸小売・サービス業、製造業、建設業、水産・食品加工業、運送業、旅館・ホテル業と、業種は多岐にわたっています。
売上が震災前の水準以上まで回復したと回答した企業の割合は、45%。業種別では、建設業75%、運送業57%、製造業48%です。低いのは、水産・食品加工業29% 、卸小売・サービス業34%、旅館・ホテル業35%です。
売上が回復した主な要因は、「復興特需、その他要因による新規顧客の確保」、「新商品・新サービス開発等」。主な経営課題は、「人材の確保・育成」、「販路の確保・開拓」です。
この傾向は、前年と大きくは変わっていません。この補助金は、大震災の際に初めて作ったもので、大きな効果がありました。しかし、補助金で施設設備は復旧できるのですが、売り上げを戻すのは難しい点もあります。
宮城県沿岸部視察、産業復興
10,11日に行ってきた被災地視察の報告です。まずは、産業復興から。
南三陸町のさんさん商店街は、今年春に仮設から本設に移転しました。施設の設計は、隈研吾さんがしてくださいました。三陸自動車道が近くまで開通したので、仙台市から1時間半で着きます。予想以上に観光客で連日賑わっています。海鮮丼がよく売れるそうです。
石巻市雄勝町では、末永九兵衛商店を訪ねました。雄勝町は奥深い入り江を囲んだ、漁業の町です。入り江が良い養殖場だったのです。津波はその地形で増幅され、壊滅的な被害を与えました。
末永商店は、銀ザケとホタテの養殖をしていましたが、津波で流されました。補助金を受けて再開し、さらに売れる商品に加工しています。「海から46秒のうまさ」が売りです。目の前に、養殖のいけすが浮かんでいるのですから。安い回転寿司店ではなく、より高い店に卸しているとのことです。ホームページを見ると、格好良い当主が、自信を持って提供しています。このような事業主が増えると良いのですね。
11日の朝は、女川魚市場に、7時からの競りを見に行きました。ここは、完全衛生設備になっていて、ガラスを隔てて視察できるようになっています。私たちの後にも、島根県の高校生が来るとのことでした。
今年はサンマが捕れず、捕れてもやせているようです。今のところ、昨年の3分の1だとか。私の行った朝は、大型船が2隻入って、けっこうな水揚げがありました。この調子が続いてくれることを望みます。
女川駅前の商店街も、どんどんと店が建っています。余裕を持った配置、建物の意匠(外観や色)を統一しているので、きれいです。駅横に移転してきた、トレーラーハウスのホテルに、今回も泊まりました。
石巻市の中心部は、人口減少と郊外に大型店ができて、さみしくなっていました。そこに、「いしのまき元気いちば」ができました。川に面した、景色の良い場所です。それを見ながら、飲食ができます。
これまで、地元の名産品を売る施設がなかったとのこと。もったいないですよね。サンマにしろ、お酒にしろ。町の中心部のにぎわい復活につながることを期待します。
それぞれ、ホームページにリンクを張りましたので、ご覧ください。
ここで紹介した事例は、それぞれやる気のある事業主や、まとめる世話役がおられます。行政は、財政的支援や情報をつなぐ支援はできますが、担い手がいないとどうにもなりません。地域振興、地域のにぎわいは、なんと言っても産業=働く場があることです。
ところで、これら本設商店街や工場になるまでは仮設の商店と工場で、事業を続けてもらいました。仮設の建物は、中小企業基盤整備機構が整備してくれました。無償で、市町村を通じて事業者に貸しています。これは、大震災でのヒット施策でした。これがなければ、多くの事業者は廃業したでしょう。機構の調べによると、644か所(1,270棟)で作った内、135か所が終了(撤去)し、509か所が残っています。
その調査(資料の8ページ、4退去事業者の動向)によると、退去した事業者の内、約6割が本設に移行しています。この数字が、事業を本格的に再開できた割合とみて良いでしょう。ほかの仮設に移った事業者もいますが、廃業した者もいます。
復興状況視察、宮城県
10月10日、11日と、宮城県沿岸部に、復興状況視察に行ってきました。気仙沼市、南三陸町、女川町、石巻市、東松島市、仙台市、名取市です。昨年も秋に、宮城県と岩手県の被災地に復興状況を見に行きました。「1年に1度は来ます」と首長さんたちに約束しているので、今年もまず宮城県を訪ねました。
復興は急速に進んでいます。石巻市では、40か所を超える場所で、高台移転など宅地造成を計画していましたが、すべて完成しました。40か所と言えば簡単ですが、それはそれは大変な作業だったのです。当初は、か所数の多さに、「本当にできるのだろうか」と市の幹部と話していたことを、思い出しました。
ほかの市町村でも、高台移転の宅地造成と公営住宅の建設が終わりつつあります。まずは、住宅を優先したのです。
場所と規模を決め計画を作ります。あわせて住民の合意を取り付け、設計し、山を切り開いたり、土盛りをしたり。それから基礎工事です。ここまで来れば、後は早いのです。それで、この1年間に、次々と完成しているのです。
南三陸町と女川町では、町の中心部に土を盛って、かさ上げをしました。この工事も、ほとんどできています。かつて、高台にあった病院が、すぐそこの高さにあります。そこまで、周囲の土地がかさ上げされたと言うことです。初めて行った人は、その土地が元からの高さだと間違うでしょうね。
コンパクトできれいな町並みができています。仮設の商店も本設に移行し、予想以上にお客さんが来ているとのことです。町のにぎわいが戻りつつあります。もっとも、人口減少は続いていて、決して楽ではありません。
住宅やインフラ復旧が進むと、次の課題は産業となりわいの再開、コミュニティ再建です。そこで今回は、各地で民間の方にお話を聞いてきました。旧知の首長さんたちや新しく就任された首長さんとも、話をしてきました。仙台では、郡和子市長に。市長は、初期の頃に復興政務官などを勤めてくださいました。
現場は、行くとかならず勉強になります。それについては、改めて書きます。
今回も、宮城復興局の諸君が、現在の課題に沿った視察先を入れてくれました。そして、いつものようにびっしりと盛りだくさんに。ありがとう、皆さんも疲れたでしょう。