カテゴリー別アーカイブ: 災害復興

行政-災害復興

原発被災地復興、故浪江町長

月曜火曜と、原発事故被災市町村を回ってきました。市町村によって進度は違いますが、それぞれ着実に復興が進んでいます。大熊町と双葉町でも、復興拠点の作業が進んでいます。しかし、進むと、また次の課題が出てきます。それを聞いてきました。課題御用聞きが、私の仕事なのです。

昨晩は、富岡駅前の富岡ホテルに泊まりました。避難指示が解除され、富岡駅も復旧して、その前にできたホテルです。きれいで快適なホテルでした。風呂場に、湯船のほか、洗い場がついているのは良いですねえ。多くのビジネスホテルは、西欧式に洗い場がないのです。
夕べは満室だったようです。朝食は5時半から提供されます。復興事業に従事している作業員たちが、泊まっているのでしょう。多くの人が、早朝から出て行かれました。

あわせて今日は、故・馬場有・浪江町長のご葬儀にも、参列しました。町長は体調を崩され、町長職の辞表を出しておられました。発災以来、先頭に立って住民支援に当たっておられました。昨年、町の一部区域で避難指示が解除され、喜んでいただけました。本格的復興に向けて、まだまだご活躍いただきたかったのですが。

引退や死亡などで、発災当時の市町村長で続けておられるのは、12人のうち3人になりました。7年という時間を感じます。

相馬LNG基地

福島県相馬港(新地町)に、石油資源開発株式会社が建設を進めていた、液化天然ガス(LNG)供給基地が完成しました。今日は、その竣工式に行ってきました。
外国から専用船(LNGを冷却して液体で運んできます)を運んできた液化天然ガスを受け入れ、ガスにして国内に供給します。パイプラインやタンクローリー車に積んでです。パイプラインは仙台や新潟まで通じています。敷地の隣では、それを原料にした発電所も建設中です。
福島県浜通は、原発なきあと、どのように産業を振興するか。大きな課題です。この施設も、その一つです。
奇しき縁で、会社の社長は、岡田秀一さんです。20年前に、省庁改革本部で参事官として、一緒に苦労しました。

今日は、仙台駅から、高速道路を南下して、新地町に入りました。発災直後は、高速道路の海側は、津波によるがれきがいっぱいでした。田んぼ1枚に自動車が1台と言っていいくらいに、転がっていました。
復興が進み、今通ると、もう災害を思わせるものは何もありません。新地町も、駅が流されるなど、大きな被害に遭いました。新地駅は、陸側に移転しました。
新地町長のほか、宮城県岩沼市長や山元町長も来ておられ、そのような話をしてきました。

今日の浜通も、気温16度。先週の寒さに懲りて、今日は下着をそれなりのものにしていきました。おかげで、大丈夫でした。

マチリク、町ぐるみで採用する

地方の中小企業は、職員の新規採用が難しいです。都会に出た学生たちは、戻って来ません。学生にしても、中小企業だと不安です。先輩はいない、同期もいない。そして、せっかく勤めても、3年以内に多くの職員が辞めてしまいます。それを解決する試みがされています。

かつて、このホームページでも紹介しました。「マチリク」です。
単に、求人と求職を紹介するのではなく、定着してもらうために、新採職員と会社の双方を支援します。
マチリクのホームページが新しくなり、私の推薦文も載りました。ご覧ください。

これまで、宮城県気仙沼市で実績を上げてきました。しかし、全国各地で期待される事業です。
なぜ、今まで、このようなことに気がつかなかったのでしょうね。ハローワークは、職業紹介をすれば済みと思っていたのでしょうか。地域の商工会議所や市町村役場も、他人ごとだったのでしょうね。やってくれているリクルートに、感謝です。

福島で植樹祭

昨日今日と、福島県で行われた植樹祭に行ってきました。被災地での植樹祭です。式の冒頭に、亡くなられた方々への黙祷をしました。

両陛下は、発災以来、何度も被災地を訪問してくださっています。被災者をねぎらい、元気づけてくださっています。7年経った被災地の現況を、見て頂くことができました。復興はまだ道半ばですが、徐々に避難指示が解除され、住民が戻りつつあります。
来年の退位が予定されている天皇陛下には、たぶんこれが天皇として最後の、被災地訪問になるでしょう。関係者のみんなが、感慨に浸っていると思います。
参考「陛下の被災地お見舞い

朝から断続的に降っていた雨も、陛下がご臨席になる頃には止み、式の間は降りませんでした。ただし、気温は16度と、とても寒かったです。昨日は30度だったので、よけいに寒く感じました。演技をする高校生たち、フラガールは、風邪を引かなかったかな。