「政治の役割」カテゴリーアーカイブ

行政-政治の役割

コメ市場開放と農業強化

23日の朝日新聞「変転経済」は、辻陽明記者による「コメ市場開放」でした。
・・世界の貿易ルールづくりをめざす多角的貿易交渉「ウルグアイ・ラウンド」(1986~94年)で、日本はコメ開国を迫られた。このとき部分開放で逃げ切った日本は、農業の体質強化を怠ってきた・・
コメは聖域として、「一粒たりとも入れるな」がスローガンでした。1993年、細川内閣(非自民連立内閣)が、コメの部分輸入自由化を受け入れました。外圧によってです。最低輸入量を、国内消費の8%に増やすという内容です。農業団体が、当時の社会党本部にデモをかけてきたのを、覚えています。当時私は、自治大臣(社会党)の秘書官でした。党本部の職員が、「今まで、さんざん自民党を応援しておいて、こんな時だけ社会党に来てもねえ・・」とぼやいていました。
その後、最低輸入量制度はやめ、700%という高関税に切り替えました。また、農業を強くするために、「ウルグアイ・ラウンド対策予算」が組まれました。総額6兆円という、巨額なものです。記事の中にも出てくるように、多くは農業土木に投入されました。しかし、日本の農業が強くなったとは聞きません。このような予算・事業こそ、成果を評価する必要があります。
ある記者によれば、日本の農政問題は次のようなものです。
日本の農政は、兼業農家を保護したが、農業は強化しなかった。日本の農業問題は、コメでも作物でもなく、農地である。農地は宝くじであると、農家は思っている。つまり、一度目は農地解放で、小作地がただ同然で手に入った。二度目は公共事業や宅地化で、当たると高く売れた。これからも、このような宝くじに当たらないか待っている。だから手放さないし、貸しもしない。兼業農家にとって、農地は生産の資本でなく、売るための資産である。農地解放の記憶があるから、貸すと今度は逆に取られると思っている。
農家の半数以上が、65歳以上である。新たに農業に取り組む青年は少ない。そこで、あと10年もすれば、農業問題は「なくなる」。冷たい言い方だが、こうなる。毎年の新規農業従事者数より、農水省・自治体の農業部門・農協の新規採用職員の数の方が多い。この人たちは大変だが。
なるほどねえ。と、納得していては、だめなんですが。食料・農業・農村白書で調べたら、新規学卒就農者は2,500人で、39歳以下の新規就農青年は1万2千人でした。2,500人ということは、47県で割ると、1県当たり50人ほどですね。1,800市町村だと、1町に1人ちょっとです。農業高校や農業大学・農学部の卒業生って、農業には就かないのですね。保護される・保護が必要ということは、魅力がないということなのでしょう。何か途を間違ったようです。

論文紹介

「日本政治研究」第2巻第2号(2005年7月、木鐸社)に、木寺元君の「地方制度改革と専門家の参加」が載りました。近年の大きな地方制度改革(市町村合併と地方財政改革)がなぜ進んだか、その際に専門家の参加が重要だったことを分析した論文です。
政治家や自治官僚にとって利益にならない改革が進んだ要素として、「アイデアの力」と、それが専門家を通じて実現したということです。専門家の参加として、地方分権推進委員会と経済財政諮問会議を挙げています(地方分権推進改革会議は別)。
一時進まなかった市町村合併が、近年動き出した要因(アイデア)として、次のようなことを指摘しています。すなわち、シャウプ勧告の「市町村優先の原則」が、その後、国・県・市町村の「機能分担論」に置き替えられ、市町村が決められた事務の実施に「閉じこめられたこと」。それが、「補完性の原理」によって、市町村優先主義・市町村を総合行政主体とする方向に転換したこと。この分析は興味深いです。
地方財政改革(主に地方交付税改革)については、経済財政諮問会議の民間委員の役割が指摘されています。これら専門家の参加は、従来の審議会への参加を越えた働きをしているというのが、論文の主旨です。またそれは、これらの政策が不人気な政策であって、政治家はできるだけ決定を行わない「避難回避の政治」だからという指摘もあります。なるほどと思う指摘です。地方制度改革だけでなく、そのほかの政策についてもこの観点から、なぜ進まないか・進んでいるかを分析してほしいです。
「日本には地方自治に関心を持つ関係者が多数いて、その関係は政策共同体と呼ぶにふさわしい。この問題に関する数多くの月刊誌や書物がこの共同体の存在を物語っている」ことも紹介しています。そうなんです。行革や公務員改革などを議論するときに、このような政策共同体や媒体がないんです。
私の論文も、多く引用していただきました。木寺君は、私が東大大学院に教えに行っていた時の、塾頭の一人です。お礼を含めて、紹介しておきます(2005年9月11日)

13日の読売新聞は、見開きで日本地図を載せ、各県別の郵便局密度と今回の投票結果を分析していました。面積当たり郵便局の多い都市部の県では、自民党が得票を伸ばし民主党は減らしました。一方密度の低い地方部では、自民党も民主党も得票率を減らしています。
面積密度で比べるのが良いのか、人口当たり密度で比べるのが良いのか。また、無所属の候補者(郵政反対派)をどう数えるのか、といった問題はありますが、良い企画だと思います。引き続き、今回の選挙結果の分析を期待しましょう。単に、有識者の座談会で終わらせずに。(9月14日)

日本経済団体連合会は、9月20日に「平成18年度税制改正に関する提言」を発表しました。今回も、第一に税財政の抜本改革を主張する中で、2007年度を目途に消費税を10%に引き上げ、その後も段階的に引き上げることを提言しています。何度か書きましたが、日本で最大の納税者集団(?)が増税を訴え、政府はまだだと言う、不思議な構図です。

日本の政治

日経新聞が25日まで、国際面で「ブッシュ政権2期目、権力のツボ」を、各省ごと4回に分けて連載していました。それぞれの長官やスタッフが、どのような主張を持ち、どのような政策を展開しそうかを解説していました。
日本では、このような記事が書かれませんよね。せいぜい、経済財政諮問会議と日銀政策委員くらいでしょうか。これは、次のようなことを示しているのでしょう。
①大臣ほか政治家が、政策を明確にしないこと。
②各省の高級官僚も、政策を主張しないこと。
これまでの日本は、これでも済んだということでしょう。
日本に帰ってきたら、日本の各省についてもこのような記事を書いてくださいね、小竹洋之記者。(6月25日)
(利益団体・政党・改革)
23日の日本経済新聞「衆院選、政策責任者に聞く」で、与謝野馨自民党政調会長は次のように述べています。
「民営化の意義はどこにありますか」と問われて。「改革への意志、思想、哲学が問われる。改革で党が自己犠牲を払う覚悟も問われている。自己犠牲とは今までの支持母体を失い、支持母体に支えられてきた国会議員も失う、ということだ」

責任ある政治

ドイツでは、9月にも総選挙が予想されています。それに向けて、キリスト教民主・社会同盟が、政策綱領(マニフェスト)を発表しました(13日づけ読売新聞ほか)。この党は、保守系最大野党です。記事によると、「所得税や雇用者負担を軽減するため、付加価値税(消費税)を来年1月から2ポイント引き上げて、18%にすると明言」しているそうです。「消費税増税という不人気策をあえて掲げることで・・」との解説もあります。
日本では、いつになったら、時期と税率を明確にして、増税を訴える政党や政治家が出てくるでしょうか。「この半世紀の間、わが国では、国民に本格的な税の追加負担をお願いしたことがありません」(拙著「新地方自治入門」p299)という国です、日本は。増税しなくてすんだ幸せが、えらい負の遺産になっています。
私は、講演会の度に、増税の必要性を訴えています。もちろんその前に、歳出カットも。私の話を聞いた人たちは、それなりに理解をしてくださいます。でも、会場の質疑や別室での質疑では、「冗談じゃない。増税は悪だ」と言う人が多いです。
私も、増税はしたくありません。でも、歳出カットでは、赤字国債はなくならないのです。政治家も財務省も面と向かって増税を言わないときに、一人それを主張するのは「バカなこと」なのでしょうか。5年後、10年後の評価を待ちましょう。

政治と行政または政治主導

昨日付けの総務省の幹部人事異動について、大きく報道がなされています。総理が各省の官僚人事に「介入」したのは異例ではないか、という観点からです。私は詳細は知りませんので、発言できませんが、リクエストに応じて制度については、解説しておきましょう。
(幹部公務員の任免権)
各省の職員の人事権(採用・昇進等)は、各大臣にあります(国家公務員法第55条)。ただし、局長以上などの幹部職員の任免にあっては、閣議での承認(閣議決定による内閣承認)が必要です。これは、平成12年12月19日の閣議決定に根拠があります。これも、中央省庁改革の一環です。事前に、内閣の人事検討会議(官房長官主宰)に諮られます。
次に、事実についてです。今回の異動について、総理の意向が働いたことについては、総理自身が「麻生総務大臣と相談して決めた」とおっしゃっています(18日付け読売新聞、NHKニュースなど)。
(公務員の降格)
「降格だ」との報道がありますが、これは降格ではありません。総務審議官にあっては、職名も総務審議官のままで担当する所管が変わりました。局長にあっては、政策統括官へこれまた所管替えです。
ちなみに、指定職(省庁幹部、企業では取締役クラスと思ってください。課長以下と給料表が違います。勤勉手当がありません) には、大きく分けて4つのクラスがあります。次官級(各省の次官と、省名がついた審議官例えば総務省の総務審議官・外務省の外務審議官など)、外局の長官(消防庁長官など)、局長級(局長のほか、政策統括官)、審議官級(官房審議官、部長)です。
なお、今回の事例は該当しませんが、国家公務員は、決められた事由以外では、本人の意に反して降任や免職をされることはありません(国家公務員法第75条)。降任されるのは、勤務実績がよくない場合や、適格性を欠く場合、病気や職がなくなった場合です(同法第78条)。その場合は、処分の事由を記載した説明書を交付しなければなりません(同法第89条)。地方公務員法にも、同様の規定があります。
(政と官)
今回の人事は、「政と官」を考えるテーマとなりました。朝日新聞の18日の社説は、その点から取り上げています。
「これまでも幹部が追われる例があったが、不祥事が引き金だったり、政権交代にからむ政争だったりした。政策論の違いから起きた今度の人事とは、大きな違いがある。」
「政策を決めるのは、国民から選挙で選ばれた政治家であり、支持を失えば落選という形で責任を取らされる。官僚には、そんなけじめのつけようがない。」
「中立的で公正な専門家として、官僚は選択肢を示す。決断は政治家に委ね、無理な根回しは慎む。それが原則だろう。」
内閣と行政の関係については、拙著「新地方自治入門-行政の現在と未来」p276の図をご覧下さい。