カテゴリー別アーカイブ: 政治の役割

行政-政治の役割

政治ができること

(開発の終了)
23日の朝日新聞で、「全国総合開発計画廃止へ。開発行政の終幕」が解説されていました。
「新地方自治入門」でも述べましたが、戦後日本の国是は「豊かになること」でした。その方法が「成長と開発」だったのです。「豊かさ」とは、経済的なものに偏重していました。人的な「貧しさ」には成長を、面的な「遅れ」には開発を、だったのです。後者のスローガンが、「地域格差の是正」「均衡ある国土の発展」でした。
(国による号令)
全総に代わる、新しい国土計画は見えていません。国の号令の下、全国で何かを作るという手法そのものが、時代遅れなのでしょう。
(政治にできること)
日本の問題は、開発に失敗したことではありません。これに大成功したことで、他の「豊かさ」を切り捨てたことと、その転換に遅れていることです。
開発を重視したことで、道路や文化会館は立派になりましたが、街並みは見にくくなりました。道路やハコモノは、お金があれば作ることができます。しかし、街並みは、政治の力では作ることは難しいです。私が関係資本や文化資本として指摘した、人間関係や共同体意識も、行政では作りにくいものです。政治や行政の「無力さ」を感じます。
もっとも、「霞が関・永田町」では、みなさんそんなことには無関心で、「カネとモノの政治」に浸かっておられるようです。

日本の戦後政治

「三位一体改革が政治改革である」という主張に合わせて、参考になる本を紹介しておきます。去年6月に出た、山口二郎著「戦後政治の崩壊」(岩波新書)です。ここでは、戦後日本政治の仕組みと特徴を、4つの構成要素から説明しています。4つとは次のようなものです。
1 外交安全保障=9条と安保・自衛隊の共存
2 政党=自民党長期支配
3 政策=経済成長と開発主義
4 政策決定システム=官僚主導の政治
そして、それらが成功したこと、しかし新しい時代への適応と転換に失敗していることを論じています。
私は、「新地方自治入門」で、地方行政を通して、戦後日本の政治と行政が成功し、またそれが転換を妨げていることを論じました。山口先生の本は、私の主張を政治の構成要素から分析したもので、共感するところが多いです(もっとも、すべてに同意するわけではありませんが)。
私は、日本の政治について、第10章で論じました。そこでは、国民への負担を問わなかったことと、国際貢献をしなかったことを指摘し、争点設定と決断をしなくてよかったと述べました。「政治をしなくてよかった戦後日本」という表現でです。これが、先生の指摘する4要素が成り立ち得た条件であり、結果です。

私たちの選択

12日の朝日新聞夕刊文化欄で、大澤真幸京大助教授が「参院選の結果を読む」を書いておられました。見出しは、「われわれは何も選んでいない 『枠組み』変える担い手の不在」です。
そこでは、今回の争点は「イラクでの多国籍軍への参加」と「年金問題」ではなかったか・・。と始まっています。詳しくは本文を読んでいただくとして、ここで紹介したいのは、その後半部分です。
「・・・そのために必要なのは、決定的な構想力(想像力)と結果責任への覚悟である。だがそれらを担う者はどこにもいなかった」
私の批判する「戦後日本に政治はなかった」(「新地方自治入門」p265~)に、相通じる指摘だと思います。

国際貢献:政治のあり方

平成15年12月9日に、小泉総理が、イラク復興人道支援活動のため、自衛隊と文民を派遣することを決断されました。私は、歴史に残る政治決断だと思います。
第10章で、政治のあり方を議論しました。そして、日本は、この50年間「政治をしなくても済んだ」(p307)と述べました。その際に代表例として出したのが、国際社会での貢献と、国内では税負担の増です(p299)。
そのうち、国際社会でのありようについては、憲法の『われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ』『われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって・・』を引用して、それについて具体的な努力をしてこなかったのではないかと述べました(p306)。
今回の決断は、具体的な(お金だけでない)国際貢献だと考えます。すると、今回の決断は、日本のあり方としては、日米安保条約・日中国交回復・PKO参加などに続く、あるいはそれを超える大きな決断でしょう。
これらを政治決断・リーダーシップと評価する(そのほかの多くの選択を決断と評価しない)のは、次のような理由です。それは、
①国民の意見が分かれている事項を決めることであるかどうか、
②その選択には合わせて「負担」を伴うことであるかどうか
ということです。
ここで私は、国民に異論がないことを決めることは、政治決断・リーダーシップとは呼んでいません。また、誰もが「痛まない」選択は、決断とは呼んでいません。
総理は記者会見で「私はイラク復興人道支援に対して多くの国民からも不安なり、あるいは自衛隊を派遣することに対して反対の意見があることは承知している」「現在、イラクの情勢が厳しい、必ずしも安全といえない状況だということは十分認識している」と述べておられます。今回の決断は、まさに私の二つの基準に当たります(総理発言は、日本経済新聞によります)。
ただし、今回の判断が「正しかったか、そうでなかったか」という評価は、別の基準で考えなければならないでしょう。また、政治的には、タイミングや発表の仕方も、評価の対象となります。

政治の役割と評価、特に争点の設定とその評価

(「新地方自治入門」p297)について、
2003年11月9日に投票が行われた衆議院選挙では、「マニフェスト」が大きく取り上げられました。私は、今回の選挙は、後世「マニフェスト選挙」と呼ばれるものになると考えています。
「今回、有権者がマニフェストによって投票したか」「マニフェスト選挙は2大政党制を進めたか」については、今後明らかにされるでしょう。私が言う「マニフェスト選挙」は、このような「その時点もの」を指してはいません。
私が今回の選挙を「マニフェスト選挙」というのは、今回のマニフェスト、特に与党のものが今後の政治を「縛り」、そしてそのことが日本の政治を変えると考えているからです。
躍進はしましたが負けた民主党は、マニフェストを実行する必要はありません(できません)。しかし、勝った与党は、約束を実行しなければなりません。そして、野党は、与党の実績を追求します。
その中でも注目されるのは、「三位一体」です。これは、時期と量が明示されています。しかも、「3年間で4兆円」というと、多くの人は初年度にある程度の成果を期待するでしょう。そして、このマニフェストは次回の総選挙はもちろん、来年7月に行われる参議院選挙が「中間試験」になると考えられます。
私が著書で述べた「争点の設定と評価」に、新しい時代が来ると期待しています。