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行政-政と官

諮問会議審議の公開

15日の経済財政諮問会議の審議内容が、一部非公開になりました。各紙が、批判的に紹介していました。17日の朝日新聞では、大月規義記者が「公開してこそ諮問会議」として、大きく取り上げていました。
非公開の理由は、テーマである地球環境問題が、外交交渉に問題があるという理由です。ただし、会議後の記者会見や議事要旨では公表になりませんが、4年後には議事録が公開されるので、その段階で再度公開するかどうかが判断されると思われます。これまでには、2001年11月に、金融システム問題について非公開にされ、4年後の議事録では公開されています。
閣議は、内容は完全に非公開です。結論だけが公表されます。諮問会議は、非公開になると問題視されます。ここに、諮問会議の機能が表れています。諮問会議は、テーマを国民の前に見せ、民間議員から厳しい提言をだし、会議での議論の対立を見せることで、改革を進めています。関係者が一致したものだけを、議題にし承認する閣議との違いです。
一方、諮問会議は、閣僚間で実質的な議論をする「機能する閣議」という機能も発揮しています。閣議には、そもそも事前に一致していない議題はのせられないのですから、実質的な議論はありません。
またそれは、「少人数閣議」と言ってもいいでしょう。閣僚の全員一致が難しい事項・内閣の重要戦略を、限られた閣僚で議論する場です。そのほか、イギリスの内閣委員会インナー・キャビネットとしての機能も考えられます。そのような場がないので、諮問会議がその機能も担っているのです。内閣の重要戦略を限られた閣僚で議論するのなら、それは多くの場合、非公開になるでしょう。国際交渉に限らず、手の内を見せるのが愚策の場合は多いです。ここに、議論を公開する諮問会議の原則と、衝突することになります。
このような機能は、諮問会議ではなく、別の場が必要なのでしょう。その場は、民間議員の入らない、少人数の閣僚による「小閣議」「内・内閣」だと思います。
しかし、日本政府が、地球環境問題について戦略的に対外政策を考えているということは、明らかになりました。これまでだったら、そういうことも国民の前にはなかなか明らかにならなかったのです。審議を非公開にしても、政策過程が見えるようになったという功績はあります。(5月18日、19日、20日)

(諮問会議)
月刊『自治研究』(第一法規)4月号・5月号に、小西敦東大教授の「諮問会議の誕生、成長、そして未来-内閣総理大臣の指導性を中心に」が載りました。議事要旨を基に、諮問会議が期待された役割や、総理大臣の指導性への寄与を、どの程度果たしてきたかを分析したものです。

経済財政諮問会議の効果

内山融先生が「小泉政権ーパトスの首相は何を変えたのか」(中公新書、2007年4月)を、出版されました。小泉政権の意味を、政治学的に分析したものです。いくつも興味深い分析がされていますが、ここでは経済財政諮問会議についての分析を紹介します。
先生は、小泉総理が、諮問会議を政策議論の中心的アリーナとして位置づけるという「場の変更」を行ったことで、次の6つの機能を持ったと指摘しておられます。
1 議題設定の主導権の移動
官僚が主導権を持っていた議題(政策課題、争点、アジェンダ)設定を、諮問会議が握ったこと。官僚が議題設定すると、彼らの不都合な争点は取り上げられない。それが、「骨太の方針」に見られるように、各省のいやがるテーマが議論に上ることになった。
2 政策コミュニティの開放
これまでは、官庁と族議員が閉鎖的な政策コミュニティを構成し、政策決定を独占していた。典型が、予算編成。これに対し、諮問会議は「予算の全体像」「骨太の方針」によって、大枠をはめることになった。
3 議題の統合
これまで、各省が縦割りでバラバラに議論されていた政策が、全政府レベルで統合され優先順位や体系政も配慮されるようになった(これについては、私は先日、諮問会議の企画部機能で指摘しました)。
4 政策決定過程の透明化
これまでは、官僚と族議員によって密室で、政策原案が決まり、閣議決定で公になるときには、政策プロセスは終了していた。諮問会議では議論の過程が公開され、政策決定過程やだれがどのような主張をし、どのような対立があるか、国民に見えるようになった。
5 首相裁断の場の提供
対立の構図の中で、首相裁断の場が提供された。また、小泉総理は裁断をした。
6 外部からのアイデア注入
民間委員を登用したことで、既得権益のために固定化した政策を転換する、新しいアイデアを取り入れることができるようになった。

非常にわかりやすい、優れた分析だと思います。先日、私は諮問会議の「企画部機能」を書きました。それは、行政機構論としてです。先生の指摘は、日本の政治、政治過程論、政治権力論からのものです。私も、いずれ書こうと思っていたのですが、先生の分析を紹介することで、それに代えます。次に書くとしたら、違った角度から書く必要がありますね。
ここでは、諮問会議のさわりを紹介しましたが、本にはもっといろいろ優れた分析が書かれています。小泉政権・小泉改革について、いくつも本が出ていますが、最も優れたものでしょう。新書にはもったいないくらい、重い本です。日本の政治に関心ある方には、必読の書でしょう。

審議会の機能不全

20日の日経新聞「雇用ルールを問う」は、「時代遅れ、労政審議会の疲弊」を取り上げていました。労働政策審議会は、厚生労働大臣の諮問機関で、雇用法制を決める際に審議会に諮問する(意見を聞く)ことが通例です。労働行政は、厚労大臣が責任者ですから、大臣が決めて法律案をつくり、内閣で決定して国会に提出すればすむ話です。しかし、「関係者の理解を得る」という理屈で、このような審議会の意見を聞く、あるいは原案を審議会がつくることが、これまでの日本の行政では多用されてきました。
特に、労働関係は、使用者代表と労働者代表という対立する利害の代表が意見をぶつけ、第三者である有識者(学者など)が間に入るという構成になります。医療(医者対支払い側)なども、同じ構図です。もっとも、記事が指摘しているように、原案は官僚が準備し、上手に結論(落としどころ)に持って行くのです。
今回浮き彫りになったのは、このメンバー構成です。労働組合代表が、労働者の代表として入っているのですが、労働組合の組織率は2割を切っています。パート労働者・フリーター・外国人労働者などは、そこから漏れ落ちます。パート労働者の処遇の低さに対し、これでは機能しません。審議会は、一部の者の既得権益保護になってしまうのです。
これまでは、審議会で労使が手を結べば結論が出、国会も通るという構図でしたが、それでは機能しないのです。そもそも、国民の間の利害対立を解決するのは、国会の仕事です。それを、審議会に委ねてきたのが、間違いです。
審議会の問題点については、拙稿「中央省庁改革における審議会の整理」月刊『自治研究』(良書普及会、2001年2月号、7月号)をご覧ください。

官僚の国会待機

丹羽宇一郎伊藤忠商事会長が、日経ビジネス3月26日号に「官僚深夜待機への疑問」を書いておられます。
国会開会中、大勢の官僚が午前1時、2時といった深夜まで、待機を余儀なくされている。翌日の質疑に必要な答弁を、書くために残っている。いったい官僚に徹夜させるほど急を要する質問が、どれほどあるのだろう。突発的な事態を除いて、前々日までに質問を出さない場合は、国会で答えない。必要ならインターネット上で解答するなど、国民が見られるようにすればいい・・・

官邸主導と与党主導

7日の日経新聞夕刊「永田町インサイド」は、「自民の力の源泉、事前審査。官邸主導に壁」を解説していました。与党の総裁が総理を兼ねているのに、与党と官邸との間に政策決定の争いがあることに関してです。この原因は、政府の他にもう一つ、与党での政策決定過程があるからです。各省(大臣・副大臣・政務官という与党政治家が幹部)とともに、与党に部会があるのです。与党が二つに分かれているのです。「権力の二重構造」と指摘されています。そして記事が指摘しているように、法案などの閣議決定事項は、政府だけで決定できず、与党での事前了解が必要だからです。いつも比較されますが、イギリスでは与党幹部が政府の役職に就いているので、政府と与党の対立・調整はないとのことです。
もう一つの問題は、政府案を与党で事前審査する際に、その根回しや部会審査での対応を政治家でなく、主に官僚がすることです。ここに、政治家と官僚との、役割分担の混乱があります。
昨日の記事について、記者さんから指摘があったので、補足します。それは、官邸主導と内閣主導とは違うのではないか、例えば今回問題になった道路特定財源の一般財源化については、担当大臣はどのような役割だったのか、という指摘です。
その指摘の通りです。今回、与党と対立し(?)政策を争ったのは、総理と官房長官という「官邸主導」でした。しかし、内閣といった場合は、道路整備は国土交通省(大臣)、財政は財務省(大臣)が所管です。内閣が政策を決める場合は、各省大臣が分担管理します。だから記者の指摘のように、総理(官邸)が担当大臣に指示を出して決定する過程を取れば、「内閣主導」になったのでしょう。しかし、今回は担当大臣と省がどのようなリーダーシップを発揮したかは、報道ではよくわかりません。もちろん、内閣の責任者は総理ですから、内閣主導といっても最後は官邸主導になります。しかし、各省・大臣の出番があるかどうかで、官邸主導と内閣主導は別のものといえます。(12月8日)
14日から日経新聞経済教室は、「政策決定過程、改革の方向」を連載しています。14日は細野助博教授の「専門知の活用さらに。情報公開をテコに、強い指導力で既得権打破」でした。多くの国民は、仮に多少の格差を感じても、既得権益を打破する方がよいと、今も考えている。しかし、既得権益は、一朝一夕には打破できない。日本では政官業の結束が強く、自らの既得権を失うまいと躍起になる。
だから、既得権益のプレーヤーの数や参加の機会を、何らかの力で限定し、優先順位をつけることによって、浪費を減らすことができる。省庁の数を減らし、内閣府を一段高い位置にせり上げた省庁改革、参加者の数と機会を限定した経済財政諮問会議が、これに当たる。と述べ、次のように主張しておられます。
「法制上一段せり上がってはいるが、まだ余力のない内閣府と内閣官房を使い、政策課題を仕分けし、官庁セクショナリズムをコントロールしながら、省庁などに課題解決を委任する度量と知恵と実行力が、首相とその周辺に期待される」。
15日は、城山英明教授の「指導力発揮、諮問会議使え。首相を核に組織戦、連携進め課題設定適切に」でした。経済財政諮問会議の役割が、大きく取り上げられています。小泉時代の特質として、首相がこの場で経済政策を決める姿勢を示したことで大きな役割が与えられたこと、民間議員がアジェンダ設定で大きな役割を果たしたこと、閣議の実質化をもたらしたことを挙げておられます。一方、問題点として、与党との関係、内閣の様々な会議体との関係、毎年の予算編成プロセスとの関係、諮問会議を支える内閣府と内閣官房の関係を挙げておられます。
ここでも取り上げられていますが、内閣府と内閣官房の機能をどう発揮させるか、そしてその二つの関係をどう整理するかは、課題として残っています。私も、まだ明快な結論を持っていません。勉強中です。
18日の日経新聞経済教室は、石弘光教授の「審議会改め専門家集団に」でした。官僚の隠れ蓑と呼ばれてきた日本の審議会と、欧米の少人数の専門家によるタスクフォース方式とを比較し、また経済財政諮問会議や最近の安倍内閣での有識者会議との比較もしておられます。(12月18日)
22日の日経新聞経済教室は、根本祐二教授の「官民の連携、市民参加がカギ。ニーズのズレ防ぐ」でした。近年日本でも、PFI、指定管理者制度、市場化テストなど、多くの官民連携の仕組みが導入されました。その際の失敗事例を、分類しておられます。政策目的設定を官が担うことで無駄な事業を行う失敗や、民間事業者の選定プロセスが非競争的や不透明であることによる失敗(癒着、談合)、民間事業者の監視が不十分な例(耐震偽装)などを挙げています。そしてそれを防ぐ方法として、市民参加を提唱しておられます。
24日の日経新聞は1面で、市場化テストのモデル事業5つについて、2年間での結果を取り上げていました。効果の大きなものでは、官がやるのに比べ、6割も安くできています。(12月24日)
日本の政治課題の一つに、規制改革があります。12月7日の経済財政諮問会議で、草刈隆郎規制改革・民間開放推進会議議長が、この3年間の成果を、次のように評価しておられます。(議事要旨p2から)
「第1に、主要官製市場の改革。前身の総合規制改革会議を継承して、医療、福祉・保育、教育、農業、労働等の分野に取り組んできた。医療では、中医協の改革、混合診療の一部解禁。教育では、学校選択制度や教員免許等。これらの分野は一歩前進があったと評価しているが、なかなか進まない分野、当初の想定とおよそ違った状況になっている分野もある。例えば、幼保一元化を目指した総合施設「認定子ども園」を今年からスタートしたが、一元化ではなくて「幼保総」の三元化になりかかっているのではないかという懸念もある。他の分野も含めて更に強力な取組みが不可欠だと思っている。
第2に、官業改革・市場化テスト制度の導入。官民競争入札制度、いわゆる市場化テストの正式導入が行われたのが成果と思っている。当会議がモデル事業の実施を主導し具体的な制度設定をして、この6月に制度がスタートしたが、制度の本格的な活用、具体的な官業改革への取組みは、これからが本番という認識である」(配付資料p2)
また、有識者議員は、次の課題として、次の3つを挙げておられます。
①生活の質を高めるための規制改革=医療、保育
② 再チャレンジを可能にするための規制改革=労働、教育
③ オープン型社会のための規制改革=対日投資、農業
(12月24日)
31日の日経新聞ニュース入門は、市場化テストでした。そもそもは民間開放の手法であり、これによって財政再建を進めること、しかしこれからは官の抵抗が拡大する恐れもあると、解説しています。また、業務が民間に移るに伴い、公務員が配置転換されるだけでなく、民間に移れるように年金などの制度を民間にあわせる必要があることも、指摘されています。(2006年12月31日)
読売新聞「時代の証言者」は加藤寛さんで、12日は「米価審議会、農民に囲まれる」でした。米価が経済でなく、政治で決まったことが書かれています。農民に服を破られるとか。若い人たちは、知らないでしょうね。国鉄の運賃や新線の建設も、採算性でなく、政治で決まりました。当時は、3Kという言葉がありました。きつい、汚い、暗いの3kではありません。巨額の公費を投入する対象としてです。米、国鉄、健康保険でした。
次のような記述があります。「米価の決定には、農林族の政治家の発言権が大きかった・・・例えば3%の引き上げ幅をめぐって対立している場面で、『3%ではなくて2%にしよう』などと、妥協案を出してくる。そうすると、われわれが審議している隣の部屋に詰めている食糧庁の役人が、農民の労働時間、時給、農機具や肥料の値段やらを計算機で算出して、2%の引き上げ幅にぴったりの算定根拠を出す。政治家の言う米価の数字が変わると、また別の理屈を立てて、都合のよい根拠数字を算出する」。
官僚の役割(の一面)がよく分かる場面です。関係者は、みんなよかれと思って行動したのでしょうが。(2月13日)
読売新聞「時代の証言者」加藤寛さん、14日は「審議会とはヤラセだな」でした。
「米価審議会はある意味で、非常に勉強になった。農民代表と消費者代表は利害が真っ向から対立するから、なかなか結論が出ない。ところが、最終日の夜、壁の時計はいつまでも午前0時にならない・・・そうこうしていると、審議会の世話人が答申案の文書を持ってくる。答申案は、農民の意見はかくかくしかじか、消費者の声はこうこうと記したうえで、最後の方に、農林省としてはこう考えるという結論が書いてある。だから、答えは最初から決まっている。新聞記者はそれを知っていて、委員である私たちが答申内容を決めていないのに、結論が新聞に出たりする・・・社会保険審議会も同じだった」。
審議会の機能として、利害の対立を調整することが挙げられることがあります。これも、民主主義国家ではおかしな話です。国民の間の利害の対立を調整するのが、国会の仕事なのですから。国会が機能せず、また与党も避け、官僚機構が隠れ蓑を使って、調整していたということです。(2月14日)
15日の読売新聞談論「日銀利上げ」で、榊原英資氏は「政治介入タブー再認識を」として、次のようなことを述べておられます。
新日本銀行法が施行されたのは1998年。法律的に日銀の政治・政府からの独立性は明記され、透明な形で政策委員会が制度として確立している。1990年代、いわゆる財政・金融の分離が大きな政策課題になり、金融庁が大蔵省から分離し、財務省・金融庁・日本銀行の役割分担が明確になった。金融監督などをどの組織が担うかは、先進国でも国により異なるが、財政が財務省、金融が中央銀行という区分けはどこでも同様だ。
もちろん全体としてのマクロ経済政策、財政政策、金融政策は互いに整合的なものでないと、政策の有効性が損なわれる。しかし、金融政策の最終決定は中央銀行の政策決定会合によってなされ、首相といえどもこれを覆すことはできない。なぜ金融政策だけが特別なのか。たびたび財政政策に左右され、インフレを引き起こしてきた歴史的経験を踏まえ、財政と金融、政府と中央銀行の分離が確立されてきたからである。
それなら、政府と中央銀行の政策金融に関する意見が対立したときはどうするのか。政府は中銀総裁の任命権を持っているが、罷免権を持っていない。短期的には専門家に任せ、中長期的には政府の方針を貫くというものだ。しかし、この仕組みをうまく運営していくためには、双方の自制が必要だろう。頻繁な意見交換は必要であるが、介入はタブーである・・。(2月17日)